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たまらなくなる目


うみべの女の子をまたみた(映画)
前にも観たけど、あれは定期的に観たくなる中毒性がある。




主演の2人が、それぞれを見つめるときの目が、もどかしくて、堪らなくなる。


そこで交わされる、まっすぐな目も、鬱陶しそうな目も、ほしい目も、寂しくてすがる目も、何かを期待している目も、その目の奥は本質的に同じ感じがして、思いがあるもの同士の眼差しは、いいなと思う。
言葉で語らなくても、目が正直な感じがするから。




どちらかといえば好き≦ (以上)くらいの人から向けられる、目線がすきだ。
もちろん、好きな人からの眼差しは最高だけれど、”どちらかといえば好き”くらいの人の好意的な目であっても、どんな関係の人でもうれしいと最近気づいた。


かなり微妙なラインの話題な気がするから、あまり人に話したことはない。
なんだか、ふしだらな感じがするし。多分小学生くらいの時から、今こういう目で見られてる、って意識していたようなきがする。



今でも、“あ、今....”  と、何か感じ取れる目線が自分に当てられていると、すぐにわかる。

それが色んな意味を含んでいるような目でも、どきどきして、「今見られている」と感じる時間がすきだ。その上で、気づかないフリをしてしまうのだけれど。


本当に大好きな人からの眼差しは格別で、
暖かくてひだまりみたいな時もあるし、たまにハッとさせられるくらい引力を持っている時もある。
目の奥に、全部を包み込むような愛が見えて、いとおしい!!!と目が訴えているのがわかる。無意識に放たれているそういう本音を見るのがすきだ。
多分その時の私の目も、同じように、まっすぐ、彼を包み込んでいるんだと思う。



視線って、ほんとうに嘘がつけないような気がする。だから、どきどきするのかもしれない。
本人の意識の外のような感じがする。無意識な本心。



心や言葉を隠していても、目が動いたり、目の奥の熱や、好意や、優しさは、わかる。バレてしまうし漏れてしまう。
逆に意識的な目線も、わかる。それは、意識して演じている目だから、つまらない。

計算されたものじゃなくて、漏れ出した無意識がたまらないんだと思う。そして、その目線をかわすのが好きなのだ。




今は、大好きな人からの目線がこそばくて、暖かい。だれかの眼差しと似ているな、と思って、無条件に大切にしてくれた誰かのことを思い出した。



わたしの目はどうやって相手に映ってるだろう。心の中が漏れてるといいな。




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