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睡眠薬をオーバードーズして救急車で運ばれた

タイトルの通り昨日?一昨日?睡眠薬を大量に飲んで救急車で運ばれたのだが、眠気はあるのになんとなく眠れないのでnoteを更新してみようと思った。


ここ最近は鬱だが決して重い鬱ではなく外出もできる程度の鬱だった。


引き金となった出来事がある。

その日私はこの街のいる唯一の友達とご飯を食べに行って、その後バーに行っていた。
楽しくて良い雰囲気だった。

でもバーで私の左隣に座っていたおそらく大学生と見られる若い男女2人組(女性の方はこれからフランス留学するらしい)と、彼らと話していたバイトの女性(彼女は大学院生らしい)の会話があまりにも将来の希望に満ちていて健康的で、たったそれだけのことなのに私は涙を抑えきれず何度もトイレに駆け込んで泣いた。

私は自分のやりたいことや目標があるのに双極性障害になってから一歩も前に進めてない。
定期的に来る躁や鬱のせいで継続して勉強をすることが出来ない。仕事もできない。死ぬほど悔しい。

彼らが大学生なのも死ぬほど羨ましかった。
私は大学に行きたくても行けなかったから。

高校生の時にフランスに留学した私はその後すぐに大学に入らないとせっかくの留学経験が無駄になることをよーく分かっていた。

高校生の時に留学経験をした人たちは大抵推薦で留学経験と語学力をアピールし良い大学にスッと入り、良い企業に就職する。
周りの留学仲間はみんなそうしてた。
それができなかった私は自分の留学は「失敗」だったと思っている。


大学に行けなかった理由は留学後母が癌になったからというのが主な理由だ。
子宮頸癌だった母は毎日相当な量の不正出血で貧血と痛みと闘っていた。
だから私は強制的に家事要員にされたのだ。
当時うちは5人くらい家にいたから家事の負担が大きかった。

この頃のことは本当に嫌な記憶で思い出すのも辛くなるくらいトラウマになっている。
周りの友達が島を出て進学して都会で学生生活をエンジョイする中、自分だけが家政婦のようなことをやっているのが恥ずかしくて惨めで苦しかった。
それと同時に母の癌がどんどん進行していき「死」が頭から離れない辛い毎日だった。

大学に入らないと留学経験が無駄になることを何度親に言っても聞き入れてくれなかった。
父親は「女の子だし短大でいいんじゃない」とか言うし、母親は「高卒でもなんとかなるよ」みたいなことしか言わなかった。

大体、沖縄に近い離島だから価値観も古いし大学もないし、周りで子どもを留学させるような親もいない島だから全然分かってくれないのだ。

私は自分なりに大学に入る重要性と今時高卒はもう通用しないということを必死で何度も何度も伝えたし、
「◯◯大学の過去問、こんな点数取れたよ!」
とか、とにかく必死でアピールしたけどダメだった。

結局3年ほどの闘病生活の末、母は亡くなった。
うちは父よりも母の方が稼いでいたので、母が亡くなってからはむしろ貧しくなった。
こうなったら大学どころじゃない。離島だし。家から通うこともできないし。
母の死は耐え難い苦痛だったが7つ下の弟はまだ中学生だったから、今度は弟の心のケアもしなきゃと必死だった。

少し話が逸れてしまったが、バーにいた若くて健康的で将来性のある3人を見て、この半年間一歩も自分の目標に近づけなかった自分との対比がとにかく辛かった。
それもなりたくてなったんじゃない、たまたま運悪くなった双極性障害のせいで。

それと同時に彼らが大学生というだけで過去の自分のトラウマが生々しく引っ張り出された。

若者が勉強に励んだり将来に希望を持って語ったりするなんて当たり前の光景だ。
こんなことでパニックを起こすような自分はまだ社会復帰できないんじゃないかと思った。

帰宅して、もう生きてる意味も分からなくて死にたくなった。
躁状態の散財のせいで次のカードの請求額もどうやって払えばいいのか分からない。
建築の専門学校に通ってた時の奨学金という借金もある。
躁状態の散財のせいでカードはもう上限いっぱいまで使っている。


そして、この病気は完治しない。


絶望しかないじゃん。

この状態でなんで生きなきゃいけないの?
この気持ち分かってくれる人がいるかな…。

人は大抵「死んじゃいけないよ」なんて簡単に言うけど、
「お前もこの生活半年続けてみろよ!
この病気なってから言えよ!」
と言いたくなる。

そんな気分。


これから数日間、夫は24時間私を見るように医者に言われてる。
夫の職場にまで迷惑かけてる。

大事なことなんだろうけどなんか嫌だな。
監視されてるみたいで。

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