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「愛され主人公」の呪縛

昔から漫画やアニメが大好きで、少女漫画もたくさん読んできました。

キュンキュンしすぎて死にかけたり、いいなあ〜こんな恋愛したいっ!なんて思いながら。

そんな過去のわたしは、「愛され主人公」の誤った呪縛にとらわれていたのだということに、最近気が付きました。


素敵な恋愛をして、愛されている少女漫画の主人公って大抵、「純粋」「一生懸命」「真っ直ぐ」「裏がない」っていう特徴を持っているじゃないですか。

で、こういうものから、無意識に、「そうでないと愛されない」「そうでないと素敵なパートナーと結ばれない」って思っていたなあと。

(しかも主人公の恋路を邪魔する存在が、これらと真逆の性質だったりするから、尚更ね)


まあこれは、わたしが好きで読んでいた少女漫画のジャンルにこういう傾向があったというだけで、こういうのばかりじゃないとは思うのですけど、それは置いといて。


素敵な人に好かれるためには、「本当の自分」を偽ってでも、「純粋」で「裏表がない」、「真っ直ぐ」な女の子でいなければならない!って思っていたんです。結構長い間。


これをね、いい意味でぶち壊してくれたのが、コナリミサトさんの「凪のお暇」でした。


主人公の凪ちゃんは、“空気を読んで生きてきた自分”と決別しようと、汚いところにも、隠してきた部分にも光を当てて、自分の足で前に進んでいきます。

自分自身の、見たくない(見ないようにしてきた)どろどろした気持ちにも、ちゃんと向き合っていく。

常にピュアでキラキラ!!!
っていうのとはちょっと違います。


数年前に読んだときには、お暇前の凪ちゃんにめちゃくちゃ共感していて、そこから変わっていく凪ちゃんのことは、“物語”として見ていた気がします。

その頃のわたしはまだ、自分の見たくない部分と向き合う勇気がなかったから。


けれど、リアルに自分自身に向き合うようになった今読むと、変わっていく凪ちゃんのほうに感情移入できるようになっていました。

変化の過程や状況、感情とかの描写も、本当にリアルなのです・・・!


凪ちゃんは、多くの「少女漫画の主人公」とは違うけれど(4巻で凪ちゃん自身も言ってた)、「自分自身」そして「自分の人生」に、全力で向き合っている姿こそが、なにより魅力的なんだなあと思うのです。

ときには道を間違えたりしながらも、“自分自身”と真っ直ぐに向き合い続ける。

そんな姿こそが、人の心を打つのではないかなあと、凪のお暇を読んでいて強く感じます。

というか、本当は他の少女漫画の主人公たちも、ただキラキラでピュア!というわけではなくて、しっかりガッツリ、自分自身として生きているから魅力的なのだろうなと、今では思います。

過去のわたしは、少女漫画の主人公たちの、偽りのない「自分」で生きている結果の部分(個性/性格/行動/言動 etc.)だけを見ていた。

そして、その表面だけをなぞろうとしていた。

けれど、本当にするべきだったのは、表に出ている「 “誰かの” ありのままの結果 」をなぞることではなくて、「 “自分が” 自分として生きる」ことだったんだよね。


凪ちゃんのように、自分自身と向き合い、受け入れ、「自分」として人生を生きる。

その結果が、各々の「個性」「性格」「行動」「言動」として現れる。

誰かの表面上の「結果」を真似するのでは意味がないんだ。自分自身と向き合った結果として、自分だけの「魅力」が現れて来るのだから。

この話、以前の記事とも繋がることだなあ。



ということで、凪ちゃんの心に残った言葉を引用させてもらって、今回は終わろうと思います!


やっと辿り着いた目的地の海は
なんていうか フツーだった
だけど 空気はおいしい
道中出会ったあの子達が言ってたように
遠くに行ったところで
何かが変わるなんてことは全然なくて
自分の意志で 自分の運転で
目的地に辿り着けたって事実だけ
でも それで充分
道を間違えるのはこわいけど
もしかしたら
間違えたり立ち止まったりしたからこそ
見えるものがあったりするのかも
「凪のお暇」4巻より引用

いっしょに、“自分自身”の人生に向き合っていきましょ〜^^

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