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モノは呼ばれたようになる

世の中にはライターは沢山いるし、一億総ライターの時代だ。

何も書いていないのにライターを名乗るのは流石に問題があるが、どこかで一度でも物を書いたことのある人であれば全く問題はない。それは食えている食えていないにかかわらない。

そして、何事もモノは呼ばれたようになっていく

大学の時、「ジャイアンの妹の呼び名」をあだ名としてつけられている子が居た。

女子は彼女のことを名前に「~ちゃん」付けで読んでいた。でも、男子は大体そんなひどい呼び方をしていたような気がする。さすがに面と向かって呼ばれていることはあまりなかったような気がするけれど、本人もそう呼ばれていることは認知していた。

彼女がそれに似ていたかどうかはここでの言及は差し控えたい。

……いや、やっぱり言おう。似ていた。正直似ていました。立派な体格もおおざっぱな性格も似ていました。ごめん。

でも聞いてくれ。

ここで大事なことは彼女がジャイ子と呼ばれていたことではない。彼女は少なからず名前に「~ちゃん」付けで呼ばれていたし、その時の方が不思議とかわいらしく見えたということだ。名前マジックだ。
もちろんそんなことは本人は意識していないと思うけれど、「~ちゃん」と呼ばれる方が角が取れて柔和にも見える。

「おかしなあだ名で呼ぶ人に愛想よく答える義理なんてないだろう」と言われそうだけど、事実として呼ばれ方で見え方が変わっているように私は思っていた。

多分それは相乗効果なのだと思う。

一方がその名前で呼ぶことで、呼ばれた方がそれに呼応する。先生と呼べば、自分は先生なのか……と思って先生らしくなる。卵が先でも鶏が先でもいいけれど、呼ばれた瞬間に「呼ばれ方」に向かって走り出すのだ。

そのくらい「呼ばれ方」は大事なのではないだろうか。そして、同時に「自分がなんと名乗るか」も大事、ということだろう。
実態がどうであるかはともかくその人自身がそう名乗れば、周りの人はそう呼ぶ。そうして形も何もなかったものが作り上げられていく。

そして肩書きや職業だけでなく、どんなささいな「呼ばれ方」「呼び方」でもその影響は確実にあるのではないか、と私は考える。

ところで、うちの子が最近泣くと「へむ~」って泣く。

だから我が家では「どうしたへむへむ!?」って茶化して呼ぶけど、このままいくと本当にへむへむになってしまうかもしれない(そんなことはない

ついでに言うと、我が家では「BUMP OF CHICKEN」の呼び方は「バンチキ」だし、マキシマムザホルモンの呼び方は「マキザホル」だ。
世の中にバンチキ呼びが流行るまで布教したいと思っているとか、そんな崇高な目的は全くない。単にひねくれているのだろう。

でも、もしかしたら数ある世帯のうちのひと世帯がそんな呼び方をすることで、少しづつ近づいているのかもしれない……「バンチキ」に。


#エッセイ #呼び方 #名前 #呼ばれ方 #肩書き #バンプオブチキン #マキシマムザホルモン

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)