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眠って、食べて、そしてまた

泣き出しそうだった。


終わってから、ずっと、ずっと。


涙は出なかった。


ただ、泣き出しそうな、2歩か3歩手前くらいにいた。


眠ろうと思えば眠れた(と思うけど)そんな気にはなれなくて、しばらくぼんやりしていた。


昨日は、知人の個展で、珈琲を淹れていた。


個展がメインなので、ぼくはおまけのようなものなのだけど、訪れた人が多く、その流れで、ぼくの方にも結構な客がやって来た。


ありがたいことなのだけど(今までで一番売り上げが出た。)ひとりでやっているし、要領が悪いので、途中からずっと淹れっぱなしだった。


ずっと笑顔でいた。


そのせいなのか、お手洗いとかで、一時的にひとりになっても、顔が勝手に笑ったりしていた。慣れていないとこうなるのか。


個展の主催は、卒業間近の学生だったので、同じ学校の生徒や先生もいた。ので、ずいぶんにぎやかだった。


いいことなのだと思う反面、ぼくはにぎやかすぎるのにも慣れていない。ので、少し動悸がした。


でも、幸い、というべきなのか、ぼくにはただただ珈琲を淹れる役割があるから(それに、隅の方にいたから)思っていたよりは大丈夫だった。心の余裕が。


愚痴を並べているようだけど、不慣れがたくさんあっただけで、いい個展だったと思う。


それでも、不慣れは不慣れなのか、終わったあとのぼくは、胸の辺りが、不安定としか言いようのない感覚があった。


そして、泣き出しそうだった。


帰ってパートナーに会っても、夕食を摂っても、ぼくの中で、なにかが渦を巻いたままだった。


珍しいことじゃない。


でも、こんなときは、どうしたらいいのか、未だにわからない。


とりあえず、頓服の抗不安薬を飲んだ。


ぼくは、嫌いな自分が、より嫌いになる。


いい日だったはずなのに、それをだめだったかのように思うこの性質が、嫌でしょうがない。


どうしようもないとわかっていても、荒れた感情がどうにかなるわけじゃない。理解と感情は別物だ。


睡眠薬を飲んで、それから、眠たくなるまでは、じっとしていた。部屋の隅でうずくまっていた。パートナーもなにも言わなかった。


いつか、色んなことに慣れる日が来るだろうか。


でもそれは、慣れるほど人前に出るということだ。


できるのかな、そんなこと。


わからないけど、わからないから、眠って、食べて、また珈琲を淹れるしかないのだと思う。

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