見出し画像

女の生きづらさ、男の生きづらさは「コインの裏表」

3月8日は国際女性デーでした。
最近はかなり知名度が高くなってきたと思いますが、女性の人権や生き方を考える日であると同時に、男性の目線からジェンダーに向き合うようなイベントも少し見られ、時代の変化を感じました。

ジェンダーについて、今は本当に多くの発信があり、毎日のように各地でセミナーやイベントがあります。
私もたまに参加しますが、有意義な内容のものも多いし、問題意識の高い方も多いので、毎回のように勉強になります。

ひとりで抱え込んだり、情報にアクセスできなかったり、学び方や発信の仕方が分からない時代からすると、今はとても恵まれていると思います。



女性の生きづらさ、男性の生きづらさというテーマについて、学んだり語り合ったりする機会が多いと思います。

ジェンダー平等という視点でいえば、やはり女性の生きづらさ。

最近は国もアンコンシャスバイアスということをいい始めていますが、「女性だから」という理由だけで、確たる理由や根拠もなく異議をいえずに背負い込まなければならない役割や負担は、まだまだとても多いです。

女性は結婚して子どもを生んだら・・・、といった本人や家族の意思を無視した固定観念は、かつてのように面と向かって突きつける人こそ減ったといえども、その本質はまだまだ昭和のむかしとそんなに変わらないともいえます。

そんな中で女性活躍推進が叫ばれ、いろいろな事情で共働きが当たり前の時代になって、家事も育児も仕事も、場合によっては介護も全部、妻や母がとなれば、とてもじゃないけど身が持たないというのが人情です。



一方で、男の生きづらさも深刻です。最近は行政や団体でも男性相談の窓口が増えつつありますが、そうした現場の声を聞いても、本当に悩み深い男性たちが多いです。

「男性だから」という名のバイアスは、女性のそれとは内容や角度こそ違えど、いまだ相当に強い圧力にもなっているようです。

ただ女性を取り巻くテーマと違うのは、一見すると男性への偏見はプラス価値であり、それ自体は前向きで良いものであると捉えられがちだという点でしょう。

男だから強くなければならない、一家を養わなければならない、人前で弱音を吐いてはならない・・・などなど。

いつの時代は若者は素直で純粋なので、もうこんな一辺倒な価値観に染まらず自分らしく生きたいという人も、決して少なくありません。



女性の生きづらさ、男性の生きづらさは、コインの裏表だと思います。

女性のテーマを解決したいと思えば男性の問題からアプローチせざるを得ず、男性の視点で改善を促したいなら女性の課題と真剣に向き合わざるを得ない。これが本質だと思います。

ひるがえって今の世の中は、残念ながらこのような発想がまだまだ希薄なように感じます。

女性の問題は女性の問題、男性の問題は男性の問題。多くの人がそう思っているし、社会の仕組みもまだそんな枠組みから抜け出せていないのです。

女性が悩み苦しむテーマは、女性の抱える問題だから女性ばかりが聞いて対応するのではなく、実際には男性の目線から受け止めて対応したり改善したりすることが不可欠だし、その逆もまたしかり。



ジェンダーはグラデーションという特質からすれば、100%の女性、100%の男性というのは、世の中にほぼ存在しません。みんなそれ相応に女性性、男性性を兼ね合わせて持っています。

こんな視点から、基本同じ人間だという前提のもとに、比率や構成の問題からさまざまなジェンダーを取り巻くテーマが顕在化するのだという受け止めが共有できれば、随分、肩の力を抜いて向き合えるのではないでしょうか。

女性も、男性も、悩み多き生き物だからこそ、のっけからまるで違う生き物だとあまり思い過ぎずに、まあ「コインの裏表」だよねという発想で柔軟に渡り合っていくことで、何かのヒントが掴めるといいですね。

私は、最近そんな思いを強く持っています。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。