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母というひと-065話

探偵Tの行動の密度が高かった理由は、今なら分かる。
フリーランスだからだ。

受けた仕事は最短期間で仕上げ、かつ実績を上げなければならない。
フリーランスは常に「たった今の実力」で評価される。
手を抜いて痛い目を見るのは自分だ。

対して企業に属する場合は
多少失敗しても、嘘をついても、サボっても
会社に損益を与えない限り、一定の給料が保証されている。
そこで「本気」を見つけることが出来ない人もいるだろう。
自分がフリーランスでライターの仕事をするようになった今、振り返ってみればその違いがわかる。

調査途中で「次の依頼も入ったので、ペースアップします」と言われて
(忙しいんだな)くらいに思っただけの当時の自分が
なんだかんだ言って世間知らずだったことを反省する。


Tは、最初の数日間はみっちり連絡を取り
私と母の意思に沿って方向性を定めた上で
私の仕事中は、メールで状況報告を入れながら動いてくれた。

ほどなく、前の事務所が示した部屋番号とは全く違う部屋へ、父が出入りしていることを突き止めた。

無駄な言葉なく一言だけ届いたTからのメールが強烈に印象に残っている。

『分かりました。11〇〇号室です』

やった!という思いがダイレクトに伝わってきた。
私も同じ気持ちだった。

数棟の建物を囲む外壁のオートロックと常駐している管理人の目をくぐり、
彼はどうやって部屋を突き止めたのか?

部屋が判明した後は早かった。
氏名、生年月日、家族関係を洗いざらい調べ上げ、
登記名簿により、その部屋がローンでなく現金一括で購入されていたことや、他の情報から高額な買い物をたびたびしていることなども判明した。

『独身、離婚歴なしで一生働いているなら
 多少のお金は貯めているのかもしれませんが』

とは言いつつも、そこそこの金遣いの荒さが見えた。

証拠は取れなかったが、母は、相手がマンションを購入した時期と父の定年退職の時期が近いこと、その時期に父が100万単位のお金を家から持ち出したことから、父がいくらかお金を出したのではないかという疑いに取り憑かれた。

Tの調査方法の詳細はここには書けない。
中には法ギリギリのやり方もあるからだ。

そして、とうとう相手の勤務先まで行き着いた。
会社名を知らされた母は、ショックで言葉を失った。

その女性は、父直属の秘書だったのだ。

Tは、身元を押さえるとすぐに証拠集めに移った。
父の行動パターンを、彼はこの数日間で把握しきっていた。

『今夜は動くと思います。静止画でなく映像を狙います』

動画には日付と時間が同時に残る。
写真でも悪くはないが
ビデオの方が一連の行動を繋げて残せるので、言い逃れができないということらしい。

父が動く時間帯は夜19時以降あたりだった。
私は仕事を終えてまっすぐ自宅に戻り、食事もそこそこにその時を待った。

『お父さんが相手の家に入りました。
 ベランダ側を張ります』

お願いしますと返しながら、(そう都合よくベランダに出てくるだろうか?)と不安が顔を覗かせる。

が。ちょろいもんだった。

スモーカーの父は、タバコを吸いにベランダへ出たのだ。

11階という高さながら、Tが用意した望遠カメラとビデオで、本人の特徴が分かる程度には現場を捕らえられた。
ベランダに置かれた一脚の椅子。
そこがいつもの場所なのだろう。
当たり前に窓を開け、外へ出てその椅子に座り、タバコに火を点ける。

一口吸うたび赤い点が、強くなり、弱くなり、
部屋の主が背後にいるのであろう、顔を振り向けて会話をしているような動きが見え、一本吸い終えると、消して、中へ入った。

他人が見れば、面白くもなんともない画だ。

けれど娘である私の目には、それがなんとも生々しく映り
……キツかった。

そこに、私たち家族が知らない父がいる。

この動画を、とうとう母は見れなかった。
「あんたが見て、確認してくれたらそれでいいけん」と言い、頑として見ようとしない。

母は、相手を知っていた。
毎年、写真入りの社員名簿が配られていたからだ。
そこにあったのは、どうにも冴えない中年女性の顔だった。

「なんちゅうことかね」
母は苦痛に顔を歪ませた。

それもそのはず、秘書Kの下の名前は、私の名前とほぼ同じ。へんが違うだけだ。
そして誕生日は、母と全く同じ日付の年齢違いだったのだ。

(どんな偶然?どんな運命のイタズラがあればこうなるのよ)
私もさすがに言葉が出なかった。

相手の情報の一つ一つが、母の心をえぐった。
そのどれひとつとして父に家族を思い出させず、不倫を思いとどまらせるに至らなかったことが、母には大きな傷となったようだ。

そして父は、彼女のことをたびたび母に聞かせていたらしい。
不倫をしている同僚の話として。

『男を知らない女は、ちょっと遊んでやるとその気になって面白いらしい」
『あんな見た目の悪い女でも、からかうと本気になる』『と同僚が話していた』など、など。

母は怒りで全身を震わせた。
「あれは自分のことやったんかね……
 ケラケラ笑いながら、ようもあんな話を私に聞かせたもんじゃ……」

そして父は、容貌にうるさかった。
母の顔が好きで結婚したと断言し、
私に対しては「俺の子なんだからもっと美人に産んだはずなのに、なんだお前は」とからかった。

それが、なぜ、こんな女性と。
若くもなく、美人でもなく。
母の自尊心は、おそらくここで壊れたのだろう。
ここからひどく精神を病んで行く。

「あんた、次は弁護士を探しておくれ。離婚するんじゃ。
 探偵の人には最後の支払いをしておくけん、ようお礼を伝えとってね」

母はとうとう、Tの名前を覚えなかった。
直接会って話すこともしなかった。
そして当たり前のように私に次の仕事を押し付けた。

私はTと最後に一度だけ直接会った。
「もう、お父さんの顔はそらで描けるくらい覚えましたよ」と笑うTから、
なぜかアシスタントにちょっとだけ誘われ、男性と同居中だと話すと「それじゃ時間無制限の仕事は難しいですね」とさらりと別れて、その後、二度と会っていない。

偶然とはいえ、今はTと同じ市に住んでいる。
彼は今、どんな依頼を受けているのだろうか。


余談だが、前の事務所から、Tの調査が終わりかけの時に突然電話が入った。
そして『担当の探偵が、お父様とお話しさせていただくと言っています』と
訳の分からないことを言い出す。

「調査対象に、調査していることをバラすと言うんですか?
 それは脅しですか?」
そう返す私に、電話口の担当者は慌てた様子で
『私が間違えたかもしれません』と言い、ほんの数分後に
『探偵が、お母様と直接お話しさせていただくと言っています』と言い直した。
「何のために?」と聞き返すと、満足に答えられない。

にも関わらず、図々しくも『報告書を法廷に提出するには押印が必要です。2千円で印鑑を押します』と言ってきたので
「結構です。調査は全て終わりました。不要です」と答え、着拒した。


もし探偵を探そうと考えている人がこれを読んでいたら、
Tが残してくれたアドバイスが役に立つかと思うので記しておく。

●最初だけ調子よく対応しておいて、少しずつ連絡が減るようなところは、サボっているか、腕が悪くて対象を見逃しているかのどちらか
●一日何時間動いたのか、何人で、車を使ったなら何台で動いたのかを明確に説明させること。依頼主に言えない筈はないので、教えてくれなければ怪しい
●相手の家が判明したら、家の外観や周辺の見取り図を描かせること。そこをどう歩いて行ったのかも説明させてみる。矛盾があれば何かごまかしているか嘘をついている
●相手の家が判明したのに、住所氏名や家族構成などの調べが進まないところはまともに仕事をしていない。こんなことは簡単に分かる

そして私からのアドバイスとしては
●依頼する前に数社の見積もりを取ること
●できれば数日単位で細かく依頼し、調査が進まなかったり、相手の態度がおかしいと思ったらすぐに引き上げて他の事務所を探すこと
この2点をあげておく。

とはいえ、見極めは難しい。
うちの場合は父が別居していたために行動パターンの確認から始めなければならなかったが、同居している相手なら、行き先や友人関係など、把握できることはあらかじめ自力で確認しておくことをおすすめする。
必要な部分だけ頼めば、出費が抑えられる。

そのためには、気づかないふりをして相手を泳がせること。
行動を書き残して一週間のパターンを掴み、明らかに怪しい動きをする曜日や日付が浮かび上がってきたら、その日に尾行を頼むやり方だ。
時間がかかりイライラするかもしれないが、「急がば回れ」である。

こんなこと、考えないで済むならそれに越したことはないけれど。

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