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3 お葬式をする意味について


お葬式ってなんのためにするのだろうか。

私は宗教とかを信じていないし、あまり興味もない。亡くなった人が極楽へ行く、とか、弔う、とか「ご冥福を」とかよく分からない。

そういう儀式的な意味はあまり分からない。


そのうえで。

お葬式って、のこされた人にためにあるんだと思う。
故人のためじゃなくて、のこされた人のため。


だって、これから生きていかなきゃいけないのはのこされた人だから。


もちろん、悲しい気持ちを共有したり慰めあったり。そういう意味もあるだろう。
悲しみを分かり合うためってことだ。


ただ、一番の意味は別にあると思う。
それは、

のこされた人たちがみんなで、
あの人はもういないんだ、っていう事実を受け入れる時間。みんなで少しづつ理解して、自分たちに言い聞かせる時間。
そしてその上で、あの人がいないこれからを生きる準備をする時間。

だから、親戚とかみんなで集まるんだと思う。
みんなで理解して、これからを生きていくために。


私は祖父の葬儀の時、大事な用事が3つあって、どれもとても楽しみにしてたものだった。

親も、遠いんだし無理することない、葬儀に来れなくても後ろめたく思う必要はないよ、って言ってくれて。それにはすごく救われた。

けど私には、行かないっていう選択肢はなかった。きっと、葬儀に行かなかったら私は祖父の死を理解できない。飲み込めない。
ちゃんと、「もういない」ってことを頭とからだで理解しなくちゃいけないと思った。そのためには葬儀に行かなければいけないと思った。

というか正直、もはや葬儀はどっちでもよかった。ただ、家族や親戚とともに過ごす時間が私には必要だったんだと思う。一緒にいることで、みんなで少しずつ理解して、事実を受け入れるために。


お葬式なんて、言ってしまえばきっかけだ。みんなが揃うきっかけ。
それさえあれば、お経も数珠も、たくさんのお花も必要ない気がする。
まあそれは多分、私がまだ子どもで、そういう儀式の意味を分かっていないから言えるんだろうけど。

でも、お葬式の1番の目的はやっぱり、みんなで集まって現実を受け入れることにあると思う。
それによって、
それぞれの、「あの人がいない人生」を始めるために。



これが、私なりに考えたお葬式をする意味。



おわり




今の気分
大人になればなるほど、浅い人間関係が増える気がする。
それなりの話をして、それなりに笑って、それなりに時間を過ごすことって多い。
そんな中で、
真面目な話を目を見てしたり、
好きなものへの想いをまっすぐ語り合ったり。
そういうことができるってとても貴重な時間だと思う!幸せだぁ〜♩
そういう出会いに感謝だなぁ🤞

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