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みちばたのデザイン

この記事は2023年MIMIGURIアドベントカレンダーの17日目(12月17日)の記事です。これまでの記事はこちらのマガジンにまとまっています

昨日は山里さんの「組織の中でうねりをつくる」が公開されました。他者との対話に真摯に向き合う中で、ご自身の葛藤やそこからの気づきや挑戦が語られていました

めっちゃいい記事でした、、私のこの記事は一旦いいので、今すぐ読んでくる事をおすすめします


…….

返ってきてくれましたか? ねぇ良かったでしょう?

それでは私の話を始めますね

さて、株式会社MIMIGURIのアドベントカレンダーは、こちらのテーマから日替わりで記事をお送りしております

MIMIGURIアドベントカレンダーのテーマ

この記事は「遊び」について書きます


とても個人的な遊び

高校生あたりから10年以上続けている私の遊びの話をします。読んでくださって面白いなと思った方は一緒に遊びましょう。Xとかで絡んでください

気づいたら記録している

昔から外出する時はだいたいカメラを持ち歩いています

何か特定の作品を撮るというよりも、移動してる時とか、買い物をしてる時とか、自分が気になったものをほとんど骨髄反射でメモのような感じで撮ります

無意識に撮ってしまった写真

遊びというよりもはや生活習慣ぐらいに日常に埋め込まれた行為になっていて、確認してみたらざっと7万枚ぐらいになっていました

クラウドに地層のように堆積する私の半生

保存してある写真といえば、家族や友人、食べたランチの写真なんかが大半ですが、特別にフォルダに分けている写真があります

「みちばたのデザイン」フォルダ

「みちばたのデザイン」と名付けているフォルダは、2008年からはじまり2023年の現在までゆっくりゆっくり枚数を増やしています。確認したら340枚ありました

みちばたのデザインフォルダ

いつでも探してしまう、みちばたのデザイン

コンビニやスーパーマーケットに行くと、メーカーが作った広告よりも、そのお店の店員さんが作った掲示物がどうしても気になります

「消費税込の価格です」だけを別で出力した経緯はなんだろうか

どの掲示物も、限られた機材で時間もない中、なんとかお客の目を引くものをつくろうと工夫しているように思います

その創意工夫に目が釘付けになって気づくと写真を撮っています(あたりまえですが撮影不可の場所では撮らないように気をつけています)

なんでこんな風に作ったんだろうか?どんな気持ちで作ったのだろうか?ツールは何?何の目的で?どんな人が?

想像が掻き立てられます

制約からうまれる みちばたのデザイン

見たところ多くのお店が出力できるサイズはA4か、もしくは大きくてA3サイズぐらいのようなのですが、サイズが小さいと訴求力としてちょっときびしいです

出せるサイズでいかに大きくにぎやかにみせるか、制約があるからこその試行錯誤や創意工夫を感じます

ウキウキしながら作ったんだろうな
「アルバイト」だけで何故か伝わってくる
「入口」の文字は後から書き足してる
結果としては少し残念だけど設置した人の努力とこだわりを感じる

みちばたの美意識

みちばたのデザインからは、つくるひとのこだわりや美意識が垣間見えることがあります。というよりも私が勝手に想像してしまいます

そういうものから、デザインの純粋な初期衝動のようなものを感じます

最低限の目的が果たせれば良いというところで止まらず、いや止まることができず、「つくっちゃった」んだなぁと嬉しくなります

巨大で、完成度が高い、至高の領域に近い
グリッドレイアウトで余白にイメージ
「ここにも」
下部で「詳しくは お気軽に 店員まで」を表現(ちょっと失敗してる)
4枚繋ぎで一文字を大きくしている。綺麗につなぐのは結構難しいはず
カートの写真が切り抜かれて透過になってる、手練れだ
紙で字詰めしてる!!

みちばたのプロダクト

印刷物以外でも、みちばたにデザインの気配を感じることがあります

オブジェクトは印刷物に比べて加工が難しいので、ありものの素材や使い慣れたものをうまく組み合わせる必要があります

つくった人が遊びでやっているとは思いませんが、文化祭のような楽しさを感じます

完成度が高く美しいものは社会に必要ですが、大人が文化祭をし続けているような、未完成で未成熟な部分が残ってくれると良いなと思います。その方が豊かな社会のようにすら思います

何屋さんかすぐわかる素敵な看板だと思う
玉子置きであることを伝えようとしている
ブリコラージュという言葉が思い浮かぶ
もはや建築

みちばたのインフォメーション

情報を伝えることが専門家の仕事だけではないというのが、みちばたを観察しているとよくわかります

お店を営んでる人でも、そうでなくても、みんなみちばたで情報のデザインをがんばっています

日替わり定食の変わらない部分だけだ。ボリューム感は伝わる。内容は聞けばいい
全てではないが充分とも言える
現地で見るとオブジェクトの形が絶妙で、実際わかりやすかったりする
マルチウィンドウみたいでかっこいい
これ以上何か必要だろうか
変更できるようにしてる、考えてつくったところを想像してしまう
並べて背表紙を撮影して貼って完了。お見事
目立たせるために黄色い囲みを紙でつくる発想は僕には無い

みちばたのエクスペリエンス

その場の人が作るからこそできるものがあると思います。行動を促すようなものでも、つくった人の存在を感じられるから不思議と強制感が少ない気がします

保育園にて、こどもが自然に靴を揃えるように先生が工夫してくれていた
見事なカラーテープづかい
公園の倉庫にフックが付けてあって、自然に落とし物をかけておく場所になっていた
切符を買う時に手があくように

ひとが生活を営む中での工夫

みちばたのデザインフォルダに入っているこれらの写真は私なりの言葉で言えば「生活の中で生み出される不完全でだけど愛おしいもの」だと思っています。すこし大袈裟ですが

「餌をあげないでください」は見たことあるけど

私はプロのデザイナーとしてお金を頂いてお仕事してきました。それなりに経験を積んできたつもりですし、ありがたい事に尊敬できるプロフェッショナルの方々が周りに沢山いる環境に身を置いています

その経験から自信をもって言えるのですが、価値のあるものを妥協なく作るプロの仕事は必要です。これは間違いない

しかし、そんな世界がある一方で、私たちの生活は美しいものや完璧なものだけでは成り立っていないこともまた事実です

フレンドリーだ

わざわざ取り上げる必要もないし、なんなら嘲笑の対象になってしまうようなものも沢山ありますが、私はそういうものの中にどうしてもデザインを感じてしまうようです

なんなら美しいとすら感じる時もある

ものづくりの醍醐味は、工夫の中にあると思います

工夫は、自分と他者、自分と環境との関係性をなんとかつなごうとする時に、ああでもないこうでもないとこねくりまわす中で生まれると思います

みちばたのデザインからは、てざわり感のある工夫の形跡を感じることができます。工夫の形跡は、人と環境の対話の形跡です

歩きながらなんとなくみちばたのデザインに目を奪われる時、私はそれを作った人の不器用で切実な気持ちに触れられるような気がしています

食べてほしくてデザインしてそう

効率よく、高品質に、再現性を持ち、インパクトを出す。そういうものはビジネスの世界では大切ですし、私も日々そういう良さも大切にして仕事をしています

ただ、私の愛するデザインは、そういうものを生み出す手段だけにしておくにはあまりにもったいないとも思っています

みちばたにあるデザインに目を向けると、社会には特別な形ではなく、ごく普通につくる喜びがあふれている事に気がつきます

素敵だ

わたしは人間は隙あればつくっちゃう動物なんじゃないかなと思っていて、みちばたで「つくっちゃたもの」に出会うと嬉しくなり思わず記録してしまいます。作られたものから人間を感じます

みちばたのデザイン、最近ちょっと減ってきている気がしていてさみしいのですが、これからも社会でひっそりと生まれ続けてくれると良いなと思っていますし、こういうものを自然に自分達の一部として受け入れる世の中で生きたいなと願います

明日のMIMIGURIアドベントカレンダー

明日のMIMIGURIアドベントカレンダーは田幡さん!去年のアドベントカレンダーでは「受け身で他力本願な創造性を発揮しよう」というnoteを書いていました

文化人類学、創造性、、、ちょっとだけ、もしかして、今回の私の記事とも近い視点があるような気もします、、とても面白い記事なので、ぜひ読んでください。そして、今年はどんな記事を書いてくれるんでしょうか。明日をお楽しみに!

忙しい年の瀬、お身体にきをつけて、それではさようなら

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