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短歌:夏の部屋

冷蔵庫うなる部屋にてあてどなくラグに寝ころびマルバツをして

れいぞうこうなるへやにてあてどなくラグにねころびマルバツをして


♢    ♢    ♢

ほんの15分前まで出掛ける気でいたのに買ったばかりの真新しいワンピースで汗をかくのがイヤになって予定をキャンセルした。

6年目を迎え、35歳になった私は、停滞気味だった彼との関係をこのまま続けることも、夏の暑さの勢いにまかせてはしゃげる歳でもなくなった。

北国、冬生まれの私は夏が苦手だ。
人生の半分を東京で過ごしてしまった私にとってもはや夏は青白い部屋に唸っている冷蔵庫やエアコンの音だった。
なるべく夏が追いかけてこない場所へと逃げ込みたくなるし、
なにもない部屋に冷蔵庫のモーター音の唸る音が盛る夏を必死に知らせてくれるけど、早く過ぎてほしいと思うばかりだった。

ワンルームの狭い部屋の床はヒンヤリとしていてラグもヒンヤリとしていた。私は新品のワンピースのまま寝ころんで指先でラグをなぞって井形を描いた。そして右上のマスに〇を書いた。真ん中じゃおもしろくないと思ったけれど、どのみち、ひとりでするマルバツでは先は見えてしまう。
ほんとうの私は何がしたいのだろう。夏の暑さのせいにして思考を追いやると、視界の先の白い冷蔵庫がシャリシャリと金属音を立てて静かに唸る。

その冷蔵庫をうつろに眺めながら、実家にいた頃を思い出していた。
部活をやっていた弟のために実家の冷蔵庫にはいつも麦茶がボトルに5つは作られていた。麦茶なのか麵つゆなのかわからずに無造作にひっつかんで慌てて飲んで脳がバグを起こした。

それに夏のあいだ中、まるごとのスイカが真ん中に鎮座していた。まるごとのスイカは、親戚やご近所から同時にいただいて持て余すこともあった。あの頃母は、「入りきらないどうしよう」と云いながらどこか嬉しそうだった。
そういう他愛もない煩わしさを見ていてめんどくさいと思っていたが、私が大学に入学してすぐに父が亡くなり、順を追って祖父が亡くなり、祖母を見送った母も癌を患って亡くなり4年が過ぎた。

私は大学の時に上京してからずっと東京住みで、4つ下の弟は、もうずっと海外に暮しているため実家じまいをした。
古くなった実家の家屋を維持できるほどの財力もないのだから仕方のないこととわかっていても、いざ、帰れる家がなくなると故郷はどこか他所の町のように映った。

私の部屋の冷蔵庫は2ドアの小さいものだ。いずれ結婚するかもしれないと思ってこだわりもなく、一番安いものを選んだのに、いまだに一人暮らしを続けている。冷蔵庫に入っているのはエビアンとサンプルで配っていたエナジードリンクと後輩の海外旅行のお土産としてもらったポキのシーズニングスパイス。
わかっていること、この先、この冷蔵庫に麦茶もスイカもきっと入ることはないということ。どこかこの冷蔵庫を見取ってみてもいいのかもしれないと思い始めている。

短歌を詠んでいるとふわっと景色が浮かぶことがあります。
そこには想像上の主人公が立ち上がりストーリーが勝手に動き出すので不思議だなと思います。なので、今日はエッセイではなく、ショートストーリーを書いてみました。






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