見出し画像

【パートナー氏は虐待サバイバー】「消えたい」よりも「身体ごと完全に消し去りたい」という思いで生きてきた

今年に入りパートナーが虐待サバイバーだとはっきり気づき、彼にも告げた。突然ふたりとも自覚した。それについて、わたしはなんの知識もなかったため、動画などあれこれ探している。しかし、発達障害ASDについての動画はいっぱいあって次から次へと関連動画が表示されてくるのに、「大人になった被虐待児」についてきちんと解説された動画というのは今のところ見つかってない。精神科医の先生の動画が1本あったけど、15分くらいで全然足りない・・・。そう簡単に説明できることでもないのだとも思う。なので、良さげな本を探して、少しずつ読んでいる。

最初に行き当たったのはこの本。高橋和巳先生の「消えたい」。

被虐待の体験をもった人の死生観は「死にたい」ではなく、「消えたい」なのだという。

「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。
「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
(中略)
一方、被虐待者がもたらす「消えたい」には、前提となる「生きたい、生きてみたい、生きてきた」がない。生きる目的とか、意味とかを持ったことがなく、楽しみとか、幸せを一度も味わったことのない人から発せられる言葉だ。今までただ生きてきたけど、何もいいことがなかった、何の意味もなかった。そうして生きていることにつかれた。だから「消えたい」。

目から鱗の話だった。「生きてきた」がないって? 生きてるのに?? わかるような気もするけどやっぱり想像のできない、異世界の話。パートナー氏に聞いてみた。

「『消えたい』っていう意味わかる?」

わかるわかる。「死にたい」じゃなくて「消えたい」なんだよね。自分の場合、自分自身をこの世から完全に消し去りたい、という気持ちがずっとあった。だから、自殺するなら未遂の可能性のない、完ぺきにやり遂げられる方法にする。たとえば飛び降りるのなら3階とか5階じゃなくて、30階とか50階とか。そして、人目につかないように、昼間じゃなくて夜にする。誰にも見つからないように。

でもやっぱりカラダごと完全に消し去りたいから、カラダもできれば発見されないところがいい。海の中とか。

とにかく消し去りたい。だから自分には、小さいころの写真もなにもない。卒業アルバムも全部捨てた。写真もいらない。自分という痕跡を、この世に残しておきたくない。

虐待から自殺する人の心理もわかる。とにかく、ずーっとずっと、大きな罪悪感を背負って生きてきているんだ。それがとうとうピークに達したときに、「聖なる自殺」をする。罪悪感をもう、これ以上背負えなくなったときに。だから、未遂することのない、完ぺきな消え去り方をするんだ。


わたしには「聖なる自殺」の意味がさっぱりわからない。でもそれは「聖なるもの」なのらしい。そして彼も、15年ほど前、ぎりぎりまで追い詰められたときにあと一歩で「消える」ところまでいったという。でも、なんらかの「だいじょうぶだ」の声が聞こえてきて、なんとか思いとどまったという。

彼のこと「虐待サバイバー」だとわかり、彼にそのことを告げてから、彼自身もそうだったのだと初めて自覚し(どうしてわからなかったんだろうとワタシは思っちゃうんだけど)、これまでの人生のいろんなことを答え合わせするように理解し始めている、という。彼は、幼少時や20代、30代のころの記憶で数年分抜け落ちているところがある。それらをつなぎあわせるように、少しずつ少しずつ思い出し、わたしに語ってくれる。わたしは、ただただ聴く。ひとつ話すと、数珠つなぎのようにいろんなことを思い出すようだ。そして、話すことで「手放している」ようにも見える。

向き合うことで相当な苦しさもあるようだけど、こうして少しずつ、手放す時期が来たんだね。まだ始まったばかりだ。





ご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートを励みに、今後さらに活動を広げていきます♡