【本39】まずは、あなたのコップを満たしましょう

どこから、玉置妙憂さんを知ったのか思い出せませんが、

「最愛の夫を“自然死"で看取ることになるが、 その死にざまがあまりに美しかったことから開眼。
家族と職場に出家を宣言し、高野山真言宗にて修行をつみ僧侶となる。」という経歴、

そしてご主人の死の「”まるで樹木がゆっくりと枯れて“いくように、 おだやかに、美しく、旅立っていきました。」という表現がとても気になり、購入した本です。

私自身は「老後をどう過ごしたいか」ということを考えてはいるものの、「死」についてはあまり考えていなかったため、
妙憂さんの

死とは「生の延長線上にあるもの」「日常の地続きにあるもの」。
決して特別なものではない。

という言葉に、「死ぬこと」について考えさせられました。

自分のことを考えても、自分の周りの大切な人たちのことを考えても「死」というものは、「大切な人との別れ」を意味しているからこそ、怖いんだと思います。
とてもデリケートな話であるとも思います。

本書は、「死」についても書かれていますが、「生きること」、「人生」についても指針となる考え方が、やさしい言葉で、語りかけるように綴られています。

☆本の内容☆
「家族のため」「生活のため」「会社のため」と自分に言い聞かせ続け、無意識のうちに頑張りすぎていることが多いもの。
なぜ、自分のことは後回しにして、人のために全力を尽くしてしまうのか。
その理由の一つは、
「あなたも少しは休んでいいよ」
「頑張ってくれるのはありがたいけれど、あなた自身のことも大切にしてね」
そんなふうにアドバイスをしてくれる人が、今の日本では少ないから。

まずは自分のコップを幸せの水で満たしていいんだよ。
自分のコップが水でいっぱいだから、また誰かに分けてあげられる。
あなたのコップが空っぽだったら、ほかの誰にも分けてあげられない。

自分自身を十分に満たしてからでないと、周りのために貢献などできない。

「あなたのコップが空っぽだったら、ほかの誰にも分けてあげられない」
本当にその通りだなと思います。
空っぽにしてまで頑張ることは、自分のためにも周りのためにもならない。
まずは自分のコップが満たされていないと、『誰かのために』と力になることもできない。
私が今感じていることは、これなんだな、と心にスッと届きました。
みんながコップを満たせるようになってほしい、その手伝いをしたい。
もちろん自分のコップも満たしてね。

人生を他人任せにしない。
人生の舵取りは、いかなるときも自分自身で行うべき。
それこそが、幸せを得るための正しい手段。
たとえどんな道を選んだとしても、あなた自身が選んだ道ならば、それはなにより美しい花道となる。

自分の人生に責任を持つこと。
決断を人に委ねると、必ずそこには『誰かのせい』という思い込みが生まれてしまう。
「自分が決めたんじゃない」という言い訳を生み出してしまう。
自分が決めたことなら、誰かのせいにはできない。
そこから前向きに進む覚悟が生まれる。

諸行無常。
「同じところにとどまるものは何一つない」
あらゆることは、流れ流れて、変わっていく。
この世の中で見えていること、あるように思えていることは、実は何一つ“そのままのかたち”であり続けることはない。

この世の中は、すべてにおいて陰と陽が存在している。
良いことがあれば、悪いこともある。
うまくいくときもあれば、いかないときも、同じだけある。
極端な考えを避け、バランスよく生きること。

私たちは当たり前に変わっていく。
同じところにとどまることなんてできない。
良いことも悪いことも、自分に必要なピースの一つ。
どんなピースが届いたとしても、それは自分の絵の一部。
それをどう活かすかが、自分の人生の形を作り、鮮やかな色を放つことになる。
今がとても良い環境だとしても、必ずそこから変化する。
それが分かっていれば、怖がることなんて何もない。
もっと良い未来へ。
自分ができることはなんだろう?

負の感情は、早めに“手放すこと”が大事。
人間がイライラ、ムカムカするときには、脳内で「思考のチェーン」と呼ばれる負の連鎖が起こっている。
その思考のチェーンをスッパリと断つためには、「自分は〇〇のためにイライラしている」と気づくこと、つまり、客観視することが有効。

さらに、イライラやムカムカなど、負の感情に流されないために、誰でもできる簡単な方法が「瞑想」。

・誰からも声をかけられにくい環境をつくる
・ラクな服装になる
・床に座るか、椅子に座るか、寝転ぶかなどラクな姿勢を決める

〇体の中心線がストンと真っすぐに、地球の中心まで通っているとイメージする。
〇静かに、鼻から大きく息を吸う。
〇息を吸ったときの3倍の長さで、静かに息を吐く。
〇5〜10回繰り返す。
〇心の中でザワザワしているものが沈殿してくると連想する。
〇ざわざわしているものが沈殿してきたと感じたら、普段通りの呼吸をする。
〇頭の中にさまざまな思考が浮かんできても、それをすべて流して、考えないようにする。

瞑想中は目を閉じず、半眼にする。
目を閉じると眠ってしまう。
必ずではない。自分のそのときの状態によって、やりやすい方法で行う。
自分をリラックスさせることが目的。

普段の生活の中で、たくさんの思考が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え。
浮かんだ思考の中からまた違う思考につながり、どんどん広がっていく。
瞑想をしたことはないですが、自分をリラックスさせて、思考を整理することで、今まで見えなかったものが見えてきたり、新しいアイデアが浮かんでくる、ということはイメージできます。
自分のために時間を取ってみよう。

人は「後悔してしまう動物」。
決断に迷った時どの道を選んでも、後悔をしてしまうようにできている。
どんな経緯があるにしても「自分が決心して実行したことが、ベストアンサー(その時の最高の答え)」と考える。

たしかに、「あの時ああしていれば」と考えることがありますね。
でも、「あの時ああしていても」また別のことで後悔してしまう、と分かっていれば、気持ちの持ちようが変わります。
行動した自分の思いに寄り添い、それがベストアンサーになるように、これからの自分が変えていけば良い。

死とは「生の延長線上にあるもの」「日常の地続きにあるもの」。
決して特別なものではない。
そして人間は、自分で後始末ができる生きもの。

「粒」から「人」へ。
「人」から「粒」へ。
つまり、生と死は、次元ががらりと変わるだけ。
人にはそれぞれ「今生に生まれてきた課題」があり、それを達成したら、宇宙へ還る。
人間のなかでも、それぞれ流れる時間は異なる。
亡くなった方はすべて、今生の課題を終えられた尊い人なのだ。
「人より短い人生」でも「平均寿命より短い人生」でも、その人にとっては、それが最良の長さなのかもしれない。
自分の寿命を知ることはできない。
それなら「今できること」を精一杯頑張る。
もっと言えば「頑張る」必要もない。
死を恐れず、肩の力を抜いて過ごす。それが、その人も、その周りも明るく幸せに暮らせるコツのはず。



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