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今日のだいじな気づきを気ままに。

自由な日。スマホの電源を切って朝から家で映画を見た。
映画はいつぶりだろう。
こういう時間もいい。

最近、無意識に必要以上の情報に触れすぎて少し疲れていた。
多分、虚無感や何らかの不安などから、やたらとスマホの中にある様々な情報に執着していたのだと思う。

自分を満たす外部からの何かを求めすぎていたかも知れない。

それによってかどうか分からないが、自分時間における集中力が皆無なことが多かった。散漫も散漫。思考が散漫なのは別に悪いことだとは思わないが、度が過ぎると楽しいことも楽しめなくなるという支障がある。

自由なのに、自由じゃないような。
何かしているようでしていないみたいな。
虚無に縛られたような、そういう感覚も度々ある。

しかし、自分が今本当に自由であることに気づいて真っ直ぐ見つめることができると、部屋にいるのにどこか遠くの見知らぬ土地に来たような新鮮な気分にもなれる。

今は少し寝不足で眠いが、心はなんだか高揚している。
寝不足の休日というのは、いつでも休めるという安心感があるからこそワクワクできるのかもしれない。

休みの日に限って早起きできるのは、いつでも思い立ったらまたすぐに休めるという保証があるからだ。

今日はもう夜までスマホの電源つけないようにしよう。
ネットを使える電子機器はパソコンのみ。素晴らしい。

さらさらつるつるのスマホの画面より、この打ち心地のいい富士通のキーボードの方が私は好きなんだ本当は。

たった一つの電子機器の使用を制限しただけで、思考が幾分自由になる。

どこか旅にでも出たいようなそんな気分でもある。
それは映画の作用かもしれない。

希望っていいよね。希望ってやっぱりいいよね。

うん。確かに。「ショーシャンクの空に」という映画を初めて観て、あー希望ってやっぱり持っててもいいかもなと思った。期待と希望は違う。

なるほど。信じるのともまた違う。「信じる」にはどうしても厚かましさを感じてしまうが、希望は、いいかもしれない。

希望にも多分色々あって、私はさわやかな、自発的な希望を持って生きていきたいなと、ふと思った。

それから、人生って、楽しいことに無意識に熱中しているような感覚をどれだけ味わえるかがが大事だと思う。色んな熱中の欠片が積み重なってできる厚くて熱い人生が理想。

いや、そんなに熱くなくていい。熱中について書いてたら冷涼感がほしくなってきた。さわやかな安らぎも必要だね。

でもとにかく今は熱中の感覚を、自分が望むほどは味わえていない。そうか、私には熱中が足りていないんだ。自由の実感の上に成り立つ熱中。

今年のGWは暦をガン無視で働いたり休んだりしてて、丁度よく自由を実感できるGWだと思う。

ガッツリ働き過ぎるのもガッツリ休むのも、今の私には向いてない。
と、つくづく思う。
前者は自由を渇望してしまうし、後者は自由を忘れてしまったり、反対に自由を感じすぎて失うのが怖くなる。

今の私の脳内には、5月頭はバイト多めなので今のうちに自分時間を、という意識もあるのだが、そういう考え方自体が自由な心を制限する気もしている。

本当は、いつだってどこでだって自由なんだよ。

ふふ。何を書いてるかよく分からなくて面白い。
こういう日の自分の文章を見返すと思考の気ままさが全面に出てる気がする。

嫌いじゃない。

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