見出し画像

確信は予感の折り重なった地層から出て

苦手な人がいる。
彼女と出会ったのはつい何ヶ月か前のことだけど、初対面からなんとなく予感はあった。
「きっとこの人とはうまくやれない」という予感。
深く付き合わなければよかったものを、年齢的に近いことや似た境遇にいたことからずるずるとプライベートな付き合いをはじめてしまった。
彼女からも同じためらいを感じたのに、互いに抱いた興味には勝てなかった。
そうして話をするうち、緩やかに価値観のズレが深くなって結局修正できないところに行き着いた。
予感はずっとあったのに、衝動には勝てぬものなのだと痛感した。

なんだか恋の始まりのようであるが、あくまで苦手な同僚の話である。ただ苦手な同僚の愚痴が言いたいだけ。愚痴noteです。なんかごめん。

なーーーーーんか合わないのって最初になんとなく感じるのになんで結局自分から後悔しにいくのか!?別に初対面じゃなくてもなんか最近合わないなーって多分お互いに思ってんのに近況報告のLINE来たら返しちゃうよね。あれなんで来んの?来たところでなんで返してんの?こういうの太古の昔からきっとあったよね多分。知らんけど。清少納言と紫式部とか(清少納言って清少 納言じゃなくて清 小納言が正しいって本当?)絶対お互い仲良くなさそうだけど家臣とかに「あの人最近元気かな?」とか探り入れあってそうじゃない?そもそも生きてた時代被ってんのかも謎だけど。あいつ絶対合わないしムカつくのになんか気になる!的な。案の定聞いてイライラする みたいな。

はぁ

でもまぁ 予感が当たるのは何も悪い予感だけじゃない。
いい予感もそこそこ当たる。
美味しそうな店を横切ったとき、推せそうなアイドルみつけた時、転職して目が合った時微笑んでくれた人、コンビニ新商品 などなど
「多分いい」って思ったものって大体いい。

そしてよくても悪くても何かしらの確信を得る時、それは積み重なった予感の中から掬い出される。
ここで肝要なのはその確信は必ずしも論理的な行動の源になるとは限らないってこと。
辛い。まじでしんどい。わかっているのに止まることも進むこともできないということは思っているより辛い。自分が得た確信に従えないことはつまり、自分を裏切ることであり下手したら自己否定になりえる。

それでもなんか興味関心には勝てないってなんだか…しかもそれが良い方向に働くこともあるから一概に否定できないのもね!!!なんだか!!!

結局私はまたこの記事にオチをつけることができない。書きたいこと書きたいまま書いちゃう。なんかでもそれ書く前からわかってたかもしれない。これもまた確信に近い予感を無視しての行動で笑う。

自嘲的な微笑みを抱いて今日はもう寝る。いつか勝てるといいよな、興味関心に。無理そうですけど。

この記事が参加している募集

振り返りnote

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?