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息をするように本を読む 6 〜三島由紀夫「お嬢さん」〜


 今年は三島由紀夫が亡くなってから、50年になるそうだ。
 私は小学生になったばかりだったのであの壮絶な事件についてはまったく覚えていないし、事の是非は論議するつもりはない。
 三島由紀夫の作品も多くを読んでいるわけではないので、あれこれと語る資格があるとも思わない。

 三島由紀夫の作品で有名なのは、やはり「豊饒の海」「金閣寺」「仮面の告白」とかなのだろうが、私が初めて読んだ三島由紀夫の作品は、この「お嬢さん」だった。
 中学の頃、父の本棚にあるのを見つけて勝手に借りて読んだ。
 大人の掌を大きく広げたくらいのサイズで、白や黒や黄色や赤のダイヤ柄の紙の箱に入った赤いハードカバーのきれいな本だった。出版されたのは1960年。

 この小説が、三島由紀夫の他の作品とはちょっと違うのだ。知らずに読んだら、彼の書いたものとは思わないかもしれない。

 主人公は、かすみという二十歳の女子大生。裕福な家庭で両親に大事に育てられた文字通りのお嬢さん。彼女の父親は某大手会社の重役、母親は(たぶん)いいところのお嬢さんで昔ながらの良妻賢母。
 しかし、この両親はかすみを旧式然としたただの箱入り娘に育てているつもりはない。いやむしろ、これからの時代、新しい時代に合った、そう、アメリカのそれのように自由で明るく、個人を大事にするニューファミリーを(このへんで、かなり能天気というか、勘違いというか、彼らのキャラクターがよくわかる)築ける女性に育てなければ、と考える。

 かすみは、そういう両親の望む、適度に自由で適度に真面目な、理想的な現代のお嬢さんを演じている。
 いや、演じていると自分では思っている。演じながらも、自分自身は現実をドライに冷静に醒めた目で見ているのだ、と思っているが、実際は親の手のひらの上で踊っているだけだ。本人もそれに薄々気がついているふうでもある。

 そんなかすみの前に現れた沢井という男。
 父親の部下で絵に描いたような好青年。かすみはもうひとつ気がなかったのだが、彼の裏の顔を知り、俄然、興味を持つ。
 父や母が自分を嵌め込もうとしているきれいな作り物のお人形ハウスのような結婚というものに、反逆者として爪痕を残してやろうと考えた。
 
 親友の智恵子がたまたま沢井の従姉妹だったこともあり、その助けを借りてかすみはいろいろと小賢しい知恵を働かせ、親たちを出し抜こうとする。

 早い話、親元でぬくぬくと育った世間知らずのお嬢さんがその穏やかなぬるま湯のような我が家をなんとなく物足りなく感じて、そこから脱するべくささやかな抵抗を試みるわけだ。

 その抵抗は果たして成功するのか。

 大事に育てられた二十歳のお嬢さんにありがちな、無知、無邪気、傲慢、その心の細かい動きが語られ、まったく、三島由紀夫はどうしてこんな小娘の気持ちの機微がわかるのだろうと不思議でしょうがない。「お嬢さん」というタイトルも効いている。

 三島由紀夫はこんな可愛らしいエンタメ小説も書くのか、と驚きたい方は是非読んでみて欲しい。

 父から借りた本の表紙の内側には作者近影が載っていて、三島由紀夫の穏やかな表情を覚えている。
 この本が出てから、あの事件まで10年。
 人の一生はわからないものだ。


 三島由紀夫の作品は他にも「潮騒」を読んだ。これもまた、三島由紀夫らしからぬ爽やかな純愛小説だ。これについては、まあ、いずれまた。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。


 本との出会いに深く感謝する。



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