【この肉体でできることはすべてやり切った】未練なくこの世を「卒業」していった20代女性からの伝言
「惜しい人を亡くした」「まだ若いのに」
普通ならそのような言葉が飛び交うだろう。
26歳の才能にあふれたアーティストな女性の死。
以前すごくお世話になった方の、娘のMちゃん。
Mちゃんを送る会に参加させていただいた。
Mちゃんはあるときから、自らの死を決めており、母親には話していたという。
共感力の非常に高い母親のもとに生まれ、最大限に彼女の才能は発揮された。今生でできることはやりつくしていたらしい。
彼女の作品を見せていただいた。
類まれなる才能をもった人だった。彼女の監督した映像作品も本当にすばらしかった。もっともっと、たくさんの作品をつくって多くの人たちを魅了してほしかった・・・
という想いもあるものの・・・
この世で生きていくのは窮屈だったんだろうな、とも感じた。
肉体があることでわたしたちは五感を存分に感じ、限りある命を謳歌することができる。だけど反対に大きな制限でもあったりする。思いどおりに動かない体だったり。思ってもすぐに動けないたくさんの課題があったり。あれこれやらない言い訳を考えだすエゴだったり。
その制限のなか、工夫しながら自分なりに表現していくことがわたしたちの使命であるとわたしは思っているんだけど、Mちゃんはもう、その域をとっくのとうに超えていたんだな、と・・・。
肉体をもっていてはできない大きななにか。
それが、この世を去ったあとの彼女の天命。それをご自分でわかっていた、ということ。
Mちゃんのお母さんはすべて理解していた。冷たくなり、もう二度と動かなくなった娘を愛おしみつつ、いまは、心の中でいつでも会話できるから、と。
Mちゃんの顔は非常に安らかだった。
もう動いている彼女には二度と会えない。生の声は聞こえない。
今までそこにいた人が、突然いなくなる。
そういう五感をともなった悲しさは膨大にある。やはり、あたたかさを感じ、触れ合い、声を掛け合い、目を合わせることのよろこびは計り知れない。
それでも。
彼女は「その次にある天命」を感じ、自ら死期を選びこの世から旅立っていった。
わたしたちはついつい「まだ若いのに」などと考えてしまうけど、すべてをやり切るのに年齢は関係ないのだなと強く感じた。その人が生まれる前に「設定」してきたものが、たしかにあるのだな、と。
やり切って亡くなった人とのお別れは、涙はともなうけど、ただただ「ありがとう」しかない。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。本当にありがとう。
Mちゃんから、わたしたち生きている人たちへのメッセージは
「自分が本当にやりたいと感じることをやって生きてほしい」
「やりたいことをやらない人生は、死んでいるのと同じだよ」
心していきたい。
わたしは彼女のことは、何度か見かけたし話を聞いたりしたけど
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