2 死とは悲しいものなのか
死とは、ただ死ぬこと。
それは自然の摂理だ。当たり前のこと。
じゃあ、どうしてこんなに人は、誰かの死に対して嘆き悲しむんだろう。
きっとそれは、
その人にもう会うことができない状況に悲しんでいるんだと私は思う。
言い方を変えれば、
その人に会ったり話したり触れたりできない自分がかわいそうで、それに泣くんだと思う。
だってそもそも、死んでしまった時点でその人は「無」だ。その人はなにも感じないし考えない。
その人の中には、悲しいも辛いも悔しいも何も無い。
だから別にその人に対して泣いてるわけじゃないだろう。
一見、その人を想って泣いてる感じもするけど、実際はそうじゃない気がする。
もちろん、例えば早くに亡くなってしまったことに対してその人がかわいそうで泣く場合もある。それに関しては私はまだ経験してないので分からない。
あと、例えば友人の親が亡くなって、友人の気持ちを考えるとかわいそうで、、とか、その友人に感情移入しちゃってパターン。
私もあった。祖父をなくした祖母に感情移入しすぎてとてもしんどかった。
ただそれは、直接「死に対して泣く」という話では無いので、今回の話とは少し違う。それは二次被害みたいな感じだ。(使い方が合ってるか分かんない、、)
誰かの死そのものに対して、どうして人が悲しむのか。それがここで考えたいこと。
やっぱり、もう会えないという状況に悲しんでいるんだと思う。もうその人と笑い合えないという事実に。
そう考えると少し楽になる気がする。
少なくとも私はなった。
亡くなった本人は別に悲しんでるわけじゃないってこと。意外と忘れやすいこの事実に、私は少し救われた。
そして何より、
もう「会えない」「触れられない」
それは事実だけど、
私には思い出がある。
その人と過ごした時間がある。
直接は会えなくても、
その人と過ごした時間があったのは事実。
色んな話をしたり、笑いあったりした時間が私にはあった。
その事実だけで充分だと思う。
もう会えないけど、過去の記憶は私の中にずっとある。それで充分幸せだ。
そういうキラキラしたあったかい思い出を支えにして、私たちは色んなことを乗り越えていくんだと思う。
人間は永遠じゃなくて
でも思い出は、自分が生きてる限り自分とともにあるから。
多分、時には「もう会えない」って事実を急に実感して悲しくなることがあると思う。
そういうものだきっと。それは一生あるんだろう。
だけど、
会えない寂しさを、過去のあったかくて心地よい記憶が少しずつふんわりと覆っていく。
だから、だんだん普通に笑えるようになっていくんだと思う。
ずっと、親を亡くした人が普通に笑って生きていることが分からなかった。祖父も祖母も、父も。年配の方の多くはそうだろうから、本当に、不思議で不思議でしょうがなかった。どうやって笑ってるんだろうって。
きっと私は親を亡くしたらずっと塞ぎ込んで毎日泣いて、世界は永遠に灰色になるんだろうって思ってた。
でもそれってきっと、こういうことなんだろうなぁ。
悲しいのも寂しいのも事実で、その気持ちが根底にはずっとあって、
でも、あったかい記憶が少しずつ心をほぐして包んでいくんだろうな。
みんなそうやって生きていくんだ。
よし、私もがんばる。きっと大丈夫だ!
おわり
今の気分
お酒の楽しさが分かってきました。
おいしくはないけど!
でも、飲んでるうちに頭が重くなって、重力を感じます。で、だんだんぐるぐる〜ってなっていって、立ち上がるとグラグラ。
よくわかんないけど、なんか面白くって楽しいです。酔っ払うってこういうことか〜!
誰かと一緒だとやっぱもう全部楽しい!
みんなでワイワイするって楽しいなぁ〜
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