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再会

書きたいことが浮かんでは脳裏を過ぎ去ってゆく。言葉として出す前に旬を逃して、書かれなかった言葉たちが心の中に根雪のように積もっていく。

noteを開いて書き出すものの、書き終える前に何週間、何ヶ月と時間が過ぎ去っていく日々を重ねています。

これは、私の中で何かが動き出す前触れなのかもしれない。根拠はないけど、自分ではそんな気がしています。

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先日、東京から旧友の一人が大阪に引っ越してきて、近所の大阪城公園で会ってきた。何年ぶりかわからない。最後に会ったのはおそらく7、8年前ってところだろうか。

今度大阪に引っ越すことになったから会えないか、とその友人からメッセンジャーで連絡が来た時は軽い驚きと喜びに震えた。夫から「なんでLINEじゃなくてメッセンジャーなの?」と聞かれて気がついたが、私たちが一番仲よかった時期はまだガラケーで、LINE黎明期だったのだ。

彼女は私より5歳年下で、関係としては友人というより後輩という方が正しい。大学院修士課程の時に在籍していた学生団体で同時期に活動していた後輩で、研究発表のシンポジウムをするときに同じ班だったことから濃密な時を過ごした。

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それは日本人学生とフランス人学生の交流を主眼とする学生団体で、東京の恵比寿にある日仏会館の支援のもとに活動していた(日仏会館の支援があったのは当時。今は支援はないらしい)。

2週に1度、恵比寿で集まって会議をして、1年に1度、我々の渡仏ないしはフランス人メンバーの来日を実施して対面で交流を図る。

対面交流の時期は2週間ほどで、ボランティアでホームステイをしてくれる家庭を募集し、選定し、マッチングしたりするのも自分達で行った。滞在期間中、企業訪問などを実施するほか(もちろん自分達で訪問を依頼・交渉する)、毎日ディスカッションを行う。毎年話しあう大きなテーマを決め、その下にサブテーマを設けてそのサブテーマごとに班を分け、班ごとにディスカッションを行う。ディスカッションの成果はシンポジウムを実施し、発表する。

団体の活動任期は2年間。メンバーは、1期10名ずつ。私自身は箱根駅伝やラグビーや大学野球などでよく名を見る、とある有名私立大学にいたけれど、他のメンバーはもっとすごかった。東大。東大。東大。慶應。慶應。上智。ICU。ICU。東京外大。東京外大。早稲田。まぁ、だいたいそんな感じ。全員、頭がいいだけでなく人間的に尊敬できる人たちばかりだった。世の中にはこんなすごい人がいるのか、と思った。

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あの時から、干支が1周以上回った。その学生団体で過ごした2年間はかけがえのない日々だった。高校時代の部活のように濃密で、それでいて、部活の仲間以上に絆が深い。

今思い返してみれば、会議もディスカッションも青臭い感じだったなぁという気がしてくるし、シンポジウムでの発表ももっとやりようがあったような気がするのだけど、それは歳をとった今だから言える後出しジャンケンなんだろう。

会議の後は、恵比寿のガーデンプレイス側とは反対側にある中華料理屋でご飯を食べながらお酒を飲んで、喧々諤々としゃべり続ける。

安くてうまいその店は学生にありがたい存在だったけど、そこはさすが恵比寿というか、学生街にあるような居酒屋ではなくて、六本木にも店がある学生の分際には勿体無い(?)お店だった。

楽しかった。ただ楽しかった。意味も目的もあるようでない話し合い。学年も大学も超えて、ただただいろんなことを話し続けた。真面目なこともくだらないことも全部。

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大阪城の梅林も見頃を迎え始め、私はこの地で5回目の梅の花を見る。

コロナの第一波とほぼ同時に大阪にやってきた私にとって、大阪での日々は職場と夫以外に深く関わる人はほとんどいなかった。友達はもちろん、いない。

だけどコロナ禍による社会混乱も沈静化してきて、この1年は昔からの友達と会う機会が急に増えた。

移動が正常化したからか、「大阪に行くんだけど会えないか」と声をかけてくれた友達が5人。うち二人はカナダからで、むしろ私がいるから大阪にまで来てくれた。

大阪城の近くに住んでいるという地の利を活かしまくって、毎回誰と会うのも大阪城公園。0歳の娘を連れてかつての友人たちに会って再会を喜んだ。

そういう流れの中で、今回の友人との再会。

波長があった。
エネルギーをもらった。

まるで妻である自分もママである自分も存在しなかったように、昔の自分に戻ったような気持ちになった。いや、昔の自分というより本来の自分というべきか。

本来の自分・・・

そういう言葉が生まれてくるということは、私は今の自分を本来の自分から逸れたものとして自己認識していたのだろうか。

かつて目標として掲げ、がむしゃらに目指していた研究者としての進路を断念したという意味では、本来ありたかった自分とは逸れているといえる。

でもそういうこととは、多分違う。

結婚し、子どもを産んだ今の自分の在り方に不満はない。目指していた進路とはずれているけれど、今の仕事も好きで満足している。でも、だったらどうして本来の自分という言葉が、私から出てきたのだろう。

私は何か今の自分に対して違和感を抱えているのだろうか。




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