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私は、デザイナー、ライターにならなかった。

私はデザイナーになりたかった。でもなれなかった。そしてライターにもなりたかった。でもなれなかった。というか途中でその夢を持つことをやめた。なぜか。今日はそのことについて、長いけれど書いてみたいと思う。

私は2018年に今の会社、TANOSHIKA CREATIVEに「デザイナー」として入社した。

正確にいうと、私はちゃんとした会社員ではない。
利用者だ。
TANOSHIKA CREATIVEは就労継続支援A型事業所という、障がい者が一般就労に向けて社会的技術を習得しながら一定の支援を受けて、働ける福祉施設である。

私は障がいを持っていて、だから「利用者」として、でも「デザイナー」として、ここで働き始めたのだった。
デザインについては、本当の未経験だった。

PhotoshopとIllustratorから始め、Xdにも触れた。
支援員さんに丁寧に教わりながら、実際にお金をクライアントからいただくプロジェクトにも参加した。
とにかく、毎日が楽しかった。
一度、企業様の公式ホームページを作った時、企業様から直接「ありがとうございました」と何度も言われたこと、それから出来上がった制作物をみんなに褒められることも気持ちよかったし、うれしかった。
私はTANOSHIKAとデザインのおかげで、徐々に障害によって削られてきた「自信」を取り戻してきたのだった。

やがて私に夢ができる。
プロのデザイナーになる、という夢である。

私は、デザイナーの集まりに参加したり、デザイナーの支援員さんに何度も質問をして技術を吸収したり、最終的にはデザインのオンラインスクールにも入った。

デザインをすることはとっても楽しかったし、やりがいがあった。

しかし、渦巻く「なんか違う感」。

この「なんか違う感」を紐解くと「本当に私はデザイナーになりたいんだろうか」という思いだった。
「なんか違う感」というと、偉そうだが、その「なんか違う感」は、コーディングの勉強でつまづいた時とか、自分より上手いデザイナーさんに会った時、それからちょっと難しいプロジェクトを進めているときに、渦のように私を引き込んだ。
「なんか違う感」は苦しかったが、けっして安くない学費を払ったもんだし、周囲にも「デザイナーになる」と言っていたから、オンラインスクールは、一応卒業した。
しかし、オンラインスクールを卒業したあたりから、どんどんやる気を失った。

そして一度考えてみた。
「私はデザイナーになりたいのか」。
出た答えは「NO」だった。
なりたくない、心の底から思った。

私はそれから、事業所にお願いして、今度はライターチームに加入した。
ライターチームでは水を得た魚のように生き生きと仕事をし始めた。
そしてなんと、「Webライターになりたい」と言い出した。
「ライター」として食べていく!!
その夢に向けてひたすら書いた。
デザイナー時代より頑張った。
「甘くないよ」「そんな楽な仕事ではない」
そう言われつつも、一般就労として私は「ライター」もしくは「フリーランスWebライター」になるんだ!と頑張っていた。


「愛着障害に近いものがあるかもしれないですね」
とある日、主治医にそう告げられた。

愛着障害とは、乳幼少期に何らかの原因により、母親や父親など特定の養育者との愛着形成がうまくいかず問題を抱えている状態のことを言います。
乳幼児期の子どもは、自分の欲求や感情をうまく伝えられません。お腹が空いたとき、眠たいとき、オムツが汚れたときなどに泣いて周りに伝えます。そこで、母親などの特定の養育者が必ず自分のところに駆けつけて、優しい声掛けと愛情あふれるコミュニケーションをとってくれることで、子どもは安心します。

子どもは自分が安心していられる居場所を見つけ、養育者と共に生活していく中で愛着を形成していきます。この愛着は、今後の人生の様々な土台となり、心の発達には欠かせない要素になっています。

愛着障害のある子どもは、愛着形成から得られる自尊心や自立心、社会性などが育たずに成長していきます。大人になってから、社会の中で他人とうまくコミュニケーションが取れなかったり、自己肯定感が下がったりと「社会生活のしづらさ」を感じることでしょう。対人関係や社会性に困難がある大人の中には、愛着障害の可能性がある方もいると言われています。

引用元:https://osakamental.com/symptoms/20.html

びっくりした。
愛着障害といえば、愛情不足の人がなるイメージがあったから。
私は両親に愛情を受けて育った気がしていたし、「生い立ち」より心に傷があったとは微塵も思わなかった。
しかし、主治医と心理の先生と共に、その診断をもとにしたであろう、いろいろなアプローチを心にすることで、徐々に心境が楽になってきた。
生きづらさがなくなってきたのだった。

特にスキーマ療法を頑張った。スキーマ療法について詳しくはこちらの記事を読んでいただきたい。

自分を変えたくて、楽になりたくて、必死だった。そして、最後にこの本に取り組んでみた。先ほどの記事で出てきた伊藤絵美さんが作られた、スキーマ療法ワークブックだ。

スキーマ療法ワークブックでは、生い立ちを紐解いて、自分の生きづらさを解消していくようなワークブックである。
スキーマ療法ワークブックをし終えると、視界がパーっと開くような感じがあった。
嬉しかった。
今まで「生い立ち」によって、私はどれほど生きづらかったのだろうか、ということを再認識した。

ワークブックをしながら、私の心の中にあった謎の感情が消えていることに気づいた。

「有名になりたい」
「有名にならなければ、生きている意味がない」

という感情である。
強い強い思いである。

その思いが毎日のように自分に付き纏っていたのだが、ワークブックを進めることによって「ああ、私は愛されたかったから、注目を集めたかったんだ」と気づいたのである。
そして、すべての謎が解けた。

私は、「有名になりたくて、デザイナーやライターになりたかった」ということを。
そしてその感情は、ワークブックで紐解くと「愛されたくて、デザイナーやライターになりたかった」ということだった。

私はワークブックをする前は、工場勤務、スーパーの品出し、レジ打ち、接客、などいわゆる「クリエティブではない仕事」には就きたくないと思っていた。
「クリエイティブな仕事」なら、作品を世に発信ができる。
自ずと有名になる確率が高くなる、と思っていた。
しかし、先ほど述べた「クリエティブではない仕事」では、有名になることは難しい、と。
短絡的であるが無意識で考えていたことに気づいた。

私は「デザイナー」や「ライター」になりたかったのではない。
ただただ愛されたかったのだ、と気づいた。

この気づきは衝撃的なものであると同時に、自分を楽にするものだった。

様々な求人票に目を通せるようになったのだ。
自分の可能性も広がった気がした。

求人票を見ながら、ふと気づいた。
私の夢は「平凡でもいいから、大切な人を守って生きていく」というものに変わったことに。

私は今幸せだ。
きっとこれからも私は有名になることはないだろうが、それでもいい。
とても幸せだ。
本当の夢ができて幸せだ。満足だ。


長ったらしい文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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