「平凡とは生まれつき縁遠い」ぼくの話(アーモンド/ソン・ウォンピョン)

僕は平凡とは生まれつき縁遠いから。かと言って非凡でもないから。その間のどこかでうろうろしているおかしな子でしかないから。(p90)

この記事は、ソン・ウォンピョン『アーモンド』の感想にならないかもしれない。「平凡とは生まれつき縁遠い」ぼくの話になるかもしれない。それでも良ければ、続きを読んでほしい。


『アーモンド』は、扁桃体のこと。感情を理解し、理解されるための、人間にとって重要な機能。恐怖、もしくは不安を感じることは、生きるために必要なことだから。大切な大切な、ぼくらの『アーモンド』。それが生まれつき小さいのが、ソン・ユンジェ。作中で自らの身の上を淡々と語る少年。「出来損ない」と罵られても。家族が目の前で死んでも。

愛という言葉は、そんなにも気軽に使われていいのだろうか。(中略)そして愛してるという一言ですべてを許した人たちの話も。(p175)

『アーモンド』を読み始めて早々、ユンジェが羨ましくなった。ユンジェは、「出来損ない」かもしれない。けれど、彼には彼を愛する家族がいた。その家族が失われても、彼を支えてくれる人はいた。周りに疎まれることが多くても、友達ができ、恋をすることもあった。人を変えるのは、人だ。彼は、そういう意味では運が良かった。


ぼくは、ユンジェと同じ疑問を抱えた。「愛してるという一言ですべてを許した人たち」のことで。ぼくの家族は、ぼくを愛してくれたかもしれない。(実際にそう言われたことはある。)でも、ぼくを「出来損ない」だと言ったのも、他ならぬ家族だった。ぼくは、家族を許す気には到底なれない。


ぼくは、どうすればよかったんだろう。ぼくは「出来損ない」だけど、ユンジェではなかった。どちらかと言えば、愛してくれる家族がそばにいなかった彼の友人・ゴニに似ているのかもしれない。ゴニは、ユンジェのように「出来損ない」じゃない。けれど、ユンジェよりも生きづらそうにしていたのは、ゴニだった。脳に恵まれるのか、人に恵まれるのか。どちらが、人を幸せにするんだろう。

「発達するっていうのは、変わるっていうことですか?」
「まあ、そう言ってもいいだろう。いい方向にしろ悪い方向にしろ」(p252)

ASD。自閉症スペクトラム障害。発達障害。ぼくも、生まれつきの「出来損ない」。今のぼくには、血がつながっていない家族がいる。唯一、ぼくを「出来損ない」だと言わなかった人。ぼくはユンジェのように、少しでも変われたんだろうか。それとも、これから変わるんだろうか。





一つ、訊いてもいいですか?


「出来損ない」じゃないあなたは今、幸せですか?

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アーモンド - ソン・ウォンピョン(2019年)

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