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良いステレオタイプ

 先日、家事をしながらTBSラジオ『荻上チキ session』を聴いていて、ちょっと気になることがありました。後から内容をもう一度ちゃんと確認してから書こうと思っていたのですが、その放送がいつだったか覚えておらず、見つかりません。



 ながら聞きだったので話の前後関係を覚えていないのですが、「ブラジルでは日本人が歓迎される。それは、日本人移民や日系人が長い年月をかけて現地の人たちからの信頼を得てきたからだ」というような内容のことを、どなたががおっしゃっていたのです。私の誤解釈でなければ、そのコメントの主旨は、「だから在日外国人もそうなるよう頑張ってほしい」というところにあったように思われ、心に引っかかるものがありました。




 昨年のサッカーワールドカップで、日本人がロッカールームや客席をきれいにして帰ったことが世界中で称賛されました。海外に住む日本人としても誇らしく、嬉しく思いました。でも、「日本人は綺麗好きで公共マナーが良い」というステレオタイプが定着するのは良いことかと言えば、そうでもないと思うのです。ポジティブなステレオタイプは、ネガティブなステレオタイプと同じぐらい有害になり得るからです。


 息子が高校生の時、「僕がメガネをかけたアジア人男子だからって、こぞって数学の分からない問題を質問してくるのほんと困る」と困っていたことがありました。また、勉強が苦手で勉強から逃げるように芸術分野に進んだ娘も、勉強が苦手であることをいくら訴えても、「またまたご謙遜を〜」と信じてもらえず、それどころか、言えば言うほど謙虚アピールみたいになることをぼやいています。それほど、アメリカでは「アジア系は勉強が得意」というステレオタイプが浸透しており、それで困っている人もいるということです。

娘が編んだ父親像


 かくいう私も、ついステレオタイプに基づいた偏見を抱きがちです。


 以前、地元の教会でのことでした。聖歌隊のガウンを着た黒人の男女5、6人が颯爽と前に出て並んだので、おぉ、本物のゴスペル!と胸躍らせてたら、なんというか、驚くほど普通だったのです。決して平均以下というわけではないのに、どこかガッカリしてしまったのは、『天使にラブソングを』的なレベルを勝手に想像していたこちら側に問題があったのです。同じように、黒人なのにリズム感がないとか、バスケができないとか、走るのが遅いとかで、世間からの勝手な期待値に迷惑を感じている人は、意外と少なくないのではないかと思うのです。


 さらに、ポジティブなステレオタイプが有害なのは、特定のグループの賞賛の裏には、比較対象となる別の特定のグループに対する侮蔑が往々にしてあるからなのです。「〇〇人は素晴らしいね。それにひきかえ、〇〇人と来たら……」といった具合に、潜在的レベルで、特定の人々をこき下ろす目的で他のグループを褒め称える、ということもあるからなのです。


 ステレオタイプというのはある程度の調査や統計を基に作られるので、そこに一端の事実が含まれるのも確かです。例えば、「黒人男性のグループが前から来て、怖かった」と言う人の根拠は、「アメリカの受刑者に占める黒人男性の割合が大きい」という統計的な事実に基づいているのですが、これは、統計の使い方として正しくないのです。その統計が取られた意図は、アメリカ黒人の犯罪率が高い背景には奴隷制があり、南北戦争後から現在に至るまで、その傷跡を治療する社会体制がいまだに実現できていないことを炙り出すところにあるのであって、個人を判断するために使われるものではないのです。

 前述したように、これはうっかり自分自身もやってしまいがちなのです。人間関係で、自分と違うところを理解しようと努めるあまり、どうしても、男とか女とか人種とか民族とかの大きな括りで判断を急ぎがちなんですよね。



 考えてみれば、「レッテルを貼るな」とは80年代のツッパリも言ってたことだし、全く新しい考えでもないですね。偏見で人を判断してはいけないことを人生で最初に教えてくれたのは、金八先生でした。

 腐ったみかん、あれです。

今訪れているモントリオールで。バンクシー?!

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