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執筆の先に

最近、書くことそのものについての自分の思いを書くのを避けていたのだけど、自分の思考整理も兼ねて今日は書いてみたい。

私はいつか自分の文章で収入を得られたらいいなぁと思ってる。

研究に真剣に取り組んでいた頃には学術書の出版が目標だったけれど、最近はそれも少し変わってきた。

小説は興味があるけれど、どうにもアイディアが浮かばない。自分の体験以外のことを創作していくというのは苦手なようだ。

情報発信系の文章はどうだろうか。調べてまとめる作業は得意だし、創作よりはずっと自分に向いているけれど、私にはなんだか座りが悪い。普段人に教える仕事をしている時にはピタッと自分にはまってできるのに、知らない誰かを対象にした文章となった途端、なぜだか説教くさくなったり上から目線になっていく自分に直面するようで、嫌悪感が募ってしまう。

社会問題について取り上げて論じる、なんていうのはどうだろうか。このアプローチも私の強みを活かせる執筆だと思うけれど、自由に好きにものを書ける場面ではどうにも食指が動かない。たまに書きたいテーマがあるときだけ、noteでも書いてきたけど続かない。おそらく論文を意識しすぎるのだろう。

それでこのnoteではこれまで主に、自分が思うままに、なるべく読者を意識しないようにして、継続すること自体に重きを置いて徒然と文章を書き続けてきた。なんだかんだ3年も続いたブログは初めてだ。

でも。

今後の生き方とかキャリアとかを考えているうちに、欲が出てきた。

私は文章を書くことが好きだし、文章も収入源の1つにしたい。

デスクに座り、PCに向かってキーボードをカタカタする作業そのものも好きだし、その場所が自宅やカフェなどお気に入りの空間で、コーヒーでも飲みながらだったら最高だ。

そんな思いを抱くようになり始めると、今までみたいに読者の目をあまり気にせずに自分が書きたいことだけを一方的に書き続けるスタイルではダメなんじゃないかと思えてきた。

お金を得たいなら、人に読まれなくては意味がない。読者あっての文章なのだ。

私は、エッセイと題しながら、ただ自分語りの文章を書いてきたことの自覚がある。溢れ出る思考を文章という形で表現している・・・といえば聞こえがいいけれど、要するにただ思考回路ダダ漏れの自分語りなのだ。

読んでくれる人はいる。スキを押してくれる人もいる。誰にも知られないところからスタートした私のnoteの記事に、細々とでも読んでくれる人がいるというのは、すごく尊くてありがたいこと。

でも、一般に他人の自分語りほどつまらないものはない。自分の生活の一部を切り取って、自分の目線で文章に興していくだけで読まれて売れるのは、すでにその人自身がブランド化している有名な人か、よっぽど視点が新しいか、トピックがオリジナルか、さくらももこ並に文章がおもしろおかしいかのどれかだろう。

だけど自分はそのどれでもない。その癖お金という欲を意識してしまうものだから、途端にキーボードを叩く手は止まってしまう。

また長すぎる文章書いてしまった。こんなに長い自分語りを誰が読んでくれるのか。タイトルが微妙かな。目次はあった方がいいかな。太字の効果を使おうか。

完璧主義な傾向のある私は、凝り出すと永遠に推敲を続けてしまう。すると細部にこだわってちっとも完成しなくなる。

そんな風にがんじがらめになるよりは、完成度80%でも書いてとにかくアップし続けることの方が大事と割り切って、もがきながら文章を書き続けている。

でもその先にステップアップしたいなら、やり方を変えていったほうがいいのかな。

どうしたらいいのかな。


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