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たちかえる年

2024年になりましたね

昨年は、年の半ばごろから自分の吐き出す言葉が人に届くまでに違う言葉になってしまうような感覚があってあまり文章を書けてなかったなと思います

友人と話す中でやっぱり文章を書いていくことが私には必要なのかなと思って
今回は昨年のまとめも兼ねて書き始めました

昨年は自分の力のなさを感じた年だった

初めてのことばかりが多く自分がどうにかできることが少なくて
自身の精神や感情のコントロールも自分では難しかった感じがした

だからこそ自分の属性や根本にあることについて考えたいと思った



人とじぶん

SNSから人の生活を目にすることができるようになって
自分と人とを比べるべきではないのに
羨んだり妬んだり
今いる自分と他人を比べるようになった

私は他人の意見というものが気になってしまう質で
頭から他人の目が消えたことは本当にない気がする

そして他人の目が気になりすぎるが故に
他人の行動も気になってしまうのだろう

比べるというのは同じ立場にいると思うから比べてしまうのだと思う

そもそも同じ人などいないのに
そのことを忘れて同一化する

なぜこの人にはできて私にはできないのか

自分から流れ出る醜い感情は

自分の本当の声で

それに正直に耳を傾けてみることもよいのかもしれない

自分の気持ちの根底にあるものとは一体何なのだろうか

根本にあるトラウマや記憶に気づく旅をしていきたい


女であること


ずっと女はこの国の第二級国民なのだと感じる

こういうことを言うと敏感になりすぎていると言われるかもしれない

でも少なからずこういうことを感じたことがある人はいるはずなのではないか

女性の地位について私が生まれる遥か前から戦ってきた人たちがいる

ただ声を上げたところですぐ感情的になっていると言われる

声をあげることと怒ることは違うはず


この社会に生きていると男性のように振る舞う女の気持ちがわかる

実際そうして社会に適応して生きるのも術だと思う

自分を殺し社会に適応する

差し障りない態度でいればうまくいく

それになりきることはその存在になることとは違う

常に行動と自分の中の感情との乖離が生まれる

そうしているといつの間にか本当の自分の気持ちがわからなくなる

不感症みたいになにも感じなくなり、それが自分となる


男になりたいわけじゃない

存在を認め、社会を共有してほしい

認められないという生きづらさがあって

それが多すぎる、とにかく多いのだ

私たちはただただ痛みに耐えなくてはならない

年明けには地震があり、やはり力のなさを感じる時はいつでもある

あの時そこにいたのが私だったかもしれない

悲しくて目の前が真っ暗でも
小さな幸せを見失わないように大切に生活していきたい



皆さままだまだ寒さは続くので暖かくして過ごしてくださいね

ではではまた次で、、、

碧乃



いただいたサポートは活動のために使わせていただきます。今後服の制作やZineの製作などをしたいと思っています。