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はずれっ子

昨日書いた『迷い子事件』から先、思い返せば私は、適切に人との関係を築けたことが無かったのです。

家では、妹の態度にイライラしてケンカをすることが多く、その度に「お姉ちゃんなのに、妹をいじめるなんて!」と、理由やキッカケも聞かずに叱られました。
唯一、いつも一緒に遊ぶ近所のAちゃんという友達が居ました。私はその子に付いて元気に外で遊ぶようになりました。もちろんケンカをする時もあります。
その時、私が一方的に従わされていると勘違いした母は、「Aちゃんはあなたを利用しているのよ。気をつけなさい」と言ったのです。
子どもというのは愚かなくらい親の言うことに従順です。
私はAちゃんが無条件に大好きでしたが、そんなことを言われるうちに『私がおとなしくて、何でも言うことを聞くから私と遊んでくれるのかもしれない』と思うようになりました。

実際には、それまで人との接し方を知らなかった私は、Aちゃんに付いて歩くことで、ようやく人間関係を学んでいたのです。
親ができなかったことを友達がやってくれていた。
その姿が、何でも友達の言うことに従っているように見えたのでしょう。
結果的に母は、その大切な『親代わり』の友達からからも私を引き離そうとしたのです。
それでも私たちはいつも一緒でしたが。

小学校に上がってからは、まともに友達と交流できた記憶がありません。
低学年の頃は、周りで起きていることの意味がよく分かっていませんでした。
友達と楽しく遊んだ記憶よりも、ヒステリックな担任からいつも叱られていた記憶があります。
担任は、いつもボンヤリして集団の輪を乱す私にイラついていたのでしょう。

そんな私ですから、中学年にはイジメの対象になってしまいます。
友達と意思疎通ができず、ボンヤリして集団の動きに従えないことも多く、担任から叱られてばかりいたのですから、当然の成り行きだったのかもしれません。

5年生になって、Aちゃんと同じクラスになったことで、Aちゃんを通して友達ができ、一緒に遊ぶようになりました。
自分ではまともに学校生活(人間生活)を送れるようになったと思っていたのですが、担任は私の行動の幼さに気づいて、母に「過保護に育っているのではないでしょうか?」と指摘したのです。
過保護という表現は、私がAちゃんの後をくっついて言いなりになっている様に見えた(要するに主体性が無いように見えた)からこその表現だったのでしょう。

人は、自力で社会性を身につけることはできません。
友達から学ぶことも多いけれど、その基盤となるのは、親とともに過ごし、親と同じ方向で相手に対応するすべを学んで行くことです。
よく、小さな子が親の後ろに隠れ、親と同じ方向を向いて、親が相手と接する姿を見ていることがありますが、あれこそが親目線を通して対人を学ぶ大きな機会なんですよね。
『怖い大人』が、だんだんと親と同じ交渉術を身につけることで、『交流できる人』になっていく。
だから子どもが親の行動によく似た行動を取るようになるのです。

私には手本となる『親』が居なかった。
居るのは、私の自発的な行動の芽をことごとく摘み取り、社会的交流を持とうとすることを阻み、外はみな敵だらけだから警戒しなさいと教え込む『監視官』だけでした。

親代わりの友達との関係も妨害され、学校の集団にポンと放り込まれ、学校の中で温かく包まれながら人間関係を学べるならまだしも、担任からは理不尽なことで厳しくされ、友達からはいじめられ、世の中は敵だらけで常に警戒をしていなくてはいけないということを覚えるしかなかった。

これまで、人と接するのが上手くできない原因は、私のひねくれた性格のせいだと思っていたのですが、これではどうやっても人と上手く接することが出来るようにはならないはずです。

私は素直な人間だけど、素直だからこそ、親の育て方、接し方に大きく影響されてしまったんだなぁと、ようやく腑に落ちた気がします。

私の性格が悪いのではなく
機会に恵まれなかったし、
機会を阻まれた

そう考えると、これから挽回のチャンスはいくらでもあるのでしょう。

唯一の関門は、年齢が高いだけに、容易に幼稚な私を曝け出すことは問題があるということ。
いまさら、誰の後ろに隠れて学ぶのか?
前に立つのは、自分自身しか居ない。

……まるで難解なクイズを解いている気持ちです。


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