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“性差”の考え方と人間関係のあり方。

多様性の時代の中で、ジェンダーにとらわれずに自由に生きることが推奨される時代。

年金や税金の仕組み、労働をとりまくルールにとどまらず、私たちの生活をめぐっては、少なくとも建て前としては男女平等が実現しているといえます。

一方で、生物学的には男と女の2種類を基礎としている事実は変わらず、社会的な仕組みも基本は男女の枠組みで成り立っています。

「男だから~」「女だから~」という古典的なジェンダーロールからの脱却をはかりつつ、男性もしくは女性としての自負や責任をまっとうするという器用なバランス感覚が、現在を生きる私たちには求められるといえるでしょう。



しばしば、「男に生まれた方が得か?」「女に生まれた方が得か?」といった問いに出くわすことがあります。

ある意味、子どもじみた質問だとは思いますが、だれしも一度や二度はこんな問いかけを自分自身に発したことがあるでしょう。



以前もこのnoteで取り上げたようないわゆる「ぶつかりおじさん」の存在は、今でもまったく影をひそめているとはいえず、夜の駅などで女性がひとり歩くには、相応の警戒心を怠ることができません。

ある男性は、女性的なファッションで搭乗手続きをしていたとき、突然おじさんが割り込んできて暴言をはかれ、低い男性の声で対応すると、そそくさと立ち去る姿をみて、あらためて社会の偏見の強さを認識したといいます。



また、ある男性は自動車の教習所で実地指導を受けていたところ、男性教官が露骨に若い女性ばかりをえこひいきして、自分に対して不当に厳しく対応するのに嫌気がさして、通信指導で修了する方法に切り替えたといいます。

ある女性は、一念発起、独立起業すべく準備をすすめ、銀行や不動産会社などに足を運んだものの、配偶者の職業や資産状況ばかり聞き出され、自らの事業についてほとんど興味を示されなかったことに落胆したといいます。

今ではこのような露骨な例は少ないでしょうが、地域差や業種業態の差こそあれ、男女をとりまく意識面の格差はまだまだ健在なのは確かだといえるでしょう。



世の中において、性差は歴然としてありますし、XY型の染色体からなる人間にとって、男(XY)と女(XX)の違いは、科学的事実としても決して否定されるべきではありません。

問題は、こうした性差が、人間の持つ多様性のすべてではないという点にあると思います。

かつての「男は仕事」「女は家庭」といった性別役割意識が強すぎると、その枠組みに収まらない個性は否定され、事実上多様性の幅は閉ざされてしまいます。



そこで、私からの提案です。

① 自分自身について語るときは、「男らしさ」「女らしさ」について、十分に誇りや自負を持ってもよいのではないでしょうか。
(もちろん、多様な価値観の表現も含めて、自分自身についてはまったく自由だと思います。

② 他人について語ったり、影響をもたらすような場面では、「男らしさ」「女らしさ」の価値観は必ずしも普遍的なものとは限らないという意識を強く持って、むしろ多様性を積極的に評価していく態度が求められるでしょう。




私自身もなかなか思うように言動が徹底できていない反省を踏まえて、できることから前向きに取り組む努力を続けていきたいと思います。

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学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。