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【掌篇】十月の流れ星

銀という名の猫がいた。
実家で飼っていた茶トラのオス猫であった。
熊に立ち向かう狩猟犬の漫画に登場する秋田犬の名前を付けたのは、その猫に強くたくましく育ってほしいと願ったからだった。
なぜ勇敢な主人公にあやかったのかも含め、その理由といきさつの経緯を銀と出逢う少し前まで遡ってみたい。


祖父母の家の裏庭に一匹の野良猫が現れた。当時二十二歳の私は家業を手伝いにほぼ毎日祖父母の家へ通っていた。いつしか私も従業員たちもそれぞれがいわゆる「餌付け」をしたものだから毎日決まった時間になると裏庭の勝手口近くにその茶トラのメス猫が現れるようになった。
ただ野良猫を不憫だからといって去勢、避妊の処置も施さないで餌だけを与えることは言ってみれば無責任なことで中途半端な可愛がりは自己満足に過ぎず褒められたことではないというのもわかってはいた。が、目の前のその猫を追い払うことも見過ごすことも私たちには出来なかった。結果私たちは後ろめたさも感じつつ毎日その猫の催促に応えた。その野良猫はある一定の距離からは決して近寄らせてはくれなかった。鳴いて餌をくれと訴えはするがその距離は最後まで縮まることはなかった。
生粋の野良猫だった。生きる術を経験で培ってきたのだろう。それでいい。触れられず少し寂しい気もしたが野良猫にとってはそれが賢明な行動なのだ。その猫はふてぶてしく肝の座った遠慮のない性格であった。あまりにも堂々としていたことから何のひねりもないが私たちは「ドウ」と名付けそう呼んだ。
ドウは暑い夏もばてずによく食べ、寒い冬も脂肪を蓄えるために沢山食べた。もともと骨太で大柄な体の猫だったが一年を通して痩せることのない丈夫な野良猫だった。
私が幼かった頃から勤務していたパートのおばちゃんの鹿島さんが「もしかしたらドウ、妊娠してるんじゃないかな」と、教えてくれたのは五月のはじめのことだった。私にはただ肥えているとしか思えなかったが酸いも甘いも嚙み分けてきた女の勘は見事的中していた。しばらく経つと見るからに身重の体になっていたドウは、お腹の命の分まで餌を食べた。そしてある日突然ドウは私たちの前から姿を消した。私たちはしばらく落ち着かない日々を過ごしドウの無事を祈った。家族のような従業員同士が皆、ドウを同じく家族の一員のように慕い心配した。

まるで初夏を思わせる白い光が珍しく木々からこぼれていた六月も終わろうとしていたある日のことだった。
「見て!ドウがいる!あと仔猫も!」
鹿島さんが裏庭の茂みを指さして興奮気味に私たちを呼んだ。
青々と密生した裏庭の茂みがガサガサ揺れていた。そこには眼光鋭いドウとその後ろにぴったりくっついて必死にドウを追う二匹の仔猫がいた。生後一か月経つかどうかくらいの小さくて幼いドウと同じ茶トラの仔猫だった。
ドウは微塵も痩せてはいなかった。何も変わらずむしろ野良猫としての貫禄が増しているようだった。鋭い目つきで以前と同じ場所にふてぶてしく鎮座していた。当然のように餌を要求していた。私たちは急いで皿にカリカリのフードを入れて勝手口のドアから少し離れた場所に置いて覗き込んでいた。ドウは仔猫をひきつれて皿に近づき餌を貪るように食べた。
それは自分が生きる為ではなく、こどもに乳を飲ませる為の強くて健気で真っ直ぐな愛の行為に見えた。

六月の雨に濡れるドウと二匹の仔猫。
七月に入って日に日に夏めいていく世界。
二匹の仔猫にとっては初めて迎える夏。その年も多分に漏れず暑さ厳しい八月だった。
私たちの気がかりは二匹の仔猫のことだった。
十月半ばも近かった。二匹の仔猫が産まれて四か月は過ぎただろうか。なにせ正確な誕生日はわからないのだ。ただ六月の終わりに再び裏庭にやって来たあの日を起点にするならば七月に入ったその頃は大体それくらいの年齢であったろうという推測である。
猫が一度に出産する数は約三匹から八匹とされている。ドウは何匹産んだのだろう。目の前の二匹で全てだったのだろうか。もう何匹か産んでいたとしたら目の前の二匹は生き残った兄弟なのだろうか。それはどんなに考えたところでわかることではなかった。それならば私ははじめから二匹だけの兄弟であったと信じたかった。

ドウはすっかり母親の顔つきになっていた。その日も二匹の仔猫に缶詰の鶏ささみを咥えて持って帰っていった。私は距離を保ってドウの後をつけた。ドウと二匹の仔猫たちは祖父母の家の近くの空き家の軒下を棲み処にしていた。二匹の仔猫の兄弟はドウの帰りを待っていた。その時既に二匹の兄弟の成長には差が生じていた。それはドウの図々しさを受け継いだ片方の仔猫はもう片方の仔猫を押しのけてドウが持ち帰った食べ物を独り占めしていたからであった。ありつけていない方の仔猫が勇気を振り絞って横から割って入ろうものなら親の敵のように威嚇され牙を剥かれていた。毎回そんな感じで奪うものだから図々しい方の仔猫は肉付きも良く大きく成長していったが、気弱な仔猫の方は食べ物にありつけないまま頼りなさげに佇んでいるだけであった。気弱な猫は体も小さく痩せ細り毛艶も悪かった。
残暑も去り、待っているのは猫にとって夏より過酷な寒い冬の季節である。
私は気弱で体の小さい仔猫は冬を越せないのではないかと不安になった。
後日私はドウがいない間に体の小さい仔猫の様子を見に行った。その仔猫にも何とか食べ物を与えたかった。黴臭い古びた木造の日本家屋の空き家の正面から奥へと息を殺して侵入した。積もった枯れ葉を踏むとパリパリと砕ける音が誰もいない静まり返った敷地に際立って響いた。図々しい方の仔猫は物音にいちはやく反応し一目散に逃げていったが気の弱い仔猫の方は全く動じることもなく近寄る私の踝辺りに顔やお尻を擦って小さくか細い声で鳴いていた。
なんて人懐っこい野良猫なんだと私の不安は一層膨れ上がった。この猫には野良猫としての警戒心がまるでないのだ。間違いなくこの仔猫はその年の冬はおろか、この先野良猫として生き抜いていくことは不可能であると確信した。
曇り空の夕方、冷たい風が首筋に吹いた。私は急に冬を感じた。
私はしゃがみこんで気の弱い仔猫の喉を撫でた。すっかり心を許した仔猫を片手で掬い上げ、両手で包み込んだ。私の目線に合わせその仔猫に「うちの子になるか?」と尋ねた。言葉の意味などわかるわけもないのに、か細い声で何度も鳴いていたのを私は承諾の返事と受けとった。
私はこの場にいない母猫のドウを思い、瞳を閉じ心の中で謝りながら大切に育てるからと誓い、その仔猫と一緒に空き家を去った。

実家の近くに借りていた私のアパートでは金魚くらいならまだしも猫はさすがに飼うことは難しく仕方なく私は実家に連れて帰ることにした。遅かれ早かれこうなることは両親も、そしてはじめての出産を終え産後療養の為に帰省していた姉も予見していたのであろう。快く迎え入れてくれた。
首もまだ座らない甥っ子の駿介とその仔猫は同じ生まれ年であった。動物病院で健康診断とノミなどの駆除を済ませ、さて名前はどうするかとなった時、あるアニメの歌が頭に流れた。頼もしい屈強な仲間の犬たちを引き連れて荒野を先頭で走る一匹の狩猟犬。銀色に輝く毛色で巨大熊と闘う強くてたくましいその秋田犬の主人公の名前は銀。兄弟猫に怯えてまともに餌にもありつけなかった気弱なこの猫に自分より大きなものに立ち向かう銀の牙を授けてもらえるようにとあやかって銀と名付けた。
これが銀と出逢うまでのお話である。

銀は甥っ子の駿介と一緒に成長していった。
沢山餌を食べドウのように大きくなっていった。
駿介誕生から一年後には二人目の甥っ子翔平が生まれた。翔平が泣いていると銀はそっと傍に寄り添い見守っていた。銀は優しい猫だった。幼い甥っ子二人がしつこくちょっかいを出してもされるがままで決して毛を逆立てて怒ったりなどしなかった。
盆や正月に家族が集まる度に二人の甥っ子が目覚ましい成長を遂げていても一番上の兄のように二人の甥っ子をおおらかに見守っていた。私から見てもその姿は仲睦まじく微笑ましい三人兄弟のようであった。

祖父母も亡くなり時代の流れに伴って家業は廃業となり祖父母の家に立ち寄ることもなくなった。人の出入りもなっくなった裏庭は新緑の季節になってもかつてのように青々と生い茂ることもなくなった。ドウやもう一匹の兄弟猫もいつの間にか姿を現さなくなったが生粋のたくましい野良猫のあの二匹ならきっとどこかでふてぶてしく生き抜いているだろう。
銀に時々ドウや兄弟猫について語りかけたりもしたが耳をピクッと動かすだけで、それを私たち人間は都合よく解釈し拾われた今が幸せなんだと思い込ませていた。実際のところはどうだったのだろうか。元は野良猫として数か月生き抜いてきた銀ではあるが生粋の家猫としてこの世に生まれてきたように思えてならなかった。銀は実家で穏やかに暮らしていた。時々窓の外を眺めてはいたが大型車の重低音やクラクション、カラスなんかがけたたましく騒いでいる音に反応して窓から逃げるように離れていた。大雨の音や雷鳴や風の唸り声にはじっと動かず物陰に隠れていた。
銀は外をこわがっていた。

時は流れ駿介の十二歳の誕生日が間近に迫っていた八月下旬のある日。
家業の廃業を機に私は以前から興味のあった珈琲の勉強がしたくて知人の経営していた喫茶店で働いていた。昼休憩に気づいた不在着信は実家の母からであった。かけ直すと母が最近銀の食欲が落ちて元気もないのだと話してくれた。駿介より一足先に十二歳を迎えていた銀。私は単なる夏バテじゃないかと返した。互いに何となく納得し、もう少し様子を見ようと決めた。
が、銀の不調はつづき階段を上ることも億劫なのか呼んでも駆けてくることもしなくなった。やはり銀の様子がおかしい。連絡をもらった私は銀を連れて母と動物病院へ向かった。体重も大分落ちていた。軽い脱水症状もみられ点滴を打ってもらった。夏バテにしてはどうも様子がおかしいと獣医の横山先生も言った。念のために血液検査をすることになった。検査結果が出る明日にまた来てくださいというとだった。
点滴を打ったからだろうか。銀の表情はいささか楽そうであった。母もその姿に少し安堵したようでこのまま調子を戻してくれたらいいのだけれどと期待を込めて話していた。私も単なる夏バテであってほしいと願っていたのでそうだねと相槌を打った。
とはいっても腕の確かな横山先生の険しい表情と念のためとは言ったものの何かしらひっかかる見立てに私の心のモヤモヤは晴れることはなかった。

職場には午前に休みをもらいたいと連絡してあった。翌日、銀を連れて両親と血液検査の結果を聞きに診察開始一番に動物病院を訪れた。

「急性リンパ性白血病」

横山先生から告げられた銀の病名だった。
専門知識のない私たちでさえその病名がどれほどおそろしいものなのかは予想できた。
私は「そうかぁ、そうなのかぁ」と何度も呟いていた。そして変に冷静に淡々と横山先生に銀の余命を尋ねていた。
「三週間…もって一か月ですかね」
「一か月…そうかぁ、一か月かぁ」
単なる夏バテだと信じていた。そう思い込ませていた反動があまりにも大きすぎて先生の余命宣告を情報として把握はするものの受け止めきれずどこか上の空で言葉を反芻していた。
父は拳を握り話を黙って聞いていた。母は血の気が引いた顔でただ狼狽えていた。
私は先生に銀は苦しみますかと尋ねた。先生は可能な限り苦しみを和らげますと言った。
診察台の上に腹をつけて大人しく伏せている銀を撫でながら、どうせ助からないのなら楽にしてあげたいと私はその場にいる両親と先生に聞こえる声で言った。
「安楽死という手段をとられる飼い主さんも中にはおられます。それは飼い主さんの意思ですからそう望まれるならこちらもそのように対応いたします。でも、私個人の考えとしては最後の日まで見届けてあげてほしいなと思います。」
その時銀はこちらを見ながらしっかりとした声で一度鳴いた。
私はその声にハッとした。
「ほら、銀ちゃんもこんなに頑張って生きようとしているように見えませんか?ね?」
そう私たちに言ってくれた先生の声は涙で震えていた。

その日は脱水しないように輸液してもらい病院を出た。これからどうしていきたいかを伝えにまた明日病院へ伺う約束をして。
咄嗟に口から出た安楽死という言葉についてその日の夜、両親と私は何時間も話し合った。銀はその話を静かに傍で聞いていた。
結論は出ていたのかもしれない。診察台の上で張りのある声で鳴いて伝えてくれた銀の思い。
これから限られたあまりにも短い時間を一緒に最後まで共にしようと私たちは決心した。
私はその日から実家に寝泊りすることにした。職場にも出来る限りのことはしたいと変則的に時間の融通が利くように話をして納得してもらった。私はひとかけらも悔いを残さないように、後悔しないように銀と一緒に頑張ろうと心で誓った。

私は銀の闘病を共に過ごした日々を毎日ノートに記した。
それは私自身の心の整理にもなったが、そのノートが一ページでも一冊でも多くなるようにと願ったからであった。
銀と過ごした時間を心に刻み込むように。



これは当時私が書き記した銀の命の記録である。

2019年8月30日(金)
2日前の水曜28日に血液検査をして29日の木曜に自分の耳で横山先生から銀の状態を聞いた。
根本治療は絶望的。
その場その場の適応処置でもって一ヶ月だと命の期限を知る。
家族で話した結果、当初は安楽死を考えていたが銀の姿と横山先生からの助言のおかげでそれを選ばなかったことを今は本当に良かったと思っている。
まだ生きようとしている銀の姿はまだ家族と一緒に過ごしたい、家に帰りたい、そんな強い意志がわかったから昨日の判断は間違いだったと反省した。
もう少しで後悔していた。
横山先生の涙のアドバイスに心から感謝する。
今日は3回、4回おしっこをしていた。
チャオチュールというとろみのある猫用のおやつもまぐろ味、ささみ味と2種類2包を朝と夕、口にしてくれた。
3日ぶり程の味覚を刺激する食事をしてくれた。口から栄養をとってくれることがこんなにも嬉しいことだなんて。
ニャッと鳴いて手や指も舐めてくれる。爪とぎもした。
本当に余命一ヶ月なのかと疑うくらい。母の言う夢でもみていて悪い夢なら覚めてほしいとまさにその思いでずっとこんな時間がつづけばいいのにと心の底から思い願う。
本当にもう助からないのだろうか。
もしかしたら…とまた夢をみてしまう。
でも今日の銀は本当に生き生きしていた。
神様、あなたは最悪に意地悪ですがどうか銀を苦しめないでください。

2019年8月31日(土)
朝、目が覚める。
銀はまだ生きててくれてる。
安心と喜び、次に途方もない絶望に打ちひしがれる。
一時間、一分、一秒でも長く生きて一緒に居たいと思っているのに別れはもう避けられないと突きつけられている。
土曜は午前の診療のみなので11時30分受付終了前に輸液をしに行く。
少し脱水はみられたようで少し体重は落ちている。200gくらいだろうか。
触診。脾臓の肥大も少し良くなり小さくなっている。
元の大きさに近づけば銀も少しは楽になれるかな。
先生もステロイドなり、また治療の質を変えてみようと互いに意見を合わせる。
チャオチュールまぐろ味を朝一包と帰宅してドライフードを少し噛んで食べた。
カルカンウェットタイプのまぐろ、これは少し魚の身もあるものを皿で食べる。三分の一の量でもおいしそうに食べてくれる。
両手も舐めて顔をこすっている。爪も研いでいた。
食べて力をつけて奇跡でも起きてくれないかな。
近々血液検査をまたしてもらって数値がよくなっていたらどうなるだろう。
本当は治る病気だったらいいのにと夢を抱く。
延命ではなく緩和への治療。
闘病なら先も明るくなるのに。

2019年9月1日(日)
体重も変化なし。
ステロイド注射と輸液。
夕方にしてもらったせいか夕飯のリズムは狂ったのかもしれない。
改めて銀の病気について考える。
先生の長期戦になるかもしれないからの言葉が大きい。
その先にあるものは生存率や病後生存年数を考えたが、そういった問題ではないのが現実の残酷さだ。
急性骨髄性白血病であってもそうでなくてリンパ腫であっても完治できる病気ではない。
寛解が限界(ゴール)ならば、どのブログをみても平均生存年数は1年も厳しい。
やはりステロイドなり対処療法の先にあるものはそう遠くない。むしろもう近くにある最後の日なのだと改めて覚悟を突きつけられる。
心は日々の乱高下により少々麻痺して悲しみがベースにあるものの受け入れなくてはいけない。バッドエンドを受けとめるクッションを知らず知らず準備しているような気もする。安楽死とは何なのか。そのタイミングとはいつなのか。
今、比較的調子も良く生きてくれている銀なのに、その日はカレンダーでもう目に入っているどこかの日なのかとしたくもない想像をしてしまう。1つわかったことは抗がん剤はやる意味のないものだということ。それこそ苦しみしか与えない行為だと。1日でも今のように低空飛行だが過ごせる、過ごせている日が続くことがもう全てである。やっぱりそうなんだ…。

2019年9月2日(月)
ステロイドを3日続けて投与されたからか少し負担がかかったようにみえる。対処療法でしかならないステロイドならここまでする必要は?何か先生は意図してやっていることなのか…。とりあえず明日は輸液だけにしてもらおうと家族で意見は一致した。
根治不可能という最初の話で通院してる意味は質のいい1日を出来るだけ続けられるようにという目的のはず。
ひどそうにしている姿を見る治療は望まない。
明日は今日より楽に過ごせることを願ってゆっくりゆっくり穏やかに寝てほしい。
食欲:全くないわけではないが低い
呼吸:荒くはない。むしろ穏やかな方
体重:ほぼ変わらず4.2㎏程?

2019年9月3日(火)
結局ステロイド4日目となる。
対処療法とはまた違う意図が先生にはあるようで、延命処置、治療ではないとのこと。とにもかくにも明日の血液検査を待つしか今はどうにもわからない。
銀は昨日よりは少し穏やかな様子。とはいえ、相変わらずといった様子。
なぜかトイレの砂場でスフィンクスのようにじっとしていた。

2019年9月4日(水)
血液検査2回目。
前回と変わらず。
赤血球(容積)は少し減っている。異形な白血球も見られる。
有核の赤血球も作られてはいるがおいついていない。少しだけ。
4㎏の体重。
やはり先生はステロイドと増血剤を使って寛解を目指している。寛解を目指したい。この治療のゴール。
もう1週間ステロイドと増血剤を投与してまた様子をみようということになる。
この記録も意味のあるものであるならいいが、明るい記録も書きたい。
続けばいいが、心が正直不安定になる。
銀は誰よりも頑張っている。
それだけが全てである。

2019年9月5日(木)
変わりなく1日。
割と食べて飲んでくれる。
トイレに行こうとして砂まで行けないのか途中でおしっこをしてしまう。
3回に1回は砂場まで行けている感じ。
点滴以外で水分をとってくれるのは嬉しい。

2019年9月6日(金)
夜中、明け方近く、多分。
うんちをしたようだ。
トイレの位置、向きを変え屋根をとる。
銀のおしっこの音がかわいい。ちゃんと腰を少しだが落として割と長いおしっこ。量が多い。輸液のせいもある。
水も口から飲んでくれるが割にあわない量の尿。
こまめに食べさせる。
合わせればそれなりの量を食べてる。
ダメもとで夕飯のイワシの佃煮(かなり味濃い)の切れ端をいくつか皿で口元にもっていく。食べた。皮のついた部分(噛まないといけない大きさ)も咀嚼して飲み込む。
銀は味が濃い人間のおかずが好きかも。

2019年9月7日(土)
体重4kg。脱水もあまりみられずと言われ安心。
2~3時間おきに何かしら食べさせる。
それが功を奏しているのか。今日はとりあえず増血剤と点滴のみ。
ステロイドはやめてもらった。様子を見たい。
筋力の衰えはステロイドだけのせいではないだろうが様子を見て減らせるものならどれもこれも減らしていきたい。なかなか難しいだろうけど。
味の濃いものを好むということで何でも口にするものなら与えてみようと思う。
あっさりささみヘルシーなど、今はいらない。ドカンとジューシーな香りの際立つ食欲そそるもの…何でもいい。食べて食べて食べまくれ!銀!
ちなみに夜、刺身一切れをほぼ一枚食す。

2019年9月8日(日)
昨日と同様、むしろ昨日よりも目にも表情がうかがえる程調子のいい日。
おしっこも砂まで行って腰も落とせる。
ふらつきも目立たず、寝てる方がそれは大半だが時折座る。
顔も舐める。爪も研ぐ。
夜、呼んだらここまで来てくれる。
肩の肉も気のせいかある。変に骨ばっていない。
この調子のいい日がなるべく多ければいいと思う。
1日1日、銀の過ごしやすい日を。
この記録が長くつづきますように。

2019年9月9日(月)
変わらず、食事の後は顔を撫でてご機嫌よいよう。
明日は病院に行かないということ。
明日の様子を見て明後日どうするか考えることになった。
脱水に気をつける。
日々…日々である。
夜、刺身を一切れ、ほぼ完食。
人が食べるものの方が食べてくれる。
病院から買うエナジーペーストと、おやつのチャオチュール(栄養満点)をベースに固形といえる固形物を口にさせたい。何がいいだろう。焼き鳥?焼き豚?何でも。

2019年9月10日(火)
暑さのせいもあるだろうが少し元気がない。
食べ物を口にもっていく最初の時えづく。前にも2、3度あったがその後はえづかず口にしてくれる。
吐き気も多少あるのか。まだ嘔吐はないが吐き気のメカニズムとは何だろう。つわりだったり、吐き気が生じる原因は脳に何かしらの信号を出しているのか。わからない。
良い日や悪い日もあるだろうが考えるともたない。考えてもどうにもならない。気が滅入るのでそっとしておいて銀の体を信じていくしかない。
今日は病院に連れていってないが明日は行こうかと話している。

2019年9月11日(水)
1日あけての病院。
体重、脱水ともに変化なし。
安心するが食欲はあまりない。
おえっとするのが気になる。
うんちをしていないから胃に毛玉がたまっているからなのか。
温かいものは香りも高くなるらしくウェットフードをボイルしたら食べてくれるかもしれない。また試してみよう。固形をとにかく口にしてほしい。

2019年9月12日(木)
元気はない。
ここ2日間くらいで急にガクッと落ちている気がする。
猫は我慢強いという。
相当ひどいのだと思う。えづきは毎回の頻度。
足も細い。触ると肉も少ない。白血病の怖さ。
今日は病院に行っていない。明日先生に診てもらう。
少し覚悟の覚悟を準備しておく。
苦しんで苦しんで苦しみぬいて死ぬ必要があるだろうか。
それが銀にとってベストなことなのか。
私はそれは逆に酷なことだと思う。
もう苦痛を味わわせたくない。
銀、どうしたい?どうしてあげたらいい?

2019年9月13日(金)
病院へ行く時、弱々しく鳴く。
よだれで口のまわりにトイレの砂がくっついている。
ここ2、3日で急に元気がなくなったが覇気がこんなにも無くなるなんて。
体重3.8㎏。思ったよりあるが減っているのは確か。
脱水が目立つ。点滴と増血剤注射。チャオチュールすらすすまなくなる。
いよいよなのか。
明日も点滴に行く予定。
今はもう点滴からの最低限の栄養で維持しているようなもの。
相当しんどいのだろう。押入れの隅にずっといる。段差のある高いラックの上へあがる力はあるが一人になりたいという本能がその力を出させているのか。
どうか、苦しい時間がありませんように。

2019年9月14日(土)
隅っこでよく眠っている。
体重3.75㎏。脱水もそこまでみられず。
ほぼ食事出来ず。
水を少々。チャオチュール1包+α。
他の色々なペースト、ポタージュ、スープ系も口にしない。
抱っこした時の軽くなったこと。
病院の帰り、夕陽が眩しくさした。
銀は光に反応した。お天道様がこんなに美しいと感じたのははじめてだ。
神はいないがお天道様は目の前に見える。銀と一緒にお天道様を見た。
お天道様は信じて生きていこう。
明日も点滴をしに行く。
明後日は祝日で先生に診てもらえない。
少し不安。

2019年9月15日(日)
昨日と変わらず。
全くではないが食べてもチャオチュール1包+α。
輸液と増血剤注射。
だるいんだろうな。

2019年9月16日(月)
これからは点滴のみでゆっくりゆっくり階段をおりるように、緩い坂をくだるように最後の時を迎える。
死生観は十人十色。
誰が良いとか悪いとかではない。
私は今の水も拒む銀を押入れの中でただ目を瞑っている姿をそのままにしておくことが自然で正しいとは思えない。
苦しいだろう。
私の想像をはるかに超える程しんどく辛いだろう。
楽にしてあげたいと思う私は非道で冷酷な人間だろうか。
もう、そういうことを言うのも諦めた。
言ってもそれを受け入れない周りだから。
明日の朝、おだやかに眠ったまま目を覚まさないことを願う自分。
死んでほしいわけない。
でも、もう今は終わらせてあげたい。

2019年9月17日(火)
昨日と変わらず。
チャオチュール少し。水も少し口にする。
とにかくだるそう。寝てるしかない。
正直みていて辛い。
だが時折見せる生きる力に心が揺さぶられる。
こんなあーだこーだ考えているのは弱い人間の私。
銀は生きようとこんなに辛くても頑張りつづけている。
銀はとても強くたくましい。                                         

『銀牙』
仔猫の時、餌にありつけず大人しく弱々しかった銀に強くたくましい熊と戦う犬のアニメのキャラクターの名前をつけた。
今、銀は銀よりたくましい。

2019年9月18日(水)
変わらず。
この変わらずは良くもないが悪くもないをずっと変わらずでいることである。
水もこまめにとってくれる。
今はそれがありがたい。

2019年9月19日(木)
今日は病院に行ってないと夜知らされる。
今までに行かなかった押入れのとんでもなく暗く狭い隅にいる。
覗き込み近寄ると変に低く弱い鳴き声。明らかに様子が変。
水は多めに飲んだ。明日はすぐに病院に連れて行こう。

2019年9月20日(金)
病院へ朝一番に行く。
体重3.4㎏。
脱水もかなりみられた。点滴をする。
帰って押入れでよく眠る。
昨日のように鳴いたり、くじらの墓場のような暗い隅っこにはいかない。
落ち着いてみえる。
水も飲む。飲んだ後大きく息を吐いてもう一度水を飲む。
しんどいのはかわらないようである。
体重が3㎏をきったら相当危ないと前に先生が話をしていたので心配だ。

2019年9月21日(土)
水はこまめによく飲んでくれる。
呼吸もそんなにあらくない。

2019年9月22日(日)
定位置でじっと寝ている。
17時からの病院。車中では静かに眠っている。
先生には口のまわりや鼻を拭いてもらった。
明日は祝日。病院は完全休診日。
こまめに水分をとらせて火曜の朝に連れていくつもり。
衰弱の過程。
ゆっくりゆっくりろうそくの火が消えていく。
ジュッと消えたら、それが最期。

2019年9月23日(月)祝日
病院完全休診日。
経口補水液で少しでも脱水の悪化を防ぎたい。
変わらず人の目に入らない場所で寝ている。
覗いた時夢をみているように深く眠って足を一度ぴくんとさせる。
夢の中なら銀も自由に歩いたりしているのだろう。
今、夢をみている時が銀には一番楽な時間なのだろう。

2019年9月24日(火)
終わりのはじまり。
母の精神力が限界に近い。

2019年9月25日(水)
今日は自分の病院の日。
ガラケーもそろそろ寿命。
もうこれからは動物は飼わない。飼ってはいけない。
そう言われてる気がした。

2019年9月26日(木)
もう一か月は経つのだろうか。
1日1日を刻み込むように小さな灯火なのに時々煌々と燃え盛る炎のような命の底力を教えられる。
銀の生きざま。
他の人間でどのくらいいるだろう。真似の出来る奴は。
私はこんなに真っ直ぐ生きられない。
命について考える日々。
でももしかしたらそんなこと考えるのは暇な人間だけなのかもしれない。
ただ生きる為に生きる。
そんな姿を銀をみて教わる。

2019年9月27日(金)
夜は布団の上でのびのびすやすや気持ちよさそうに眠るのが銀のここ数日のルーティン。
気持ちよさそうにみえてもしんどいのだろうが、体を自分で舐めて毛づくろい出来ない今、体についたトイレの砂粒や少し乱れた毛並みをウェットティッシュで優しく拭く。
尻尾を動かし反応するのは気持ちがいいから?
そうならいいのだけど。
背中を撫でると背骨が掌にあたる。
こんなに骨ばってしまって…。
この体の中で今、病気の元凶がうごめいて銀を傷つけ弱らせていると思うと、神はいないと改めて思い苛立つ。
神が目の前に現れたら首を絞めて殺してやる。

2019年9月28日(土)
仕事の前に朝一で動物病院へ。
今日はこの病気を知らされてから初めて家が無人になる。
病院から家に送り届けたら銀をひとりぼっちにさせてしまう。
体重は知りたくなかったが、3.2㎏。
あと200g減ったら…嫌なことばかり頭に浮かぶ。
点滴の注射をさす時、肉が落ちたからかちくっとささる時に痛そうに感じた。
今まで何があっても診察台から逃げたり暴れたりもしなかった銀。なんて我慢強い猫なんだろう。
本当にもうどうしようもなく無力感。
かわいそうとかそんな生やさしいものでない。
昼休憩の間、家に急いで戻り水とチャオチュールを口にさせる。
おしっこはしていなかった。
銀は苦しみの中、工夫して生きている。
今月はもたないと思っていたが、もう9月も終わる。
残された時間はもう、それでもあと少しなのだろうか…。
この日々が尊く儚く残酷だ。

2019年9月29日(日)
明日で9月が終わる。
余命宣告が昨日のようでもう1か月は経つ。
この一緒に過ごせた日々。
あと少し一緒に過ごせる喜び。
この日々を綴った記録は当初、銀の変化を見逃したくなかったことと、まだ可能性を夢みて日々の状態を記そうとはじめたものだった。
今は自分の心を整理して落ち着かせるだけのものになってしまっている。
生きることだけしか考えず毎日全力で懸命に生きる銀。
人間はそれだけを考えることも出来ないから弱い。私も。

2019年9月30日(月)
今日で9月が終わる。
10月まで一緒に過ごせたこと、銀の強さのおかげ。
今日、トイレに行けず押入れの中でおしっこをもらしていた。
もうトイレに行く力が出ないのだろう。
夜の暗さがずっとつづいてほしい。
昼はうるさくて明るすぎる。
夜の静かな時間は銀が落ち着ける時間。
だったら夜がずっとつづけばいい。

2019年10月1日(火)
10月に入った。
今日から消費税は10%。
初めて買ったのが銀のおむつ。
自分でトイレに行こうと頑張っている。
おむつはその助けになればいいと思う。
寝ている時間が1日の9割以上であっても銀の命が輝いているうちは1日でも長く生きられますよう。
お天道様にお願いします。
例え銀の体重が3kgをきっても何kgに減っても、眠るように最期を迎えられることを願って。
銀に安らぎを。
銀に平穏を。

2019年10月2日(水)
9月6日以来なかった排便有り。
しかも犬のうんち並みの量。
明るい茶色、赤レンガに近い色。水分も含んだしっかりとした形のある便。
臭いんだろうけど全然臭いなんて思わない。
うんちをしてくれるのがこんなに嬉しいと思うなんて。
うんちの分、体重は減っただろうがずっと体内にあった便が出たのはいいことだ。
銀もすっきりしただろう。
なぜか風呂場に行きたがる。
涙もよだれもよく出る。

2019年10月3日(木)
リビングの隅にいる。
水とチャオチュールを少々。
涙が目立つ。

2019年10月4日(金)
ほぼ布団の上で過ごす。
水とチャオチュールを少々。
相変わらず涙が目立つ。涙を指で拭う。
近づくとグルグル喉を鳴らす。
撫でたり首を揉んだりするとずっとグルルルルと鳴いている。
少し楽な時間だったのか。トイレにも自分で行こうともする。
おむつもしているのでたどりつけなくてもいいんだよ。
外は台風の影響で風も雨もひどい。
点滴は夕方くらいに行った。

2019年10月5日(土)
駿介と翔平が泊まりに来た。
二人に会えて銀も嬉しそう。
銀もみんなと同じ場所に居たがっている。
点滴をしに病院へ。
駿介も連れていく。
学年にしたら銀と駿介は同級生の12歳。
銀が駿介よりほんの数か月お兄さん。
駿介の成長が銀の生きた証。

2019年10月6日(日)
階段を上ってきた。途中で落ちなくてよかった。
一人が淋しいのか、どこか違うとこに行きたかったのか。
前者であろうがあの階段を上ったのはすごい。信じられない。
駿介の膝に顔をのせて安心して眠る銀。
銀は甥っ子二人のことが本当に大好きなのだ。
すっかり心を許し認めているのだ。

2019年10月7日(月)
病院から戻り正午頃。
カーテンを全開で日向ぼっこ。
ベッドの上で太陽を体に浴びて気持ちよさそう。
お天道様に感謝。
明日も少しでいいから日光浴が出来る陽がさせばいいな。

2019年10月8日(火)
目標はこのノートが終わるまで銀の記録を書きたいということ。
あれから9月を乗り越え、10月に入り、もう1週間以上過ぎた。
銀は今日、水くらいしか口にしない。
抱っこしても本当に軽い。
物としての軽さではなく生き物としての軽さ。
死期を悟った猫は姿を消したがると聞いていた。先月からは押入れの奥に居たがっていた。
でもここ数日、人のそばに居たがる。一緒に居たいのか。もちろん、銀にそう思われているなら嬉しい。一緒に居たいに決まってるじゃないか。

2019年10月9日(水)
1日中銀といる。
病院で鼻の穴に固まったものをとってもらう。
昨夜からの大きな鼻息の原因。呼吸しやすくなる。
一人にすると寂しそうに鳴くのでずっとそばにいる。
そばで寝る。
抱っこしてあげる。
腹の上で寝る。
抱っこして寝る。
水を注射器で口に入れる。自分でも飲む。
もう水しか飲まない。
いとしい。
いとおしい。
次に駿介らが来てくれる日を目標に頑張ろうって言う。

2019年10月10日(木)
人間社会のちっぽけなこと。煩わしさ。どうだっていいこと。
それが本当にくだらない。
水と点滴だけで持ちこたえている銀をそんなくだらない人間どもに見せてやりたい。
スプーンは要らないだとか、もうどうだっていい。
くだらない。くだらない。

2019年10月11日(金)
病院に点滴。
気のせいか、いや確かに点滴している時間が長くなっている。
ゆっくりしてるだけなのか。量が多くなっているのか。
それは先生におまかせ。信頼しておまかせ。
注射器で水をあげる時、口をくちゃくちゃしてくれれば飲んでくれているとのこと。
頑張ってうまくあげられるようになろう。
銀、明日の夕方には台風が最接近するそうだけど、あれから1週間、駿介と翔平がまた遊びにきてくれるそうだよ。目標達成出来そうだ。
そして次の目標をさがそう。

2019年10月12日(土)
台風が日本に上陸。
店は4時で閉店。
おかげで早く帰宅出来た。
銀はリビングで眠っていた。
銀を起こさないように隣の部屋で甥っ子二人とプラモデルを作っていた。
突然隣の部屋から銀の長い鳴き声が聞こえた。
急いでリビングへ。
最後の力を振り絞って精一杯の大きな声で私たちを呼んだのだ。
夕方6時25分。
銀はこの辛く苦しかった1か月半を全力で闘いきって息を引き取った。
私の胸の中で大きく天を仰ぎ
くくくく……と背伸びをするように10分程ぷしゅー、ぷしゅーと息を吐いて陽が沈むように静かに死んでいった。
もう頑張らなくていいよ。ありがとうね、銀。
何も考えず湧き上がってきた言葉だった。
駿介と翔平にも見守られて
まるでこの日を選んだように
最後の最後まで気を利かせて
思い遣りのあるおとなしくて優しくて本当にいい子だった。
嵐の日に。
銀。12歳と4か月。
最後まで凛々しくかっこよく勇ましく本当に頑張った銀。
強くてたくましかった銀。
銀は星になった。
苦しみからやっと解放された。
やっと自由に走れる。
食べたいものも食べられる。
向こうで待ってておくれ。
いつか私も行くから。
それはもう少し後になるかもしれないし、そうでないかもしれない。
でもまた私を待ってくれる者が増えた。
銀にさよならは言わない。
ありがとうを言う。
銀、ありがとう。
ありがとう。
よく頑張ったね。
銀に出逢えて本当によかった。
一緒に生きられて私は幸せだった。
家族になれて幸せだった。
本当に本当にありがとう。

銀との日々の記録がここで終わる。





(完)

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