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短編小説「ソドシドレラレ」

 胸を張って自慢できる何かを、中学生の僕は常に探していた。勉強も、運動も、人間関係も、なんだか中途半端で宙ぶらりんな状態だった。


 あと2ヶ月で3年生になろうかという時期に、クラスの思い出を残そうということでクラス文集を作ることになった。一人一人がA4用紙1枚に1年を振り返って作文を書き、全員分をまとめて1冊の冊子にすることになった。僕も1年間を振り返って林間学校や学園祭などの思い出を書き綴った。
 出来上がった文集にはクラスメイトが各々の思い出を書き綴っていた。僕と同じように林間学校や学園祭のことを書いている人もいれば、クラス合唱のことや部活動の出来事を書いている人もいて、なかなか読み応えがあった。
 クラスメイト全員分の作文の後のページには、「クラスメイトの順位」というコーナーが載っていた。いくつかの質問に対して、該当するクラスメイトを第3位まで発表してあった。そういえば、この作文用紙が配られた時に、文集をまとめてくれる文集委員がアンケート用紙を一緒に配っていた気がする。たしか僕はアンケートを書くのを忘れていたというか、目も通していない状態だったな。アンケートの提出日に風邪をひいて学校には行かなかったから存在自体を忘れていた。
 何気なくそのページを読んでみた。「頭が良いのは?」「モテそうなのは?」「友達が多そうなのは?」「運動神経が良いのは?」「歌が上手いのは?」「絵が上手いのは?」などと質問があり、それぞれに3人ずつ名前が書かれていた。
 僕の名前は1つも無かった。そりゃあそうだ。僕はクラスの中ではあまり目立たない方だ。かといって、ずっと1人ぼっちで過ごしているわけでもない。昼休みや放課後は仲の良い友達と一緒にいる。部活動だってソフトテニス部に入っていて、足の速さや持久力も中学生男子の平均くらいだ。勉強に関しても学年平均よりも上の成績を毎回キープしている。ただ、「頭が良いといえば?」と言われたら僕の名前は排除されるくらいの順位だ。モテる……とは口が裂けても言えないし、歌や絵が上手いかと言われれば、そうでもないという回答に落ち着く。
 僕の名前が書かれていないそのページをしばらく眺めていた。名前のあるクラスメイトを想像する。
 そうそう、アイツは1年生の時から先輩の試合に出場していると聞くし、アノ子はたしかにモテるだろうな。アノ人がテストで点数を落としている姿なんて見たことがないし、アイツは誰とでも仲良く話せるもんな。
 納得の結果だった。
 なんだか僕は焦っていた。いや、僕の名前が無いのが不満だということではなくて、僕って周りからどう思われていたのかなと急にそんな考えが浮かんだ。同じクラスの仲間が回答したアンケートなのだから、それぞれがそれぞれの質問に対し、クラスメイトの顔を思い浮かべたはずだ。果たして僕の顔は誰かの頭に浮かんだんだろうか。もしも浮かんでいなかったとしたら……。
 もちろん、僕以外にも名前が載っていない人は沢山いる。クラスの人気者やお調子者の名前が重複して見られる質問もあるから名前が無い人の方が多いはずだ。それなのに、僕は焦ってしまっていた。



 文集が配られてから数日経ったある日の音楽の授業での出来事だ。
 この日はクラス全体が暗い雰囲気だった。それもそのはずで、リコーダーの実技テストがあるからだ。頭の良いアノ人もスポーツ万能なアイツも険しい顔をしているし、その焦りを友達と共有して慰め合っている。僕だってリコーダーのテストは嫌だった。
 授業と授業の間のわずかな休み時間でさえクラスメイトはリコーダーの練習に充てていた。音楽室はリコーダーの音で満たされてうるさかった。
 音楽の先生が授業のチャイムと同時に音楽室へ入ってきて、リコーダーの雑音はピタッと止んだ。
 学級委員の号令で授業開始の挨拶を済ますと、先生からテストの形式説明があった。先程のリコーダーの雑音はクラスメイト全員からの嘆き声に変わった。
 というのも、テストは個人で行うことになったからだ。僕達が想像していたのは、5人くらいのグループでリコーダーを演奏する形式だったからだ。さらにそれだけではなく、テストはクラスメイト全員が聴いている状態で行われるという。先生のピアノ伴奏に合わせてリコーダーを演奏するので、別室というわけにもいかず、先生もピアノ伴奏に気を遣わなければいけないので、何人ものリコーダーの音色を聴き分けるのは難しいようだ。もちろん、テスト中は音を出せないので、友達がテスト中に一緒に運指を確認するくらいの練習しかできない。
 そのような時間のかかるテスト形式のため、全体で数回課題曲を合わせた後はすぐにテストとなった。順番は出席番号順で、僕は
30人いるクラスで真ん中ほどの14番目だった。1番最初のアイツは自分の苗字を恨み、先祖を憎んだ。1番最後のアノ子は練習から本番までの間が長くて逆に緊張すると嘆いていた。
 遂にテストが始まった。テストを受ける人は前に出て、先生が演奏するピアノの側でリコーダーを演奏する。それ以外の人は自分の席で座って聴きながら自分の番を待つ。演奏中は先生の方を向いているからクラスメイトが視界に入ることは無いが、見られているという感覚が緊張感を煽る。
 みんなの前でリコーダーを演奏することがどれだけ緊張するかは、1番最初にテストを受けるアイツがミスをして音程を外した時に一瞬でクラス全体に伝わった。
 アイツがミスをした時、クラスの男子の中でクスクスと笑い声が起きた。それを聞き逃さなかったのは先生だ。先生は笑うことは良くないと、誰しもがミスをするものなんだから笑わずに真剣に聴いてあげてくださいと注意した。その後からは、その注意のせいで余計に緊張感が増した。
 先生からは、テストを終えた人に対して頑張ったことを褒める拍手を送りましょうと、新たなルールが追加された。僕達はそれすらも緊張感を煽る要素だと思った。
 ひとり、またひとりとテストを終えていく。苦しみから解放されて安堵の表情で席に戻る友達が羨ましかった。今のところ全員がどこかしらでミスをしている。お調子者のアイツなんかは序盤の失敗でどうでも良くなったのか、まるでマリオカートで最下位が確定したから逆走して遊ぶかのように、その後の演奏をデタラメに行い、やる気が無かったなどと言い訳を吐いていた。僕はアイツが休み時間も頑張って練習していたのを知っているから、そんなこと言ったらもったいないのに、と思っていた。
 次の次で僕の番が来る。テスト終わりの拍手が、終わった人を褒めるのではなく、次の人を呼び出す合図に意味を変えていく。
 今更足掻いても仕方のないことだけど、リコーダーの運指を何回も確認した。
 次は僕の番だ。どうしようか、とても焦ってきた。
 いざとなるとあっという間にその時がやってきた。僕の番だ。

 先生のピアノ伴奏が始まって僕はリコーダーを咥えた。みんなの視線があると思うと心臓が張り裂けそうだ。
 課題曲を数十秒演奏するだけだが、何十分にも感じられるほどだ。緊張で息継ぎを忘れてしまいそうだ。
 しかし、課題曲自体は難しくない。緊張のせいでミスをするだけだ。落ち着けば、緊張しなければ必ずできる。
 みんなの視線が僕に集中している……のだろうか?
 そうか、元はと言えば、僕はクラスの中でも可もなく不可もなく平凡な生徒のはずだ。アンケートの記入の時に僕を思い浮かべた奴は……いてほしいけれども、今はいなかったと思うようにしよう。今だって、少し振り向けば、テストが終わった人は隣の人と何か話しているだろうし、他の人は運指の確認しているだろうし、全員が全員、手を膝に置いて僕を見つめているわけじゃない。
 そう思えたらリコーダーを咥える口元の力が少し抜けた。
 視線は先生のピアノを弾く指だけを見た。それなりに練習したはずだから暗譜できている。大丈夫だ。心の中で音階を呟いていく。

 ソドシドレラレ ドシラシドソ
 ソドシドレラレ ドシラシド
 ミミミ ミミミ ミレドレミ
 ミミファミレラレ
 ドドシミレド

 良かった。失敗することなく吹くことができた。ふと顔を上げると先生が満足そうに微笑んでいた。その後からクラスメイトの拍手が聞こえてきた。なんだか誇らしかったし照れ臭かった。

 「すごっ……」

 と、誰かが呟く声が聞こえてきた。
 その後も順調にテストは続いていった。幸運なことに失敗をしなかったのは僕だけだった。
 全員がテストを終えると、先生はみんなが良く頑張ったことを褒めてくれた。僕だけ失敗をしなかったことにはふれなかった。たかだか授業内のテストでそんなことをいちいち言う必要も無いのだから当然だ。
 みんなもテストを終えたことに安堵し、解放感に満たされていた。
 授業を終えて音楽室から教室へ戻る。
 僕も仲の良い友達と一緒に廊下を歩いている。教室へ戻る時の会話は今夜放送されるお笑い番組の話だ。

 僕が失敗しないでリコーダーを吹けたことを誰も喋らないのは当然のことだ。僕だってそんなことを自慢したらダサいことは分かっている。しばらくしたらみんなの記憶からも無くなっていくだろうし、取りたてて何か噂になるような大きな話でも無い。ましてや、「リコーダーの上手い人は?」なんて質問がアンケートで配られるわけでも無い。
 テストの点数みたいに数字で証明ができるようなことでもない。もう一度再現してくれと言われても難しいと思う。あの空気感の中で行われたことに意味があるから。
 形に残らない僕のちょっとした自慢で、僕の中にとどめておくこととする。
 でも、どこからか聞こえてきた「すごっ……」の声を僕は絶対に忘れない。





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