久しぶりに出社した感じ、ある。
先週金曜は、外出先からちょっとだけ早めに直帰→よく土曜日から昨日月曜日まで会津へ。
いくらでも飾り立てることができ、実際とは違う虚像を演じることができる時代だからこそ、無理せず自然に成り立っているものの価値が上がっていくのではないか、と。
美しいものは人の心を癒すけれど、無理して作られたものは受け手にまでどっしりと重たい疲れをもたらしてしまう。
会津って、まさにそうだ。
星がとても綺麗に見えたし、田んぼに水が入ったので、夜な夜な蛙の大合唱。
移動もあり、仕事のことが全く頭に浮かんでこなくなって、次の『やりたいこと』についてばっかり考えていたし、この週末はあまりにもストレスがなかったから、今日はとても大変だった笑(なんだそれ)
はい、その通りです。
と、いうのも、会社にいるとわりと聞こえてくるのは、愚痴とか文句とか…。
もっと、他にも話すことないのかなぁ??って思うのだけど、当人それは、ないみたい。
趣味とか、好きなこと、好きなものについてばっかり考えてると、よっぽど頭の中はすっきりしてきて、人生たのしいんだけどな。
極論、嫌なことは無視する。
考えすぎない。心をとらわれない。気になるくらいなら、ちゃんと向き合って片付ける。
人付き合いで悩んだり、嫌な思いをしたら、相手は、じきに死ぬんだって思うことにする。
などなど。
なんかいろんな心の準備の仕方がある。トゲトゲしい社会の中では、心身を匿っておく亀の甲羅🐢が必要。ライフハック。
それが、僕にとってのこのnoteだったり、ツイッターだったりする。自分の内面もすべて書いてきたし、その時の高ぶった感情もここを通して客観視できたりする。
Facebookでは、確実に…ない。
リアルに繋がりすぎていて、どうしても、人の目が気になってしまうから。
だからあの世界からは、居なくなる予定だ。
5月の令和初日に、『さよなら、Facebook』を書いて、6月初日にはもっと具体的な今後の消え方について書こう。
ディサピアーよりは、フェードアウトしていくイメージ。10年来お世話になってきたサービスだから、手離れもきちんと、礼儀をもって。
そんなことを、海外いる近藤さんのツイートを読んでしみじみ考えた。
SNSだって、人間関係だって、嫌なら見なければいいし、嫌いなら考えなければいい。やりたくないなら、辞めればいい。
本当にシンプルだし、単純なこと。
でも、心がざわざわしているときは、なかなかそうもいかないんだよね。
そういうときは、せめて、
美味しいものを食べる。
よく寝る。
本当に好きなことをして遊ぶ。
まさに、『食う、寝る、あそぶ。』なのだ。
ぼくは普段から『お昼』の時間をおざなりにしないようにしている。それは、ただ食いしん坊なだけじゃなくて、席を立って、違う環境で、違う音や香りを嗅ぎたいから。
もう長らく、社内のデリサービスを利用していない。なんか、サガるんだよね。こんなこと言うと作ってる人には申し訳ないけど、作ってる人も、もしかすると『本気』でやってないかもしれない。全く知らないけど、ぼくはとにかくサガるものから極力距離を置くことに決めてる。
自分しか、自分を守れないし、大事にしてあげられない。なにかが壊れたら、それは自分が自分を大事にできなかったせいだと思ってる。
自分で、自分をわからない人がいるみたい。
それは圧倒的に、『自分より、他人』の心を見に行ってる時間が多いからなんじゃ。
それって、すごい疲れる。
しかも、好きでもない他人の心を見に行くのって、マジで疲れる。
上の機嫌を取りに行く。
同僚に気を使う。
SNSだって、そう。
長くなったけど、少しこうやってリフレッシュすると、どんどんどんどん心がそこから離れていることに気づく。
あながちそれは間違ってもいないんだと思う。
ぼくも誰かの応援をしようと思います!