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『Q』と、捨てていくぼくのこと。

無性に、『Q』が聴きたくなった。どうしてなのかは、わからない。無性に聴きたくなる曲ではないだろうに。ときには、自分の傷を抉る真似と同等になることもあるのに。


どうしてだろう。

Q - 女王蜂(2017年)


一昨日くらいから、ほとんどうちにいる。何もしていない、わけじゃない。大掃除、というか、整理整頓、というか。とにかく、しないといけないので、引きこもって、かつ、動きっぱなしだ。疲れを引きずって、また疲れが残ることをする。


昨日の、頭の回らさなさは、ひどかった。短歌をSNSに打ち込んだときの、誤字の数が尋常じゃなかった。打ち込んでいる最中に気付くことはあっても、一切気付かないのは、珍しいんじゃないだろうか。ぼくは。パートナーとの会話も、口が回らない。よく噛む。わかりやすく疲れていると思った。


引きこもっていると、気が沈みやすいぼくだけど、それは何もする気になれないときで、ずっと何かしていれば、気が沈む隙もない。疲れるけれど。


とはいえ、買いものはしないといけない。その前に、通っている古本屋が年内最終営業日だったので、顔を出す。ここ数日、ほとんど人に会っていなかったので、ものすごく喋って、ものすごく滑舌が悪い。申し訳なかった。よいお年を。


さて、買いもの。本当は、この時期は、進んで行きたくはない。スーパーの入り口で、オードブルを抱えた家族連れとすれ違った。28日でも(もしくは、翌29日でも)オードブルを囲む家族がいる。店内で、とても仲睦まじく買いものをしている母娘がいる。ぼくはなるべく、視界に入れないようにした。


疲れているぼくは、自分が生んだ人達を想起させるものは何でも、目に入れたくなかった。目に入る人達は、ぼくに関係ない。ただの背景だ。思い出すな。思い出すな。


ぼくは、怖がっている。年末年始を口実に、ぼくを生んだ人達が、何か仕掛けてくるのを。去年はあったから。だから、連絡先は軒並みブロックしたけれど。


先日、女王蜂のライブに参加した。『Q』も、セットリストに含まれていた。ぼくはより、アヴちゃんから目が離せなくなった。『Q』を作らざるをえなかった人生とは、何だろう。どんなときも、命を削るように歌う、この人は。


大掃除は、まだ終わらない。捨てるものは、まだある。『完全自殺マニュアル』は、捨てない。年明けのぼくには、何が残されているんだろう。今のぼくは、ただの空っぽ。これからも、この先も。中身があったことなんて、あったのかな。ああ。つくづくバカみたいだ。

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