こんな(夢も現実も、ぼくをころそうとする)夢を見た。

夢の中で、ぼくは学生だった。知らない人達ばかりの、知らない学校の。文化祭だった。


ぼくは、実行委員かなにかで、他の実行委員とステージの上にいた。ふと、ステージの下に、両親の姿が見えた。目を合わせないようにした。「わざと目を合わせないようにしてる」と声がした。


見つからないように帰ろうとしたぼくは、その努力もむなしく、親に見つかった。親は、優しかった。特に父親は、現実ではありえないほど。


車で帰ろうとした矢先、成り行きで、クラスメイト(架空)の父親(架空)も同乗することになった。両親が運転席と助手席で、ぼくと、その男は、後部座席。


突然、ぼくは男にセクハラされた。だから、両親に訴えた。両親は、「そんなこと」で騒ぐなと、聞く耳を持たなかった。少し優しかったから、勘違いした。両親は、どこまでも両親だった。


そして、目が覚めた。最低な夢だ。数年会っていない両親の姿は、ずいぶん具体的だった。ぼくの苦しい思いを、「そんなこと」で片付けられることも。リアルで、気持ち悪い。上げてから突き落とすところまで、そっくりだ。


自分らしくふるまっても、誰にも文句を言われなくなってから。つまり、両親とほぼ絶縁状態になってから、大体3年くらい。そして、両親に、精神的に囚われ続けて30年近く。幸せになったはずの今も、本当に突然、トラウマはぼくを殴りつけてくる。


この前、パートナーと、とあるドキュメンタリーを見ていた。その中で、ドキュメンタリー班? が山中へ入っていく中で、足元が不安定な道だったこともあり、一人が足を滑らせ、すぐそばの崖へ落ちそうになったシーンがあった。そこで、それを見たカメラマンは言った。


「なにやってんの?」


その一言から、苛立ちのことばが続いた。「大丈夫?」とか、心配することばは何一つなく。


ぼくの父親と、まったく同じだった。


子どものころ、もしくは、少し成長してから。今でも覚えている。たとえば、家の中で、なにかを運んでいるときにつまずいたとき。苛立ったような、呆れたような。とにかく、上の台詞とまったく同じことを言われた。それは、一度や二度じゃきかない。だから、覚えている。


子どもが不機嫌になるのを許さないくせに、自分が不機嫌になったときは隠さない。それで、周りが気を遣っているのに気付かない。まったく同じ件でも、先日は怒らなかったのに、その日は激怒する。一貫性がないから、子どもはどうしていいのかわからない。そのくせ、自分をいい親だと錯覚している。


ひどい夢。なんで、あいつらじゃなくて、ぼくが苦しまないといけないの。どうして。どうして。ひどい現実。

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