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儚くも強くあろうと燈しては螢も君もいまを生きてる

はかなくもつよくあろうとともしてはほたるもきみもいまをいきてる

亜希


ある時いつものように田邊のおじさんがお土産をくれた。

螢だった。

金網の虫かごの叢の中でふわっと淡く緑に燈る。
お布団のなかに入って枕元の虫かごをほおづえをつきながら妹と眺めた。
不思議なひかりにその時だけはいつの間にか眠っていた。

『真美ちゃんとのこと。』より



いつもの馴染みの湯治場に来ていた。

湯から上がった夫からLINEが入る。

「中庭にいるよ。今日、ホタルが見られるんだって」

今年も見られる。

ホタルは一年をかけて卵から成虫になりその後の寿命は二週間。

雨が降っても、暑すぎてもホタルは飛ばないのだという。

たった二週間のさらに見られる時間はほんの僅かでしかない。

一年、365日ある中でホタルが見られる時期は実に短い。

螢の夕べはたった二日。
うちの一日に私たちは出会した。

ありがたいことに空白の二年以外は偶然にも毎年ホタルを鑑賞できている。

狙ったつもりはないのだが、この時期に私たちはいつも湯治に来ていることになる。

中庭にいるであろう夫を探す。

いた。

柚子と蜂蜜でできたドリンクたいした量でもないのにやっぱり飲みきれず持て余してしまい一口残ったガラス瓶を夫へ差し出した。

「本日、螢がご覧いただけます」
番頭さんが下駄箱の前に立って通りゆく人達に案内をしている。


夫が飲み干した瓶を片付けて戻ってくるのがわかると私は踵を返した。

中庭から隅にある通路の入り口には行燈が灯されていて気持ちを前へと駆り立てる。

先には茶室にある低い木戸になっていて、
はやる気持ちから頭をぶつけないように注意して屈んだ。

中に「入ル」

暗転になった。

目が慣れないだけ…わたしは言い聞かせておぼつかないつま先で土と小石を足裏の感触だけを頼りに片足ずつ足を出した。

数メートル進むとまた低い木戸になっている。

ふたつ目の木戸をくぐるとヒカリが途絶えた。
 

まだ19時だというのに夜はインクを溢した夜だ。

『暗闇』
 
人間はわからないものを畏れるのだという。

先にヒカリが待っているとわかっても、どんなに安穏な先を知っても「闇」はおどろおどろしく手を伸ばしているから見つからないように拳を握って心を閉じ込めた。


柵の向こう側に小さな小川が流れ、トロルの森にあるような大木が太い幹を顕わにした。


柵の前には黒い背中の数人の人たちが黙って
突っ立っている。


「いる?」夫の耳元で呟いた。

夫はコクリとうなづいた。

今年はあまりいないのだろうか?

目を凝らし少し生温かくなってきた空気だけの黒を見つめる。

ヒュワンと何かが奔った。

「あっ」

「いるね」

螢だ。

薄き緑色が弱さと強さを灯らせ光らせる。

上空を

目の前を

近づいては遠ざかる。

薄き緑は、夜を弄んでいるように柔らかな円を描いて舞っていく。

夜と戯れ舞うのを邪魔しないように
観ていると

「綺麗」

心が口をついて言葉としてもれた。

螢は繊細なのだという。
螢は清水にしか棲めないのだという。
驚いてしまわぬように小声で顰めるようにして佇んだ。

螢は上の樹々にいってしまうからどうしたって顔を上げるしかなくなった。


「綺麗だね」

「綺麗」

誰にいうともなく何度も何度も繰り返す。


手を伸ばせば届きそうなものなのに
いくら手を伸ばしても届かず、
越えられない柵が残念に感じた。

この柵さえなければ…

柵がなかったなら…

ヒカリを追いかけて川向こうへと踏み入れてしまうだろう。


螢は会いたい人のようだった。後尾のほんのすこしを力強く光らせたと思うと今度は消え入るように灯した。

その強弱が生きていることの残りわずかを
いのちにしているようだ。

やさしい光を灯しながら「生きるんだよ」と伝えてくる。

螢と私たちはこの場所で同じように呼吸をしている。

螢が毎年見られるのは偶然だろうか。

光は通り過ぎ残像を残しては夜に溶けた。


真美ちゃんとのこと。|亜希 (note.com)



真美ちゃんとのこと。(続き)|亜希 (note.com)






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