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心だけは等しく自由だよ



なにを思っても、なにを感じていても、
自分の心だけはぜったいに自由。



『自由にできるのだ』と、たまに強く思っておかないと、忘れてしまう気がする。
世の中には、色んな人がいて、色んな決まりがあって、色んな体裁があるから。


例え、それがとても不謹慎なことでも、言葉に出すと棘があることだとしても、ぜったいに考えてはだめとされているようなことでも、だ。


皮肉なことに(?)心の中で思うだけならば、誰にも分かられないし、例え、身体が不自由に晒されようとも、本来心は誰にも、どうにも、されてはいけないのだと思う。
権利のような、そういう類のもの。
知識がないからアレだけれど、きっとどこかの宗教や、昔の偉い人の名言とかでは、もう幾度となく語られたことでしょ?


とても突飛なことを言うけれど、
死刑囚の裁かれる命と、
その人自身の魂(命)は、全く別物、みたいな話だと思っている。


それは、なにをさておき(どんな状況でも)、絶対的に守られるべきもので、切り離して考えてよいもの、のような気がする。


それはつまり、裁かれる命は、絶対的な悪で、償う余地もないほどの悪なのだけれど、その人が持って生まれた魂は、誰にも手を加えられてはいけないもののような。
裁かれて死んでいくその人と、魂は別のところにあるような感じがする。

心とおんなじだなぁ、と最近思った。


だれかに抑圧されて、縛られ潰れてしまった心が泣いている時、誰に縛られているの?って聞いてあげたい。だって、それは自分で解いてあげられるんだから。心はぜったいに自由だから。
かつての自分にも言ってあげたい。

こういう風に考えちゃだめだとか
なぜか分からないのに涙が出たりとか
苦しいのに笑ってなきゃとか、
そういう事があった時、もっと心を自由にしていいんだよって、言ってあげたい。
だれにも邪魔されない、唯一のものだから。

自分の心の意志で、好きだと思ったり、嫌いだと思ったり、めちゃくちゃに壊したいと思ったり、なにを思っても、別にいい。


外に出して伝えるとなると、全く別問題だけど、今は心の中だけの話。心の自由の話をしてるんだから。


心の中で思ったことを外に出す時、
その人の人間性とか、性質のようなものが問われ、判断されたり、評価されるのだけれど、
その手前までは自由なのだから。


いろんな人のnoteを読んでいて
心を掬って包んであげたい、と思って
こんな内容を書いてみました。

心を包んでくれるのは他人かもしれないし、他人に影響されて気づく自分かもしれない。



自分の心だけは、等しく自由だよ

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