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呼吸は少し、しやすくなったけど(今朝は、カフェオレ)

――桃の匂い?

――わ。

声をかけられて、はじめて、すぐそばにいるアルネに気付いた。


ぼくにしか見えない、ぼくだけの女の子。


今朝のぼくは、一段とぼんやりしているらしい。

――なんの匂い?

――桃で合ってるよ。新しいVAPE。

――少し前にも、買ってなかった? 新しいの。

――……。

――……。

――口に合わなかったんだ。まずいわけじゃないけど、しっくり来なくて。

――君は、気になり出すと、止まらないものね。

――まあ……うん。買わないよ、当分は。

――それが切れるまで。

――……。

――怒っているわけじゃないのよ。私も、気になり出すと、止まらないのよ。

――知ってるよ。

――だから、今朝は落ち着くものがいいわ。

――落ち着く……ホットミルク……は、この前も淹れたな。カフェオレとか、どうだろう。

――それがいいわ。

まだ、すずしい朝に、湯を沸かす。牛乳をあたためる。


それは、どこか祈りのように思えた。


どうしてそう思うのか、わからないけど。

――はい、どうぞ。

――ありがとう。……うん、丁度いい温度。

――よかった。……うん、おいしいね。

――少し、桃の匂いがする。

――え。VAPEは、さっきしまったはずだけど。

――冗談よ。

――……。

――それは、すっかり君の生活の一部になったのね。

――そうだね。いいのか悪いのか、わからないけど。

――呼吸は、しやすくなったんでしょう。

――まあ……これのおかげで、意識的に息を吸って吐いて、ってするようになったから。いい、のかもしれない。

――代わりに、甘い匂いはするようになったけど。君から。

――そんなに匂う?

――ううん。私が、そんな気がするだけ。

――それは、匂ってるんじゃないだろうか……。

――私は、君の一部だからよ。たぶんね。

――……。

――さっきも言ったけど、怒ってないわ。

――知ってるよ。でも、それはそれで、アルネに申し訳ないな。

――そんなことないわ。悪い気はしないもの。

――……。

――どうして、少し悲しい顔をするの?

――んん……だんだん、VAPEが手放せなくなってるような気がして。依存性はないはずだけど。呼吸がしやすくなる、という名目で、これを握りしめていいものなのかな。

――体に悪くないなら、いいじゃない。

――そんなものかな。

――そんなものよ。

――まあ……今のところは大丈夫かな。カフェオレもおいしく飲めるし。

――私も。ねえ、もう一杯頂戴。

――わかった。……ありがとう、アルネ。

アルネからマグカップを受け取ったとき、ふと、桃の匂いが鼻をかすめた。気がした。それはたぶん、本当に気のせいだろうけど。


まあ、大丈夫か。いろいろと。そう、新たにあたため始めた牛乳に思った。

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