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高校球児のリアル

2019年 第101回全国高等学校野球選手権大会。
優勝した履正社高等学校、準優勝を手にした星稜高等学校、出場した高校、各地域の高校の全ての選手の健闘を心から称えます。


思いがけず、母校が夏の甲子園へ出場した。

それも春夏連続で。

私が通っていたはるか昔は剣道が全国ベスト8?ベスト4?には入るくらいの強豪だったが、その頃から徐々に野球にシフトしつつあると聞いていた。

しかし全く成績ふるわず、「全然ダメじゃーん」くらいに軽く友人達と笑いあって、それ以上話題にもしなかった。

ちなみに私がいたのはデザイン科の進学クラス。
スポーツ特待で入ってくる生徒は普通科なので交流もなく、どこか遠い話で流してしまいがちだった。

それが、今や県内では度々上位に食い込むようになり、ジワジワとその存在感を高めつつあると感じていたら、ついに甲子園へ!
育てるって恐ろしく時間がかかることなんだ‥と、今更に目からウロコの思いである。

数年前、高校野球をテーマにしたWEBサイトの仕事で、いくつかの強豪校を取材させていただいた。

福岡県は層が厚い。
訪問したのはいずれも甲子園で名前を見かけた事のある高校で、かつて優秀な成績をおさめたチームほど、選手の自覚は高かった。

野球はビールを飲みながら見るのが好き、程度の浅い知識を手がかりに、高校野球に対して平べったい憧れを隠しもせずに私は聞いた。
「卒業しても野球を?」と。
予想では「はい」と頷く笑顔が返ってくるはずだった。

しかし。

ある選手は表情を引き締めて、しっかりとした口調でこう答えた。
「自分の実力は分かっています。
 卒業後も野球に携われるなら、それは幸せな事だと思います」と。

一瞬、言葉が詰まった。

そこにあるのは、野球選手として自分の力量を測るシビアな目。
好きだから続けられるという簡単なものではない、厳しい現実だった。

楽しませてもらっているだけの自分の想像は、彼らがどんな練習をこなし、どんな苦しさを乗り越えながら毎日を進んでいるのかに、全く及んでいなかったのだ。
彼の言葉は、私の目を覚させた。

厳しいのは練習メニューだけじゃない。
食事の内容や量も、野球のために、選手として成長するために考案されている。
きつい練習で吐いた後でも、食べるべきものは食べて力を落とさないように整えなければならない。
悔しさに眠れない夜でも、眠って体力を回復させなければならない。

自分で自分をコントロールし、育てられなければ、「選手」たり得ないのだ。
そうやって体を絞って、絞って、作り上げて、一勝をもぎ取りに行く。

その姿のごく一片に触れたこの瞬間、自分を含め「甲子園を楽しみにしている層」が、もしかして彼らを消費しすぎているのではないかと初めて実感するに至った。

どんなに野球が好きでも卒業後に「選手」であり続けられる選手ばかりではない。
その現実と向き合いながらの三年間が、彼らの心にどんな経験を、成長を、思い出をもたらしているのだろうか。
卒業した後には、どんな場所でどんな形で野球に携わるチャンスを手にできるのだろうか。

このところ、投手の球数制限の話題が持ち上がっている。
反対も、賛成もある。
それぞれの意見に、ふむ、と感じさせられるものがあるが、問題は「この話題が持ち上がった原因」だ。
過去に、少なからず甲子園出場のために無理をして体を壊し、全てを賭けて没頭してきた野球の世界から離れなければならなくなった選手がいる事実だ。

その選手の人生へのリアリティを、その時に誰かが持てていただろうか。

燃え尽きる刹那の炎は美しい。
燃え尽きる素材を持たない凡人である私は、それが見たい。きっとそう思っている人はたくさんいる。
しかし、やはりそれだけで推し進めてはならないものがある……。

毎年、甲子園では素晴らしい試合を見せてもらって、選手たちには尊敬と感謝しかない。
だからこそ、消費で終わらせるような側面は見直さなければならない。

彼らのリアルは、彼らの人生、彼らの一生にこそあるのだ。
どんなに素晴らしい輝きであっても、たった一瞬だけで使い果たし、散らすわけには、いかない。


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