見出し画像

父は、長い間ゆるやかな鬱だった。

いや、「だった」と書くと「完治した」ような表現になってしまうので、語弊があるか。父の身体は父のものだ。私には、それがよくなっているのか、よくなっていないのか、はっきりとはわからない。

最初に父が鬱と診断されたのは、私が子どもの頃。父は、働き盛りの40代だった。


___


「お父さんね、鬱なんだって」

と、母から聞かされたのは、私が小学生の頃。当時、父が「眠れない」とよく口にしていたのを、ぼんやりと覚えている。メタボリック気味の身体から発せられる大きないびきは、そういえば寝室から聞こえなくなっていた。

その頃の私は、すでに物語を書くのが好きで、勉強そっちのけで夢中になって本を書いていた。父の症状を告げる母の声は困っていたけれど、私はそこまで重大なこととして受け止めていなかった。たぶん、他人事のように「へー」としか言わなかった。

父は、近所のメンタルクリニックに通い始めた。ときには母が一緒に行くこともあった。父の主な症状は、「眠れないこと」と「食欲減退」であったように思う。突き出た大きなお腹は、どんどん不健康にしぼんでいった。


父の地元である岡山に遊びに行くのが、子ども時代の夏の行事だった。父は、一年ぶりに会う親戚から「あらまあ、こんなに痩せちゃって」とか「でも元々太りすぎだったからね」などと、のんびりとした調子で声をかけられていた。

それに答える父も、のんびりとした感じで「病院にはこれくらいの頻度でいっている」とか「薬のおかげでよく眠れている」など、岡山のイントネーションで話していた。父は、東京では東京の言葉でしか話さない。親戚と話すときにだけ聞ける、岡山のゆるやかなイントネーションが私には心地良かった。

私は誰かに父の話をするとき、彼を「穏やかな人」と表現することが多い。岡山の穏やかな空気がそう育てたのかもしれない。東京育ちの私は短気でせっかちで、「穏やか」という言葉からかけ離れている。そういえば、父は私に声を荒げたこともなかった。


数年前、母方の祖母の家を掃除していたとき、偶然にも、父の鬱が発覚した当時の岡山旅行の写真が出てきた。「この頃のお父さん、やっぱり元気がないね」と祖母が言ったので、横からアルバムをのぞき込む。白い砂浜の上、赤と青の派手なビーチパラソルの下で、父がカメラに向かって手を振っていた。うっすらあばら骨が浮き出るほどに痩せ、表情は険しく、顔色も決して良くはない。父の不調は明らかだった。たしかにその頃、「岡山に行けば父は元気になるかもしれない」と、呑気に構えていた部分が、私たち家族にはあったと思う。でも、そうではなかった。


___


私は、父の鬱の原因を知らない。きっと、本人にもわからないと思う。でも、大人になった今、当時のことを振り返ってみると、原因の一つに思い当たる節があった。仕事で父が携わっていたプロジェクトの、“失敗”だった。

父の勤めていた会社は、(特定を避けるためにかなりぼかした言い方をするが)社会生活の基盤を支える業務を行っていた。「インフラ」といっても過言ではないと私は思う。それ故に、絶対にミスが許されない仕事だった。

父は、あるプロジェクトのリーダー的ポジションで、かなり忙しそうに働いていた。毎晩3時頃帰宅して、シャワーを浴びて少し眠り、朝7時頃には家を出ていた。平日に、父と顔を合わすことはほとんどなかった。

今でこそ父のタイムスケジュールを見ると、「人間のやることじゃない」と吐きそうになるが、子どもの頃はそれが普通なんだと思っていた。私が「好きなことを仕事にしたい」と思うようになったのは、明け方まで働く父の姿を見ていたからだ。長時間働かなくちゃいけないなら、好きなことがいい。好きなことなら、何時間していたって苦にならないし。それなら頑張れる気がする――……。まあ、たとえ好きなことを仕事にしたとしても、毎日明け方まで働くことはできないのだが。

でも、とにかく、父が身を粉にして行ったプロジェクトは、失敗に終わる。ぼんやりと、その日のことを覚えている。たしか、父は対応に追われ、家に帰ってこられなかったんじゃないか。翌朝、新聞の一面にも載ったと思う。当然、ニュースでも報じられた。社会が一気に、父の――父の会社の――“敵”になったような気がした。

もちろん、暮らしの根幹を支える業務を行っているのだから、失敗を非難されるのは当然だとも思う。実際に多くの人に影響が出たし、だからこそ咎められる自体になったのだ。父の会社に対して非難する人々は、何も悪くない。害を被っているのだから、声をあげて然るべき、なんだろう。なんだろうけれど。

通常どおり機能しているときはそれが当たり前で、誰からも感謝されない。でも、ほんのわずかでも機能停止したら一気に非難される。あまりにも理不尽なんじゃないか。普段から世の人々の生活を支えるために手を尽くしているのに、それを“当然”とされて、ミスがあれば強く叩く? 何それ、ひどすぎない? ――幼心にそう思った。そんな過酷な仕事が父の職業なのだと、ようやく気がついた。


私は、父のプロジェクトの詳細も、ほかにどんな人が関わっていたのかも、何も知らない。プロジェクトの失敗は、父だけの失敗ではなく、組織としての失敗だったのだとも思う。推測だけれど、会社のなかで父を責めた人はいなかったはずだ。もし父を責める人がいたのなら、父は異動させられるか、退職させられるかしていただろう。でも、そうはならなかった。

だけど、責任感の強い父は、自分のせいにしたんじゃないのか。だから、心に負担を抱えることになってしまったんじゃないのか――……。なんとなく、父の鬱のはじまりを、私はこう想像している。


当時、今ほどSNSが発達していなくてよかったと思う。もしあの頃、今のようにSNSがあったら、人々の憤りや非難はもっと加速して父と父の会社を襲っていただろう。もしかしたら、個人を特定されることもあったかもしれない。本当に、SNSがなくてよかった――……と思うと同時に、現に今も、SNSで怒れる人々を目にする。機能していて当たり前だったものが、突然動かなくなったことに対する怒りはすさまじい。機能していたときは、感謝のひとつもよこさなかったくせに。まあ「それはそれ、これはこれ」なんだろうけれど。現代のアンサングヒーローたちは、当時よりもずっと厳しい状況に置かれているのかもしれない。


___


さて、父の携わっていたプロジェクトは、その後念入りな調整を重ねたことで、なんとか軌道に乗った(と聞いている)。上手く機能していることは、新聞の片隅には載っただろうけれど、日々入れ替わるニュースで取り上げられることはなく、次第に「通常運転していることが当たり前」という世界に変わっていった。大人になった私も、当時の父の仕事の恩恵を受けている。

プロジェクトは解散となり、父の鬱もゆるやかに収まりつつあった。やせ細った父の身体はあっという間にリバウンドし、聞こえなくなっていた大きないびきも、存在を主張するかのごとく寝室に響きわたっている。もう、父が鬱になることはないと思っていた。


でも、父の鬱は再発する。

今まで勤めていた部署から、グループ企業の別の職場に異動になった直後のことだ。またしても推測でしかないのだが、急な職場環境の変化が、鬱のトリガーになったのではないか、と私は考えている。所謂「第二の職場」として会社から用意された仕事が、父のこれまでのキャリアとは正反対で、なかなか身体に負担のかかるものだった。

以前に比べれば食欲はあったものの、再び父は眠れなくなってしまった。寝室のカーテンを厚手に替え、アイマスクと耳栓をつけて布団に入る。どうやら、父の初期症状は「眠れなくなる」ことらしい。父は、以前お世話になっていたメンタルクリニックへ再び通い始めた。

今も鬱のことをきちんと理解しているかと問われると自信はないけれど、この頃、私はちっとも鬱について理解をしていなかった。再び眠れなくなった父を見て、長い間症状が出ていなくても、再び鬱になることがあるんだとようやく知った。

鬱は、一生付き合っていくものなのだと悟った。


___


結局、そのあと父が、よくなったのかよくなっていないのかは、わからない。「家族なのにわからないってなんだ」と思われるかもしれないけれど、私は私で己の人生を生きることに必死だった。20代後半、私は学生時代から付き合っていた恋人と結婚し、しれっと家を出た。

そういえば、ものすごく仲の良い友達にも、先輩にも、後輩にも、父が鬱であることを伝えたことがない(これを読んでびっくりさせてしまったかもしれない、ごめん)。でも、なぜか夫にだけは、結婚する前から打ち明けていた。結婚するから伝えたのではなく、本当にただの恋人同士だった頃から、なぜか彼には話していた。

私は、父が鬱になって心配したことはあったけれど、あまり不安になったり困ったりしたことはなかったように思う。それでも恋人にだけ打ち明けていたということは、一人では抱えられない部分が、やはりどこかにあったのかもしれない。


家を出て、自分(と夫)の稼いだお金で暮らすようになってから、東京で生きることがどれだけ大変か思い知った。実家でぬくぬくと暮らしていた私の貯金は、これまで一度も払ったことのない家賃やら光熱費やら水道代やらで徐々に減っていった。正社員から派遣に切り替えたことも起因して、月の支出が収入を上回ることもザラにある。今の生活を維持するのがやっとで、これから先どんな贅沢をしたいか考える余裕はあまりない。

働かなければ生きていけないのに、漠然と仕事を辞めたいと思うことがある。仕事は何もツラくない。会社の人はみんな優しいし、仕事もどちらかといえば簡単で、残業だって少ない。きちんと自分の時間を持てていて、心身も健やかだというのに。それなのに「仕事を辞めたい」だなんて。情けなさ過ぎてツラい。

そういうとき、決まって父を思い出すのだ。父は、鬱と診断されても会社を休まなかった。通院の日を除いて、毎日会社に行っていたと思う。それが治療として正しかったのかどうかはわからない。でも、「会社に行きたくない」と言う台詞を、私は父から一度も聞いたことがなかった。私なんか何もツラくないのに、ほぼほぼ毎日「会社に行きたくない」と愚痴をこぼしている。お父さんは本当にえらい。立派だよ。

だけど、父がそんな状況でも会社に行ったのは、働かざるをえなかったのは、母と、姉と、私を養うために他ならない。小学生の私と中学生の姉、そして専業主婦の母。父が働くのをやめたら、我が家は間違いなく破滅へと向かっていた。専業主婦の母が働きに出たところで、父の一ヶ月分の給料には届かなかっただろうし、姉も私も、進学を断念することになっていたかもしれない。父がどうにかこうにか頑張ってくれたから、今の私があるのだ。本当に父は、真面目だし、頑張り屋だし、責任感のある人だ。


私は、よく周囲の人から「真面目だね」とか「頑張り屋」とか「責任感がある」とか称されるのだけれど、よく考えたらこれは全部父と一緒だ。私は父と同じA型で、きっと母より父のほうと色濃く血が繋がっているんだと思う。私は父とそっくりなのだ。きれい好きなところも一緒だし。あ、でも手先が器用なところは全然似なかったな。どうしてそこはお母さんに似ちゃったんだろう。私は不器用だから程よく諦めることもできたけど、器用なお父さんはなんでも上手くやれちゃって、だからこそ逆に、しんどい思いをしたこともあったんじゃないのかなあ。

父がいちばんしんどかったあの頃、「休む」という選択肢を与えてあげられなかったことを本当に心苦しく思うし、合わせて、父が頑張ってくれたおかげで、何不自由なく暮らし、大学で文芸創作の勉強ができたことを、本当に心から感謝している。


――だけれど、今の私はあまりにもちゃらんぽらんで、30年生きても何も成し遂げることができず、雲を掴むような作家への夢をまだ追いかけたりなんかしちゃったりしていると、途端に父に申し訳なくなって、ふと泣きたくなってしまう。父が身体を壊しながら懸命に育ててくれたのに、私は一体何をしているんだろう。全然立派じゃない。


___


現在の父は、鬱の症状に苦しめられることなく、日々穏やかに生活ができている、と聞いている。不眠になるまで心に負担をかけていた仕事にもすっかり慣れ、今では楽しめているらしい。実家に帰る度に父のお腹が大きくなっていることにはいささか不安だが、まあ、美味しくご飯を食べられているのなら良いとしよう。どうか健康にも気を遣ってほしい。そして、これから先、父が鬱に苦しめられることがなければいいと願っている。


父は、私に一度も「こうしなさい」「ああしなさい」と命令したことがない。「こうなりなさい」「ああなりなさい」とも言ったことがない。なんでも言葉にしたがる私とは違い、父はあまり言葉にしない人だった。だから私は、どんな大学に行って何を勉強するかも、どう働くかも、誰と結婚するかも、全部自分一人で決めた。父が私の選択を否定することは、一度もなかった。

父は、私にどんな大人になってほしかったのだろう。のらりくらりと文章を書きながらその日暮らしをしている今の私は、父の苦労に見合うほどの良い大人になれているのだろうか。

たまに私は、父をがっかりさせているんじゃないかと不安になるときがある。せっかく大学を卒業させてもらったのに、憧れだったライターも辞め、なぜか自ら不安定な派遣の仕事を選んでいる。もうちょっとどうにか良い生き方があっただろうに、「お父さん、ごめんなさい」と思わざるをえない。

感傷に浸るがあまり、つい泣きそうになるが、そのたびに「いや、お父さんは娘の生き方にがっかりするような人だったっけ?」と思い直す。そうだ、私の父は、私がどう生きようとがっかりする人じゃない。だから父は、私に「ああしろ」「こうしろ」と“理想”を押しつけなかったんじゃないのか。たぶんそれは、きっと私を信じてくれていたからなんだとも思う。

ああ私、もっと頑張らなければ、幸せにならければ。自分の人生をどう生きるか、私に任せてくれた父のためにも。父には、苦しい思いをしててでも私を育てあげたことを、誇りに思ってほしいから。


――そして当然、私は誇りに思っている。
父が精一杯、この私を育ててくれたことを。



※会社や仕事の特定を避けるために、一部フィクションを交えています。
※鬱に関しては様々な見解があるかと思いますが、この文章は私の父のケースとして受け止めていただけますと幸甚です。

★祖父のこと


TwitterやInstagram等のSNSを下記litlinkにまとめました◎ 公式LINEにご登録いただくと、noteの更新通知、執筆裏話が届きます! noteのご感想や近況報告、お待ちしています♡ https://lit.link/kurokawaaki1103