0930/ビッグベイビーと、母とか親とか

9月最終日。本日もまたあの痛い内診を乗り越えてきた。子宮口はまだ1センチくらいしか開いていないようである。(3センチ開いてますね!って言われたらどうしようとドキドキしていた)NSTでもお腹のハリは強くないとのこと。もう少しお腹にいてくれる様子で、ほっとする。

ただエコーの際に「約3,300gですね…!大きめですね」と言われてしまってドキドキしている私がいる。エコーの誤差がだいたい10%くらいなので、どう考えても3,000gオーバーは待った無し、という状態である。

近頃の子宮口チェックのためにぐりぐりされる内診が痛いことで、「出産、そうだ、そういえばとんでもなく痛いんだった」ということを今更ながら急に意識し始めた私は、震え上がる。よしもとばななさんはゆっくりお腹にいた息子さんを、たしか4,000g近いサイズで産んで、お股がビリビリに裂けて骨盤乖離して車椅子生活になっていたよな…なんて思い返す。震える。


引っ越しまではお腹にいてほしいけれど、終わったら、ちょっとフライングでもいいから出てきてもいいよ…?なんてこっち都合で急に話かけ始める。「こないだまでお母さん、予定日までいてねって言ってたじゃない!」って思っているかもしれない。ごめん、ちあっさん。

そろそろ名前の漢字を決めなくてはと思うが、まだ決まらない。


山崎ナオコーラさんの「母ではなくて、親になる」を読み終える。(ついに図書館に本を全て返し切る決心がついた)ジェンダーの問題って意識すればするほど、なんだか、余計まどろっこしくなってきて、わからなくなってしまうところもある。そしてどこかに棘が生じる、気がする。(たぶんそれが社会をひっかくために必要ではある)

選んだ相手や事にも「意味」を持たせすぎてしまう気がする。時にそれは押し付けがましいようにも思えて、苦しくなる。きっと著者にとって大切なことだから繰り返し述べているのだとも思うのだけれど。

私たちは何と闘っているのだろう。「女性・男性」ということから逃れようとすればするほど、強烈に意識してしまうことがある。

女だから、男だからではなくて「私はこんなかんじ」と選びたい。


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