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エッセイ|いまを生きたい。

いまの私は「いまを生きる」といい切れない。表面はテラテラと沼のようでいて、冷たい海底深くで無造作に存在している。

身体が思うようにいうことを訊いてくれない。
身体が、こころが、神経が、どこかの配線とコネクターの接続をまちがえてしまっているようだ。

実は、ここ最近、日常生活に支障をきたすレベルが酷くなっていた。

群発頭痛になって、文章が組み立てられなくなり、本は読めなくなり、1冊読むのに1週間から1か月ほどかかっったり、とうとう数行で読めなくて諦めてしまうようになった。

頭痛から奪われた感覚を取り戻そうと、帯状疱疹のワクチンを受けた。
ワクチンは功を奏して頭痛は格段に減った。
けれど、眼痛は治まらず、今もずっと痛み続けてる。

頭痛が治まったのに本が読めないままだった。文章の組み立て、酷い不安感、頭の中に次から次へと浮かんでしまう考えに次々と移っていってしまうのにもこまねいている。

記憶力の低下は、うつわにシリアルではなくドックフードをいれそうになり、目の前の夫の名前が抜け落ちて、えっとえっとと言葉がでてこない。
のみものが3つも4つも並んでしまうことに自分でもあきれてしまう。(脳の検査で異常なし、加齢による物忘れという範疇を越えている)

気がつくと「アレ?何してたんだっけ?」としていたことから遠く離れてしまっていて、何に対しても、とても多くの時間を費やすようになった。

すこし過去に飛ぶが、

世間では、「繊細」といったことを人に話しても「めんどくさ」がられるだろう。
話して同情されたいわけでもなかったし、いちいち面倒で、なるべく隠して見よう見まねで「気合」や「努力」ってやつでなんとかしようとした。

こどもの頃から、この感覚は理解されないのも感じていたし(理解されたいわけではないのだけれど)排除されたくないから人なみにならなくてはと考えていた。

けれど、場合によっては、悪目立ちしてしまっていた。
自分ではわからない異質な存在として見られてしまい、リストラや厄介な仕事を押し付けられてきたのだろう。

繊細さは、いろんなところに影響を及ぼしてくる。

少し前、グルテンを含む食品を摂取すると頭痛、関節痛、神経の痛みがでてしまうのでセリアック病やグルテン不耐症を疑って検査をした。

けれど、結果は正常だった。

かかりつけ医からは「実際、症状がでているので、自分の感覚を信じてグルテンはさけたほうがいいと思いますよ」といわれた。

こんなに反応してしまっているのに?
臓器異常なし、数値異常なしが不思議だった。

目に見えないものは、マジョリティの人からしてみれば、気のせい、思い込み、過剰反応しすぎなのではと精神論をいわれてしまう。

ほんと気のせいだったらどんなにラクだろう。

その後、どんなものを摂取した時に反応したかをもう一度、詳しく振り返ってみた。

グルテンを含んだものだけでなく、白砂糖など精製されたものを食べると、頭痛、視神経痛、目の霞み、反応性低血糖(血糖値スパイク)に陥る。

デュラムセモリナ粉はグルテンが含まれているのに反応しない。

ネットをたどってわかったのは、セモリナ粉は粒子が粗いため消化が穏やかなため反応しなかったようだ。

どうやら私は、精製されているものに反応するらしい。そうやってひとつひとつ探って生きる道を探すしかない。

話を今に戻そう。

いま、酷い不安感、動けない、考えが巡るのが押し寄せる、金属音の耳鳴り、些細な音、光が過度な刺激に命がけで困っている。(命がけって大げさに聞こえるかもしれないけれど、こちらとしてはそれくらいのしんどさがある)

最近では、ひとりで買い物にいくのも一苦労になってしまったことや、夫が鼻をかむ音が、内耳に突き刺さるようになってきた。

夫が鼻をかむたびに私は痛さで顔をゆがめて耳を塞いでいる。
「ごめん・・・もう少し静かにかんでもらえないかな・・・」夫にはそれがどうつらいかわからないから、また忘れて、毎度、毎度、しっかり鼻をかむ。

その度に耳を押さえて「ごめんもう少し静かに・・・・」毎回申し訳ない気持ちでいう。

内心、「思いっきり鼻くらいかませてやれよ」と思う。

そして、こんなことをいう自分自身がイヤだし、くりかえしていると自己嫌悪に陥ってくる。

この状態で月のモノがきて、更年期障害のホルモン療法も影響して、いろんな感情が押し寄せて過去の辛かったことが浮かんで訳がわからなくなる。もうめちゃくちゃだ。

嵐が過ぎるのを待つしかないのだけれど、体力も使い果たし、正直疲れ果ててしまうことも多い。

先日、心療内科を受診した。不安感を抑える薬を処方してもらった。不安感が和らいでゆくのを感じた。

購入した300㌻程の本を1日で読了した。

一気に本が読めたことに感動してしまった。

そう、以前は読めていた。

この集中する感覚、読み進める感覚、文字を追う感覚に快感を覚えて悦に入る。

自分を無視して、周囲に合わせようと無理を強いてきた。やはり私はいつからか壊れてしまっていたのかもしれない。

私は思う。自分が生きやすくなるためなら、薬のちからでもなんでも借りて受け入れていまを生きたい。

ご訪問、スキ、フォローありがとうございます。嬉しく思います。
こういった状況のため、お返しができず、少し時間がかかってしまいますが、お伺いしたいと思っています。

こんな私ですが、今後ともよろしくお願いします。

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