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客が店員にお礼を言うアメリカ



 90代の知人、Eさんを週に一回訪ねています。


 日系人のEさんは、ご主人と一人息子に先立たれ、お孫さんや親戚もいらっしゃらないので、お裾分けできるものがあったら持って行って差し上げるのです。こちらも空の巣なので、食べきれないパンや煮物など食べていただけたら、都合が良いのです。疲れさせてしまってもいけないので、一言二言交わすだけで帰ってきます。


 数年前に息子さんが亡くなった時、ふだん必要以上はものを言わないEさんが、ぽつりと一言、


「とうとう一人になっちゃった」

と目に涙を浮かべて言ったことが頭から離れず、彼女のことを日々気にかけている人がいることを知っていて欲しいなと思いました。そしてまた、私自身が親から離れて暮らしているので、親が同じような状況になった時、同じようにしてくれる人がどうか近くにいますように、なんて願っています。



 先日、食パンを焼いたので、スライスしてEさんの家に持って行きますと、家の前でEさんが佇んでいます。外に出てらっしゃる時は、たいがい草むしりをしていたり落ち葉を掃いたりしているので、どうしたものかと思いながら車を路肩に寄せていると、ゴミ収集車がやって来て、Eさん宅の前に止まりました。するとEさんはトラックに近寄り、小さな身体を思いっきり伸ばして、手に持っていた袋入りのお煎餅を一枚、運転手に手渡したのでした。運転手は慣れた調子で受け取り、ゴミを収集して隣の家へと進んで行きました。


 こちらのゴミ収集車は、地域ごとに決まった収集日に家を一軒一軒まわり、通りに出してあるゴミ箱をロボットアームで持ち上げて荷台の上でひっくり返し、ゴミを積みます。軽い認知症を抱えたEさんが、毎週こうして収集車が来るのを待ち構えて作業員を労っていることを知って、心が温まりました。そういえば、彼女の郵便受けの上にはいつも未開封の水のボトルが置いてあります。こちらは恐らく、郵便配達員への配慮でしょう。



 Eさんの優しさと気配りに頭が垂れる思いでした、とここで良い話として終わっても良いのですが、正直なところ、私はどこか釈然としないものを覚えたのです。と言うのも、ゴミ収集作業員や郵便配達員が、彼女の労いに値するような働きをしているのか、甚だ疑問だからです。

 この辺りのゴミ収集作業員ときたら、ゴミ箱からゴミが道にこぼれ落ちてもそのまま。ロボットアームから下ろしたゴミ箱が倒れても、車から降りて戻すことはせず、倒したまま。そして郵便屋さん。度重なる配達ミス。小包など、「今、投げたよね?」というような乱雑な扱い、等々。愚痴ることはあっても、差し入れをあげることなど、私は今まで考えも及びませんでした。


 実は、私は日本で、これと真逆のことを感じたことが多々あるのです。


 去年帰省した際、実家から最寄駅まで歩いていたら、下水工事をしていました。掘ってある所は安全のため三角コーンやバーでブロックしてあるのですが、さらに工事区間の両端に作業員が立ち、通行人が来る度に「ご迷惑をおかけしております。足元にご注意ください」と言いながら、深々と頭を下げていたのです。



 私は仰天しました。暑い中、町のインフラを整備してくださってありがとうございますと頭を下げるべきは、こちらではないかと。恐縮のあまり私も深々と頭を下げて、おつかれさまです、と返しました。



 他にも、飛行機から降りたら「お疲れ様でした」と迎えてくれた羽田空港のグランドスタッフ、ファストフードなのにトレイを片付けてくれたマックの店員さん、チップがもらえるわけでもないのに丁寧にサイズを測ってくれたランジェリーショップの店員さん……。


 日本の人は、アメリカ人に比べ、労働やサービスにおけるプロ意識が高いのです。少なくとも、職場ではプロ意識を持つべきである、という認識が共有されている。対して、アメリカでは、マニュアルに書いてない労力は意地でも提供すまい、と思っているかのようです。



 一番納得がいかないのが、アメリカのスーパーマーケット。客の方が店員にお礼を言う習慣です。いくらレジに長い列ができていても、あくびをしたり雑談をしながらチンタラ働く店員さんからレシートを手渡された時に「サンキュー」と言わなければならない時の不条理よ。向こうからは「お買い上げありがとうございました」的な台詞は一切なく、形式的に「Have a nice day」と言うだけ。「おいおい、サンキューはお前だろ?」と脳内で毒づきながら、おずおずと引き下がるのです。


なんでしょう、これは。質の悪いサービスに頭を下げるアメリカ。対価以上のサービス提供を当たり前と思っている日本……。この文化の違いに納得のいく分析ができないものかといつも考えています。



 このようなことを考えていると、自分はいつまで経っても、万年留学生だなと思います。

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