見出し画像

32歳のスクラップアンドビルド

「あきちゃんは引き出しが少ない」

――と、ライターの佐藤友美さん(以下、さとゆみさん)に言われたのは、4月に行われた「さとゆみゼミ卒業生インタビュー」のときだった。その言葉は、今も私の耳に残っている。「おっしゃる通りです」と思ったからだった。


私は、今年の1月から3ヶ月に渡って開講された、「さとゆみビジネスライティングゼミ3期(以下、さとゆみゼミ)」を受講していた。読んで字のごとく、長年ライターとして活躍しているさとゆみさんから、書く仕事で食べていく方法を学ぶゼミだ。

そもそも私は、ライターには二度と戻らないつもりで、数年前にデザイン事務所を辞めた。当時の私の名刺に記されていた肩書きは、「コピーライター/ディレクター」。仕事は、大変さと楽しさが同じくらいの容量であって、端的にいうと充実していた。でも、商品やサービスを宣伝する文章を書くより、自分の書きたいことを書きたいという気持ちが、次第に強くなっていった。

デザイン事務所を辞めてからは、派遣会社に登録して転々と会社を渡り歩く日々を送った。メーカー、IT、教育サービス。様々な業界の裏側を見られるのは面白かったし、小説の題材にしたいな……と思うこともしばしばあった。それに、どこの会社の人も良い人ばかり。「創作活動のために週4で働きたい」という私のワガママな要望を受け入れ、仕事との両立が叶うように業務を調整してくれた。

一方で、「このままだといつか食いっぱぐれるな」という危機感もあった。その危機感が増したのは、昨年の今頃。当時の派遣先は、それほど仕事が多くなかった。「仕事が早く終わったら自由時間にしていい」と先輩が言ってくれたので、それはそれでラッキーと思っていた。でも、仕事がないなら即・契約終了になるに決まっている。「来月の仕事がなくなったらどうしよう……」「次の仕事だって、すぐに決まるかどうか……」。そんな不安に駆られることもままあった。

不安定な日々を送るうちに、「手に職をつけたほうがいいのでは」と、ようやくまともなことを考えるようになった。「手に職」というと、看護師や美容師、弁護士といった手堅い職業が浮かぶ。けれど、その資格を取るために勉強し、資格を取って働き始めて、お金を稼げるようになるまで、一体何年かかるのだろう。それなら、今持っているスキルを磨いて、食えるようにしたほうが早い。ライターとして働いてきた経験があるのだから、許されるくらいの文章を書けているはずだ。今から何か新しいことを始めるよりもいいだろう。

そんな打算的な理由で、私は「さとゆみゼミ」の門を叩いた。


___


さとゆみゼミで過ごした3ヶ月間は、この上なく刺激的だった。

毎週、何かしらの課題が出て、次の週までに仕上げる。課題は回を重ねるごとに難易度が増していった。思い返せば、大学よりもしんどかった。ゆとり世代の私は、毎週課題が出るような大変な授業を受けたことがなかった。

当時の派遣先には、ゼミを受講していることを話していた。私が個人活動で文章を書いていることは周知の事実だったので、職場は応援ムードだった。私に仕事を振ってくれている先輩は、「仕事が早く終わったら、遠慮なくゼミのために時間を使ってね」と言ってくれた。私がすべての課題を提出できたのは、先輩がそう言ってくれたおかげだと思う。私は爆速で仕事を片付け、課題に取り組む時間を確保していた。


課題を書くときに意識していたのは、「いつもの自分で書く」ことだった。ゼミは、先に課題を書いて、次の講義で答え合わせをする組み立てになっている。私は、課題のためにどこからかテクニックを仕入れたりせずに、今できる100%で書くことにしていた。そのほうが、これまでのライター経験で培った力が明確にわかると思った。どれくらい書けていて、どれくらい書けていないのか知りたかった。

講義は、さとゆみさんの考えと自分の考えを照らし合わせるようにして聞いていた。デザイン事務所では、あまり指導してもらった記憶がない。良くも悪くも、ほとんど自己流でどうにかしてきてしまった。さとゆみさんの考えが絶対的に「正」ということではないけれど、私がデザイン事務所で判断してきた数々のことは、少なくとも間違いではなかったのだと、講義を聞いて安堵した。私は、ゼミを通して、ライターとしての自分がどこまで通用するのか、通用していたのか、答え合わせをしていたのだと思う。


たまに、さとゆみさんは、「あきちゃんに教えることなんかない」と言うことがあった。ゼミの選考の際、さとゆみさんは私を選ぶかどうか最後の最後まで迷ったという。でも、「わざわざ私のところで学びたいというのだから、何か理由があるのだろう」と、私を選んでくれたそうだ。

さとゆみさんは「教えることなんかない」と言ったけれど、実際には学ぶことがたくさんあった。企画の立て方や正しい文法、それだけでなく、ライターとしての物事の見方。デザイン事務所で働いていた頃に知りたかったことばかりだった。知っていたら、もっと自信をもって書けたかもしれないし、売上を上げられたかもしれない。さとゆみさんの考えと私の考えを重ねると、私の考えはいつもちっぽけだった。さとゆみさんの考えは、私の考える範囲よりも大きな範囲をカバーしている。その考えに触れるたびに、私の枠がぐぐっと広がるのを感じた。


でも、その一方で、「こんなもんか」と思う私もいた。それは、「ゼミがこんなもんか」ではなくて、「私の書く文章って、こんなもんか」という意味だ。

私は、どの課題も「今できる100%」で書いた。それは、「及第点が取れるように書く」ということだったんだと思う。意欲ある同期は、「ゼミだから挑戦できる」と、自分の枠を飛び出すために新しい書き方を試していた。私の書いた課題は、おそらく及第点は取れていた……と思う。一応今までライターとして書いてきたのだから、それくらい取れていると信じたい。でも、それは、「可もなければ不可もない安パイな原稿」に限りなく等しい。読めるけど、心には残らない原稿。そんな感じ。

ゼミのみんなの課題を読んで、いつも衝撃を受けていたし、圧倒されていた。「こんな書き方があるんだ」「こんなアプローチの仕方があるんだ」。さとゆみさんは「あきちゃんは引き出しが少ない」と言ったけれど、まさしくそうなのだ。私はいつも書いている、この一種類の書き方しかできない。枠を飛び出すことなんてできるはずがない。だって、どうやってこの枠を飛び出したらいいのか、知らない。自分の枠におさまる、100%を出しているだけなのだ。

ゼミの3ヶ月間で、私は「自分の文章が特段うまくない」という、できれば知りたくない事実に直面したのだった。


___


8月から、出版社で働くことになった。正社員ではないし、編集職ではない。派遣会社から紹介してもらった求人に、たまたま出版社での事務の仕事があった。


ゼミ受講中に勤めていた派遣先とは、3月末に契約終了となった。「次の更新はないだろうな」という私の予感は的中した。仕事をしている時間より、自由な時間のほうが圧倒的に多かったのだ。契約終了になっても致し方ない。

先方理由での契約終了の場合、比較的スピーディーに派遣会社が次の仕事を紹介してくれる。でも、なぜか派遣会社から一度も連絡をもらえなかった。今まで何度か同じ事態になったことがあるけれど、そのときはたくさん仕事を紹介してもらえたのに。おかしいなと思いつつも、「そのうち連絡がくるだろう」と呑気に構えていたら、あっという間に3月下旬になった。危惧していた「来月仕事がない」という状況に、いとも簡単に陥ってしまった。

「4月から無職になってしまう」とこぼした私に、仕事を作ってくれたのはさとゆみさんだった。「4月1日から1ヶ月間、Twitter(現:X)スペースでゼミの卒業生にインタビューをするから、その書き起こし原稿を書いてほしい」という依頼だ。私は喜んで引き受けた。しかし、それがまあ、想像を絶する大変さだったのだけれど笑

結果的に、さとゆみさんから依頼された約30本の原稿の初稿を書き終えるのに、3ヶ月かかった。5月には新しい仕事を見つけて就職するつもりでいたのだけれど、あまりにも書き終わらないので、一旦その計画を取りやめた。この際、フリーランスの働き方が自分に合っているか試してみることにした。4月から6月末まで、私は「なんちゃってフリーランスライター」になった。


疑似体験してみて、私にはフリーランスという働き方が適していないと判明した。理由はいくつかあって、その全部を一度には書き切れない。改めてまたnoteに書こうと思うけれど、一つ理由を挙げるとすれば、「働くことが好きじゃない」と気づいてしまったのが大きい。

働くことが好きじゃない人間は、フリーランスになっても意欲的に仕事を取ることはできないと思う。それでは生活が立ち行かない。狩りが好きじゃない狩猟民族を想像してみてほしい。狩りができずに食料を得られなくなったら? 待っているのは「死」だ。

私はずっと、「仕事が好きな人」に憧れていたし、自分もそうなりたいと思っていた。仕事を好きになりたかったから、大好きな文章を書く仕事に就いたのだ。それでも、私は仕事を好きになることはなかった。朝になれば憂鬱だし、会社に行く前から家に帰りたくてたまらない。働くよりも、できれば家で好きなことをしていたかった。できるだけ早く家に帰って、のんびりと過ごしたい。どんなに褒められても、やりがいを感じても、私は「持てる時間のすべてを仕事に捧げるような人」にはなれなかった。

32歳にもなってこんな恥ずかしいことを打ち明けて大丈夫かと思う。でも、「働くことが好きじゃない」と認めて、割り切ることで、私の心はなんだかずっとラクになった。


7月、派遣会社に改めて連絡をとって、仕事を紹介してくれるようにお願いした。3月とは違い、派遣会社は私の希望に合う求人をいくつか選んで、スムーズに提示してくれた。面接に進んだのは2社。1社は自社メディアを運営するIT企業のライター、もう1社が出版社の事務だった。

キャリアのブランクはあるものの、3ヶ月のゼミと、3ヶ月のなんちゃってフリーランス生活で、どうにかこうにかライターの腕を取り戻した(と思っている)。このまま、できればライターに戻りたいと考えていた。フリーランスでライターをするのは無理だけど、雇用されて書く仕事ができるなら万々歳である。でも、IT企業の面接で求められたのは、所謂「こたつライター」的な仕事だった。

先方の担当者は、「インターネットで情報をかき集めて記事にしてください」と何食わぬ顔で言った。その企業では、取材で掴んだ一次情報から記事を書くことはしていないらしい。Google検索で上位に表示されるような記事を書き、会社の名前を認知してもうらうことに重きを置いているようだった。

私は、そういった方針でメディアを運営することを否定するつもりはない。でも、それを「自分が書く」となったら話は別だ。ライターとしてそれなりに文章を書いてきた実績があって、まあまあ文章が書けるほうなのに、ネットで真偽のわからない情報を集めて記事を書かなくてはいけない。そう思ったら、めちゃめちゃ虚しくなってしまった。こたつ記事を書いて、私が満足するとは到底思えなかった。

面接では当たり障りなく受け答えをしたので、その日のうちに内定が出た。そして私は、1日よく考えた末に内定を辞退した。


それから約1週間後に、出版社の面接があった。その出版社を訪れるのは3回目だった。1回目は大学生のとき。お世話になった先生に職場見学に連れて行ってもらった。先生の知り合いの某漫画雑誌の編集長と食事の機会をいただいたのも、良い思い出である。2回目は、デザイン事務所で働いていた頃。仕事をいただいていた経営者さんの伝手で、某ファッション誌のアシスタントの仕事を紹介してもらった。結局、どれもこれも仕事にはつながらなかったけれど、この出版社とは縁があるんだな、なんて思った。レトロなオフィスの壁には出版物のポスターがずらりと並び、緊張しながらも胸が躍った。

即日内定が出て、8月1日から出版社で働くことに決めた。学生の頃から漠然と描いていた「出版社で働いてみたい!」という夢が、こんな形で叶うとは思ってもみなかった。


___


とはいえ、憧れの出版社での仕事は、想像していたよりキツくて、思っていたよりも全然普通の会社と一緒だった。憧れの学校1のイケメンと付き合ったけど、なんか違った――……たとえるなら、そんな感じだろうか。

出版社での事務仕事は、週5出社が条件だ。「なんちゃってフリーランス」で在宅勤務に慣れきってしまった身体を出社モードに切り替えるのは、今でもかなりしんどい。「本に囲まれた場所で仕事ができるなら!」と思っていたけれど、私の脳は騙されなかった。出社のために早起きして、着る服を考えて、身だしなみを整えて、満員電車に乗る。この時間がなければ、もう少し寝ていられるのに……。毎朝、そう考えている。

仕事の面では、前時代的だなと感じることもある。ペーパーレスが叫ばれている世の中なのに、なんでも紙で印刷するし、紙で届く。出社しないとできない仕事が多すぎる。それに、いまだにホワイトボードで社員の予定を管理しているのだ。「○○さんいますか?」という電話を内線で受けるのは、約5年振りのことだった。今までの私の勤務先は、ベンチャー気質な会社が多かった。社員の予定はすべてGoogleカレンダーで管理していて、固定電話もなく、要件があればチャットで送る。今の仕事は、コロナ前にタイムスリップしたようだった。

世間には事務の仕事を軽く見ている人も多いけれど、私は誰にでもできる仕事ではないと思っている。事務の仕事には、それ特有の脳内処理の仕方があるのだ。この方法で作業すれば効率が良いなどの知識は、事務仕事の積み重ねで得られる。私は、文章を書くことが得意だとは一度も思ったことがないけれど、事務の仕事より文章を書くほうがラクだな……と感じることは度々ある。

そして、何より堪えるのが、一緒に仕事をしている先輩の当たりが強いことだ。その先輩も派遣社員で、私より数年早くこの職場に入ったらしい。わからないことを質問すると、「前にも言いましたけど」と冷たく言い返される。それだけならまだしも、数日前に「A」と言ったことを平気で「B」に変える。それなら最初から「B」だと教えてくれ。幸いにも、私が今まで勤めてきた職場にはそんな人がいなかった。私は、ずっと人に恵まれていたんだなと思った。

諸々しんどいので、辞めてしまいたいなと思うことも、たまにある。派遣だし、契約期間があるので、いつかは辞めるだろうけれど、それでもすぐに辞めるつもりはない。金銭面的に安定したいという理由もあるが、今ここで辞めても「何にもならない」とわかっているからだった。


「なんちゃってフリーランス」の間、約30本の原稿を書きながら、毎日思っていたことがある。「これ以上書いてもうまくならない」。毎日書きながら、毎日絶望していた。ゼミを通して気づいた、己の手数の少なさ。持っている技術が少ないのに、常にアウトプットをし続けなければならないのは、片耳がよく聞こえなくなるくらいしんどかった。書けば書くほどに、「うまくない」結果がどんどん目の前に羅列されていく。私、このまま書き続けてもだめだ。そのことだけは、はっきりとわかった。

卒業生インタビューで、さとゆみさんに「あきちゃんは引き出しが少ない」と言われた話には、もちろん続きがある。そのあとに、さとゆみさんは「もっと人の文章を読んで、インプットを増やしたほうがいい」とアドバイスをくれた。

その前段階で、たしか私は「本を読むのが苦手」という話をしていた。本を読むと、何か良い学びを得なければと気負ってしまう。さらに、自分の原稿と比べてしまって、だんだん読むのがつらくなってくる、というようなことを伝えていた。それをふまえたうえで、さとゆみさんは、

本を読んで打ちのめされるのであれば、早々に打ちのめされたほうがいい。打ちのめされる経験を、30代前半の今のうちにたくさんしておいたほうがいいと思うよ。“楽しい”を“楽しい”という言葉以外で表現するにはどうしたらいいのか、ちゃんと向き合ったほうがいい。

自分がうまく書けなかったから、人の書いた文章を読んで、“こんな書き方があるのか”と気づくことができる。書けないと思った経験をたくさん持った状態で読書をしたら、得られることがたくさんあると思うよ」

さとゆみさんの言葉は、私の胸にストンと落っこちた。


出版社の事務をすると決めたとき、心のどこかには「ライターに戻りたい」という気持ちも、もちろんあった。内定を蹴って、もう一度ライティングの仕事を探すことだってできた。でも、そうしなかったのは、今の私が書いたって、何も意味がないと思ったからだった。私に必要なのは、書くことじゃなくてインプット。これ以上書いても、このまま書き続けても、うまくならない。それなら、創作活動に活かせる場所で働きつつ、稼いだお金をインプットのために使ったほうがいいと思った。


___


出版社で働き始めて、ようやく本を読むようになった。「本を読むのも仕事のうち」らしく、出社初日は「この本を読んだ感想を聞かせてくれ」と言われた。書店からの問い合わせも多いので、まずは自分の部署の新刊から読むようにしている。ありがたいことに、勤務先の出版物は読み放題。昼休みに、ラウンジで他部署の話題作を読むのが密かな楽しみだ。

通勤時間は読書に充てるようになった。日中は勤務先の本しか読めないから、通勤中に自宅に積んでいる本を読むことにしたのだ。月に1冊も本を読まなかった私が、8月は5冊読了した。習慣的に1日20ページは本をめくっている。「3行読んで1行戻る」くらい活字が頭に入ってこなかった私が、1日20ページも本をめくっているなんて!!!! 「!」を4つも打ってしまうほどの感動である。


本を読めるようになったのは、理由がある。さとゆみさんのアドバイスを受けて、周囲の読書家に「どうやって本を読んでるの?」と根掘り葉掘り聞き出したのだ。どんな基準で本を選んでいるのかとか、紙派なのか電子派なのかとか、本に付箋を貼ったりしているのかとか、そのほか諸々。「どんな心持ちで本を読んでるの?」というざっくりとした質問にも、嫌な顔一つせず、答えていただいた。それぞれの読書家に、それぞれのスタンスがある。「本を読む」という行為は同じなのに、十人十色の読み方があるのは、とても面白かった。改めてちゃんと取材をして、記事にしたいな……と妄想が膨らんだ。


私の読書への葛藤を知った、さとゆみゼミの同期は、私に本を贈ってくれた。

「単行本がよかったんだけど、文庫本しか見つからなくて。とても読みやすい本だから、気負わず、気楽にね」

そう言って、包装紙に包まれた本を手渡してくれた。本のタイトルは、角田光代さんの『Presents』。私のためにわざわざ書店でこの本を探して、プレゼントするためにラッピングまでしてくれたのだとわかると、胸が熱くなる。なんて粋な人なんだろう、と思った。

改めて読書を始めるにあたり、最初に読了したのがこの『Presents』だった。その本は、女性が生涯でもらう様々な「プレゼント」をテーマにした短編集で、各話約15ページほどで書かれている。1週間前に見たドラマの内容を覚えていられないような私でも、何も忘れないうちに読み終えることができた。それに、同期が言っていたとおり、驚くほど読みやすい。「3行読んで1行戻る」ということが一切ない。話の内容を最初から最後まで覚えていられる! 流れるように文章が頭に入ってくる! この読書体験が、「私でも本が読めるんだ!!」という自信と勢いになった。

それから当然、角田光代さんの筆力に圧倒された。どのストーリーにも泣けるポイントがあって、目頭が熱くなることも多々あった。何気ない日常の場面でも印象的に描かれていて、比喩表現一つとっても洗練されている。これから先、同じような場面に遭遇することがあったら、私は『Presents』で描かれている通りに感じるのだろう。そんな文章に出会うたびに、私も「こんなふうに書けたらな」と思わされた。


___


「書くためのインプット生活」は、今もゆるやかに続いている。

仕事もできることが増えて忙しくなってきたので、「手が空く時間」もなくなってきたし、電車では疲れ切って寝落ちしてしまう。一時期は寝る前に「ちょっとだけ読書」も頑張っていたけれど、今はもう起きていられない。ページをめくるのが、昼休みの数分だけという日もある。

今までの私なら、ちょっとでも途絶えてしまうと再開するのに時間がかかったし、なんならそのままやめてしまうことが多かった。それでも、少しずつ続けられているのは、「もっとうまく書けるようになりたい」という目標があるからなんだろう。この夏から、私の座右の銘は「塵も積もれば山となる」になった。

正直に言うと、有益なインプットができているかどうかなんてわからない。ただ読んでいるだけじゃ何にもならないことはわかっている。でも、これまで本を読んでこなかった私には、まだ文字を読むだけで精一杯。今は、「読めている」だけでOKにしている。

本を読んで本当にうまく書けるようになるのかなと、不安に思うこともある。インプットに使った時間が無駄になってしまったらと思うと、怖い。そう考える私は、「絶対に欲しいものが手に入る」とわかっていないと努力できない人間なんだろう。


日々、少しずつページをめくりながら、私はいい感じに絶望している。ハッとさせられるような描写に出会うたびに、予想だにしない展開に物語が進んでいくたびに、「私には書けない」と思う。書くことへのハードルがどんどん上がって、もう一文字も書けないとさえ思う。でも、きっと、それであってる。「本を読んで打ちのめされるのであれば、早々に打ちのめされたほうがいい」と、師匠は言った。私は最初の一段階に到達している。その先に行けるか、行けないかは私次第だけど。

これまで積み上げてきたものを壊して、新たに創造していく。32歳のスクラップアンドビルドは、始まったばかりだ。



*11月3日(文化の日)、32歳になりました。
『ONE PIECE』のサンジくんが大好きなので、無事にこの歳を迎えられて本当にうれしいです笑
玄川阿紀のスクラップアンドビルド、楽しみにしていてくださいね◎

TwitterやInstagram等のSNSを下記litlinkにまとめました◎ 公式LINEにご登録いただくと、noteの更新通知、執筆裏話が届きます! noteのご感想や近況報告、お待ちしています♡ https://lit.link/kurokawaaki1103