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2018年12月26日の告白

わたしはありとあらゆる方法で、自分を傷めるのが得意でしょうがないという人生を歩んできた。
その一つに、嫌われたくない、愛されたいという強烈な欲望がある。
それは好きではない人にも愛されたいという、なんとも奇妙な矛盾と恐れ。
わたしは長い間、この気持ちを誰にも絶対に知られたくなかった。
この欲望をもっている自分を恥だと思ってきたし、正直に言うと、いまもほんの少しだけ思っていたりもする。そんな自分の見たくもない気持ちを綴るきっかけとなった、ある出会いがあった。

その人は、以前いた会社の10歳年下の先輩だった。

あまりにも仕事のできが悪かったわたしに、最後まで根気強く仕事を教えてくれた恩人だ。
思い出すのはいつも不機嫌そうな細い目。
感情をださず、怒っているのか機嫌がいいのかわからない平たい顔立ち。
何を考えているかわからなくて、最初はそんな彼に少し怯えていた。

それでも仕事を共にするうちに、彼のあまりにも純粋でキラリとした光、きっとその部分を守るために何回転もねじれてしまった核のような質を見た瞬間があった。
それからは怖さよりも興味のほうが膨らみ、わたしの退職の夜に初めて飲みに行ってからというもの、しょっちゅう一緒に食事をする間柄になった。

その頃の彼は、ずばぬけた能力で上司たちを圧倒するようなすばらしい仕事をしているくせに、実は驚くほど果てしなく自信がなかった。

自分の能力を自覚しているからこそいつも周りを見下し、それなのにいつも自分以外のものになりたがっていた。何かが手に入るとそれが叶うと考える人だった。
女にモテるとか、結婚して子どもをもつとか、お金さえあればとか。
そして、わたしにそんな自分を変えてもらいたいと望んでいるのがすぐにわかった。

彼が男性として付き合うに値しないことは、最初から明らかだった。
でもその頃のわたしは誰かに求められることで、自分を満たせると思っていた。
自分に価値があると誰かに証明してほしくて飢えていた。
付き合いたいわけではなかった。ただ、強烈に求められる存在でいたかったのだ。

だからわたしは彼に時間を費やした。
彼はわたしに時間とお金を費やした。

数えきれないくらいの夜を飲み明かし、スポーツ観戦に行き、温泉旅行に行き、買い物に行き、彼が年下の女の子と付き合いだしてあっという間に振られたときもそばで励ました。

振り返れば、それはわたしの自尊心が少しずつ死んでいくプロセスでもあった。
やっていたのは何かというと、彼のあまりにも悲観的な考え方を変えたくて必死にコントロールしようとしていただけだ。

そしてそれは面白いようにうまくいかなかった。

この人がよくなったら私も気持ちよくこの人と過ごせるのに。
いつもそう思っていたし、それが裏切られるたびにサジを投げたくなって、時間の無駄だと心では怒り狂っていた。

それなのに「この人に必要とされる自分であり続けたい」という不毛な願いにいつもギラギラとしていた。
そんな人間といて変わるわけがない。
わたしは「ただ求められたいだけ」という自分の欲望を見ないようにがんばり続けた。そして結果、ヘトヘトになった。

彼への苛立ちを笑顔でコーティングして会い続けるほど、わたしは勝手につらくなり、彼はますます会おうとした。
断っても断ってもだ。
わたしは彼に、「もう会わない」と伝えた。
それから約一年。連絡はなく、わたしもしなかった。
それが破られたのは12月に届いた、1通のLINEメッセージだ。

「久しぶり。
 まだ大阪にいますか?
 予定が合えば、また食事でもどう?」

 その軽やかさに思わず返信してしまった。

 
 「いーよー
  ご馳走してー^^♪」

  
 「オッケーです
  いつあいてます?」

  
 そうして私たちはクリスマスの夜に会うことになった。
 この日しか予定が合わなかったのだ。

 
 会う前にわたしは、過去を消去することに徹した。
 
 彼と過ごした、あの薄暗く奇妙な欲望に満ちたわたしも時間も、ここにはもうない。
 そう、わたしが自分の意思で、持ち込みさえしなければ。
 それくらいのこと、今なら簡単にわかる。
 
 過去というメガネをかけて、いまの彼に会うことだけはするまい。
 「いまここ」の彼と「いまここ」のわたしで楽しく過ごしたい。
 それだけを心に決め、店のカウンターで梅酒を飲みながら待っていた。
 
 彼は音もなく、わたしの隣に滑り込んできた。

「ひさしぶり」

「うん」 

 相変わらずわたしの目を見ようとはしない。

「何飲む?」

「生」
 
 わたしは生ビールを注文した。
 

 それから6時間、私たちはお店に誰もいなくなるまで語らった。
 何を話したか、多すぎて全部は覚えていない。
 
 好きなサッカーチームの応援団に入ったこと。
 試合観戦で九州に今年4回もいったこと。
 苦手な飛行機に乗るようになったこと。
 観戦で訪ねた長野の松本がすばらしい街だったこと。
 仲のいい友達ができたこと。
 静岡のおいしいハンバーグのお店の話。
 家族に起きた、大きな変化。
 
 わたしの目の前にいたのは、初めて出会う大人の男の人だった。
 どんな話をしていても彼の「いまここ」だった。
 穏やかに、自分の考えと感情を言葉にする態度とふるまい。
 一緒にいる間、めまいがしそうなくらい驚きの連続だった。
 
 成熟した一人の男の人が隣で飲んでいる。
 それはあの日、あのとき、わたしがずっと望んでいた彼だった。

 「本当に男のプライドっていらないなと最近思う」

 「男のプライドってなに?」

 「例えば・・・会いたいって思っても断られたらどうしよう、返信がなかったらかっこ悪い、恥ずかしいと思ってメールしなかったりすることだね。でもそういうの本当にくだらないし、バカバカしい。
 会いたいと思ったら連絡する。それでいいと思う」

 「だからメッセージくれたの?」

 「うん」

 「そっか」

 「本当に間あいたね」

 「そうだね」

 「それってさ、連絡するのを忘れるくらい充実してたってことじゃない? もしそうならわたしはそれが一番嬉しいよ。離れてても会えてなくても、そうして生きてくれているのが一番嬉しいんよ、わたし」
 

 そう話すと、彼はちょっと遠くを見るような目で言った。
 

 「うん・・・でも、本当はずっとさみしかったし会いたかったよ。一番の理解者だと思っているから。そしたら夢にでてきて」

 「え、夢にでてきたの?」

 「うん。あなたが夢にでてきて。だからこれはもう、本当に会いたいと思ってるんだなと思ったから、あの日メッセージしたんだよ」

 
 ずるい。反則だ。

 
 それがまるで美しい口説き文句のように聞こえて、一瞬たじろいだ。
 しかもタチの悪いことに、口説こうと思って言っていないのがありありとわかる。
 だから、わたしは彼の素直さ、柔らかさをそのまま受け取り、自分に染み込ませることに徹した。
 それは雪のように胸でゆっくりと溶けていった。
 

 ああ、昔の彼はもうここにはいない。

 ならば、もうわたしも昔のわたしではない。多分。いや、きっと。

 
 そうしてわたしは彼の話に耳を傾けながら「おいしい〜」「しあわせだー」という言葉を繰り返していたように思う。
進撃の巨人という漫画が好きで、もう終わってしまいそうなのが残念だ、といった話から、自分にとって大切だと気付いたこと、最近変だなと思ったことなどを、とめどなく語った。
それはとてもとても幸福な時間だった。 
 
 最後にクリスマスプレゼントだよ、とワインをいただき、わたしは自分で摘んだ長野の真っ赤なりんごを彼に1個渡した。そしてまた飲みましょうと別れた。
 
そのs翌朝、お礼のメッセージを書き終わって彼に送ろうとした瞬間、なぜか不意に涙が溢れて止まらなくなった。

わけもわからず、わたしはそのままごうごうと泣いた。
「なんで?」「なんで?」
そう何度も口に出しながら、わたしはひたすら泣き続けた。

泣きながら見えてきたのは、過去の二人だ。

家の近くのあの焼き鳥屋さんで。
本当の欲望や願いを、相手に悟られないようにひた隠しながら一緒に語らっていた、あのときのわたしがいた。
それが浮かび、ゆっくりと暗闇に消えていくのを見ていた。
ただ泣けた。泣いて泣いて泣いた。

いまの彼は、もうあの時のようなやり方で私を求めることはしないだろう。
自分の人生を、自分で立って歩き、変わっていくことを楽しいと思える人間になっている彼に、あの時のわたしのあり方は害でしかない。

それがとてもとても嬉しい。
ずっとずっとこれを望んでいた。

そして悲しい。
あの時のわたしはもう彼にはいらない。もう本当に必要ないんだ。

相反する感情が溢れていく。

それが涙と声を通して体の外へ消えていくのをただ感じていた。

ひとしきり泣いて、メッセージを送った。するとほどなく、ひとつのスタンプが届いた。

そこには、進撃の巨人の主人公・エレンが敬礼している横に「御意」の二文字。

あーもう。
本当にずるい!
思わず笑ってしまった。

大きく深呼吸をする。

願わくば、自分本位の未来を相手に押し付けるわたしでありませんように。
彼が彼の才能を可能性を開いていく道を、妨げることなく応援できるわたしでありますように。
そして、わたしがわたしの才能と可能性を信じ、生きていけますように。
そうやって生きていくことのできるわたしでありますように。

そしてもし、そんな自分で、あり続けられたなら。

もしかすると、あの頃には到底想像できなかった未来が開いていくのかもしれない。

いまはその可能性を無限に広げられる自分であろう。

ただ、そういよう

誰のためではない、わたしのために。

ずっとずっと愛されたいと願い、自分の価値を証明するために頑張ってきたわたし。

そのために相手を変えようと頑張ってきたわたし。

そんな過去を、自分の意思で立ち上げて、ゆっくりと「さようなら」を伝えた。するとやっぱり涙がでて、また泣いてしまった。

それがきょう、「いまここ」のわたしである。

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