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打上花火を見ながら、感覚過敏と子どもの尊重について考えていた

花火を見たがらなかった、小さいわが子

息子が花火大会を見たくないという意思表示をしたのは、多分10年以上前だった。当時3歳か4歳。自宅マンションの廊下から見ていたとはいえ、ひとりで部屋に置いておくのはまだ心配な年齢だった。

私は打上花火を見るのが大好きで、けれど息子のことも気になり、頻繁に部屋の中と廊下を往復したと思う。その年は落ち着いて花火が見られなかった。
その時だけの機嫌の問題かと思われたが、息子はどうやら打上花火は本当に苦手なようだった。その年以降、遠くで上がるものを見る以外には、おそらくまともに見ていないと思う。

今年は4年ぶりに花火大会が開催されている地域が多い。自宅の近くでも、そこそこの人出が見込まれる花火大会が帰ってきた。
たまたま当日の日中に夫婦で外せない予定があり、息子も花火はもう見ないことがわかっていたし、例年に比べて私たち夫婦の花火に対する熱も低かった。近隣の人出の多さと喧騒に、少し辟易としていたくらいだ。

けれど、どうやら私は自分で思っていた以上に、打上花火が大好きだったらしい。

すぐ近くであがる、連続花火の破裂音のとどろきに、自宅でじっとしてはいられなかった。夕飯の支度をざっとして、軽く食べた後は、マンションの廊下に出て缶チューハイを片手にスマホで写真を撮りながら花火を楽しんだ。
夜空に広がる花火に心を奪われながら、私は何年か前のことを思い出していた。

感覚過敏の息子

息子は、特に近くで花火があがることが苦手なようだった。
5歳で発達障害がわかり、感覚過敏もあった。
腹に響くほどの迫力の打ち上げ音、氷と酒ばかりになるコンビニやスーパーの売り場、見かけることのない駅からの大量の人の波、翌朝の酒臭い汚れた町……
そうしたすべてが、息子にとっては苦痛でイヤなものだった。

暗い中で光に向かって手を振る群衆
写真素材:Unsplash

それがわかってから、無理に息子に花火を見ようと声はかけなくなった。
けれど、小学生になった息子は部屋、私はマンションの廊下、夫はよりよく見える場所を求めて外、3人家族が花火大会の日にばらばらで過ごしていることがつらくなった。
「なんで、こんなに近くにいるのに、一緒に見られないんだろう」
涙を流しながら花火を眺めた年もあった。

そのあと、何年かして息子は不登校になった。

不登校の対応もなかなか大変で、その期間に発達障害・感覚過敏のことと並行して、「不登校に親はどう対応したらいいのか」という情報や知見求めた。

立ったまま、集中して本を読んでいる男の子の後ろ姿
小学校3年生のころの息子の様子

みんな一緒でなくていい。みんな一緒なわけがない。

息子が不登校になってから、色々な人と対話をしたり、情報を集めたりする中で、私がつかんだ大事なことがある。

普通を手放すこと
私の常識が本当に常識か疑うこと
子どもの意思を尊重すること
子どもの人権を意識すること

今年4年ぶりに開催された花火を見ながら、改めて気づいた。
「家族3人並んで一緒に花火を観るという願いは、私の願いだったんだ」

当たり前のことだが、息子は私と同じではなかった。
打上花火を世の中の全員が楽しめるわけではない。
そういう人がいてもいいし、しあわせに楽しい時間をすごせるなら、みんな一緒でなくていい。
家族といえども、同じものを楽しめない場合はあって、楽しめない人の意思も尊重される。うちはそういう家族でありたい。

マンションの外の通りは、警察官の笛の音と、人ごみの喧騒でいっぱいだった。すぐ近くの通りから、小さい子どもが泣いている声がする。
「帰りたい」「いやだ」「だっこ」と悲鳴のような声をあげて泣いている。しばらくは声の場所も大きさも動かず、とどまっているのがわかった。
その子は単に疲れているのか、本当に花火が怖いのかわからない。すぐ帰れる場所に住んでいるのかもわからないし、誘ってくれた人に親が気を使っている場合もあるだろう。
けれど、もしその子が本当に花火が嫌いだったり、怖かったりしているなら、なるべくはやく尊重されてほしいと思った。あんなにしっかり意思表示をしているのだから、小さな体から発した必死のその声を聞いてあげてほしいと思った。

我が家ではいつの間にか、私も息子も夫も我慢せず、全員が思い思いに過ごしている場面が増えた。それでいい。それぞれが別々の場所にいても、お互いを大事にしている。本当に困ったら助けに行く。
同じ時間を同じように過ごすことだけが家族の形ではない。

アイキャッチ画像撮影:筆者

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