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あの頃、すべてに必死だったね・・・3

おはようございます。精神障害ピアサポート専門員、愛音です。

シリーズ「あの頃、すべてに必死だったね・・・」3回目になります。
書きたいこと、伝えたいことが山ほどあるのですが、そこを上手く整理して書けるといいなと思います。
今回は保健室登校になった時の周りの反応を書いていきます。

・教師からの謝罪と友達の存在

保健室登校になった中学2年の3学期。親が学校に呼ばれました。私は同席しませんでしたが、帰ってきた両親にどんな話があったのか簡単に教えてくれました。

担任、学年主任、保健の先生、校長先生もいたそうです。
教師は頭を下げて「愛音さんの変化に気がつくことが出来なくて申し訳ありません」
両親はクラス替えが出来ないのか聞いたそうです。3学期は短いけれど今のクラスに娘を置いておくのは出来ない。

しかしその答えは意外でした…。

「実は、他のクラスも同じような状態なんです…ですからクラス替えをしても…」
当時1学年6クラスありました。その6クラスすべて同じような状態とは両親はあきれ果てたようです。
クラス替えはせず、保健室登校と欠席を繰り返す生活しか選べませんでした。

昔から友達は大勢いる子ではありません。クラスには仲のいい子が2人いました。保健室登校をしているときに給食を持ってきてくれたのもこのYちゃんとMでした。

Yちゃんとは小5からの心友。彼女の朝練がない日は近所に住んでいたので一緒に学校に行っていました。
Mとは2年で初めて友達になりました。いい子で楽しいけれど教師から「Mさんと愛音さんは友達なの?」と数回聞かれました。
おそらくMが眉を細くしていたことと、スカート丈が短いことが理由かな。教師で外見から判断する人は多いと感じます。私は眉をいじらず、スカート丈は膝が隠れる長さだったので一度も注意されていません。

真面目な優等生=教師は安心=変化にも気づいてくれなかった

この式、今でも胸がチクリとします。真面目だとしても14歳ですよ。
子供同士なにか起きたとき、大人である教師に助けを求めるのに
「愛音さんはしっかりしているから」の一言でノーマークだったのははっきり言っておかしいです。




・Yちゃんと私

授業妨害が起きていたクラスで闘っていたのは私だけではありませんでした。Yちゃんも闘っていたんです。Yちゃんは授業が出来ないと判断したときが早くて、塾の課題を授業中にしていました。

これは賢い選択だと思いました。

授業が出来ない50分の有効活用です。私は授業中には授業を受けるべきだと頭がだいぶ固かったので「授業」をしようとして、潰れてしまった。

そのYちゃんが保健室に着てこんなことを言ってくれました。
「愛さんが保健室にいることにならなかったら、私がこうなってた…
だけどね!いつでも戻ってきていいように、私は愛さんの居場所を作っておくことにするよ!
「なんで、そこまでしてくれるの?」
え?だって小学生の時からいろいろ助けてもらってたもん!!
Yちゃんも苦しい中にいたのに私が先に潰れたから、Yちゃんは頑張ることと私の居場所づくりを約束してくれました。

嬉しかった。いつか落ち着いたらYちゃんが作ってくれた居場所に行けたら嬉しい、そう思っていました。


少し先の話をするとYちゃんとは3年の時も同じクラスでした。なんと彼女は「愛さんと同じクラスじゃないと、私はもう学校には来ません」とかなり真面目に教師に宣言をしたとか。
彼女は太陽です。キラキラしてて、温かくて、みんなの人気者。憧れです。
この時点ではまだ心が壊れ切っていなかったので私も純粋に彼女が好きでした。

でも、しばらくするとこの心友のことまで憎むことになります…。





・親しくないクラスメイトからの謝罪

保健室で読書をしていると10分休みの時クラスメイトの女子が3人来ました。特別親しくない子たちでした。授業ではいつも手紙を回して、ホームルームではお喋りを止めない、教師に注意されても気にせず。
読書を続けようとしたけど、顔を見てしまい心臓と呼吸がおかしくなってくる。教室の風景が甦る。

「愛音さんはなんで教室に来ないの?」
「・・・」
「うるさいから?」
「・・・」
「それならごめんって」
「・・・」
「ねえねえ戻ってきなよー」
「うちのクラス超楽しいじゃん!」
「・・・」

無反応だったのとチャイムが鳴ったのが理由か3人は保健室から出ていきました。

教室に来ない理由は私へ聞かないと分かってもらえない。
謝罪は軽く放った「ごめんって」うん、きっと超楽しいと思うよ。

だって授業受けないで
教師を怒らせて、バカにして
好き勝手してたらそれは楽しいだろうね

だけど、そんな楽しさ認められないよ…!!

袖を捲り、左腕に爪を立ててみみずばれを作り、必死に呼吸をした。それを見ていた保健の先生は優しく左腕を撫でて、消毒をしたあとに真っ白な包帯を巻いてくれました。





・児童相談所へ

保健室にも毎日行けなくなり、家で休む割合が多くなると母が知り合いに教えてもらった「児童相談所」へ行ってみることにしました。

悩んでいることを聞いてくれる場所だよ、と聞いたので胸にあるモヤモヤが消えてくれる!私は元に戻れる!そんな気持ちで支度をして、母と一緒に電車に乗って人生で初めて児童相談所に行きました。

そこではまず行けなくなった理由などをアンケートのような用紙に書いていき、職員の人が目を通しました。

「2週間くらい家でゆっくりすれば学校には戻れます。疲れちゃっただけだよね」

・・・なんて、言った?

思わずフリーズしてしまいました。
疲れちゃっただけ?私ってそう見られているの?
言われたように保健室にも行かないで2週間家にいました。でもなにも変化なし。

むしろこの頃から涙がボロボロ流れ出したり、枕に顔をうずめて「あーーー!!」と叫ぶようになったんです。

助けて、助けて、助けて!!
壊れたくない!!死にたくない!!
怖いの!誰か助けて!!

2週間休んでも疲れは取れない、それを職員へ伝えると定期的に相談職員と話すことになり、若い女性が担当になりました。
この担当も後々ある意味「運命の人」となります。

*愛音*

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