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わりとなりゆき。

ここ数日、少しずつ読んでいる本がある。
樹木希林さんのことば集。

*表紙は浅生鴨さんの『どこでもない場所』

寝る前に少しずつ読んで、今ようやく二章を読み終えたところ。もともと本を読むのがとてもゆったりしているのではあるけど、それ以上に、ペースを落として噛みしめるようにして読みたいのだ。生きるとか死ぬとかいうことについて。

全身ガンとお付き合いをしながら、生きて、関わる多くの人、ファンに寄り添った樹木希林さん。ぼくは去年の夏頃?観た『万引き家族』をよく憶えている。
映画の中でも、『死』は一つテーマだったが、彼女は自分の人生でもって生きると死ぬについてぼくらに考えさせていた。

本の中には、ものをとても大事に使う話がでてくる。本人の話たことばや、インタビュー記事が載っているので、ほとんど生の声に近い。

その一つ一つを読みながら、じぶんについても思いをめぐらした。生きるを考えることは、死ぬまでのことを考えること。

樹木希林さんは、1週間あれば今生を十分片付けられると言っていた。

死って、できたら考えたくはない。
暗いし、痛そう。

ただ、間違いないのは、全員にそれはやってくるということ。どんな形であれ、受け入れなきゃいけないこと。

生きるから死ぬのではなく、
死ぬから生きるのでもない。
それは、表裏一体で、生きていながらも死んでもいる。常に抱いているものなのかも。

此岸と、彼岸という話もあった。
こちらが生。あちらが死。間にひとつゆるい境目があるだけだ、と。

とくに暗くなることもなく、ぼくは自然に『死』について考えている。
そうすると、『生きられるのは、死ぬまでの間だ』というシンプルな結論にぶつかる。

それが、真実なんだ。
やれることを、やろう。
生きているうちに。

今日のnote。

気になったnoteをピックアップ。浅生鴨さん。「ADHDだから…」とかよく聞く気がするし、一部ではたしかにファッション的に、アイコン的に語られている。当人にしかわからないツラさもあるということに思いを馳せたい。


おわりに。

今日はいつになく『死ぬ』ことについて書きました。暗くなってしまっていたら申し訳ありません。
ただ、いつも考えていることはないかもしれないけど、いつだって胸の中のヒョイっと見えそうなところに置いておかないとだなって思います。
それらは、いつのまにか見えなくなってしまうものなのだから。

気持ちよく晴れた日だったなあ。


ぼくも誰かの応援をしようと思います!