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話に抑揚は必要なのか?

今日夫と話していて気づいたこと。

わたしは、【話す】ということにけっこう昔から苦手意識がある。
長いしもごもごするし、みんなの視線も気になるし
ネガティブな想像も膨らむ。
『話下手って思われてるんだろうな〜』と
いつも思っていたし、今も思ってる。

夫と話していて気づいたことのひとつ。

【話すことより、リアクションが苦手】
自分の言いたいこと、を話すのはできる。
でも何やらできないのが、相手からのレスポンスに関するコミュニケーションの部分だと言うこと(笑)
コミュ障か!と言いたくなるけど、
まぁその端くれではあると自信を持って言える。

【自分の知ってることを淡々と話すのはできる】
そう、それそれと思った。
最近別の人と話していて気づいたことでもある。
わたしはほんっとに、ただ淡々と情報を伝えることがすき。
わたしの話を全て聞け!とは思ってないし、
相手の意見を聞いて、自分の考えをもっと柔軟に広げたいという気持ちもある。

世界中のすべての情報を集めて
誰かがわたしの言ったことを精査している。
そのくらいに思っていた。

だけど、この世界には『万人に共通の正解』
なんてないとも知ってる。

できるだけ多くの人に
‎【否定されない】方を選ぶ。
これがわたしの正解だと思っていた。

嫌われないこと、攻撃されないこと
それが正解で正義。

だからね、
話している最中にもずっと頭で考えてるんよ、
『誰かに間違いを指摘されないか?』
『これはみんなに正解だと認められるのか?』

だから全く気持ちが入ってない。
自分の意見であるように見せて
目の前の相手に合わせて意見を作る。

だから即興性のある会話は苦手。
みんなの前で質問されたりね。

だから冒頭に戻る。
わたしは話すことが苦手。
だってあるはずのない正解探しから
逃げることができないから。

わたし自身の本当の気持ち、意見が
わからなくなるから。

結局、自分じゃない誰かになろうとしてた。
ただそれだけ。

こうやって言っておいた方が
嫌われないかな?

わたしの勝手な決めつけ・思い込みで
それを選んでいただけで
別に正解だという保証はどこにもない。

ありのままの自分で生きる!
をテーマにしたわたしは、
話すことが苦手なんてほんとは思ってない(笑)

好きなことを好きなように
喋りまくるのは大好き!

だからそれでいい。
そのままでいい。

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