J.D.サリンジャー 『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』

★★★☆☆

 今年の6月に出たサリンジャーの短篇8篇、中篇1篇を収めた一冊。訳者は金原瑞人。

 もともと雑誌に発表されたものの単行本未収録だった作品を集めているので、執筆年にばらつきがありますが、『ハプワース-』を除くと、1940年代に発表されたものです。初期の作品ですね。
 最初の二篇は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の元になっており、作品内にも出てくるエピソードが描かれています。

 まだ駆け出しだったはずなのに、作家としてすでに完成されているように思えます。『若者たち』や『ロイス・タゲットのロングデビュー』などは短篇集に収録されていても不思議ではない質です。
 とはいえ、『ナイン・ストーリーズ』に入るにはいくぶん毛色が違う気がしますし、そうなると寡作なサリンジャーなので、行くあてがないですね。クオリティの問題ではなく、作品のカラーの問題として。

 瑞々しさを感じさせる短篇群はさておき、問題は『ハプワース-』です。
 これは受け止め方がかなり難しい作品です。サリンジャーが発表した最後の作品であり、グラース家サーガなわけですが、果たしてこれは小説として成立しているのか……判断に迷うところです。

 七歳のシーモアによって書かれた手紙を再現したという体で書かれた書簡小説なわけですが、かなり無理があるというか、難があります。シーモアの声を借りてサリンジャーが語りたいことを語っただけのステートメントでしかないような気もします。
『キャッチャー-』にしても『ゾーイ』にしても、そういった要素はあるのですが、小説としてのバランスがしっかり取れています。むしろ、その危うい均衡がいつまでも色褪せない名作としての魅力になっているといえます。
 しかし、『ハプワース-』に関しては、そうではありません。もっと、ずっと崩れてしまっています。

 あとがきから引用するこの一文がすべてを物語っているでしょう。

「大部分の読者にとって、『シーモア』が読みやすさ、論理、合理性の崖っぷちまできていたとすれば、『ハプワース16、一九二四』は裂け目に落ちてしまっている」
(『サリンジャー』 デイヴィッド・シールズ/シェーン・サレルノ)

 また、これまでに出版されたサリンジャー作品と大きく違う点は、あとがきがあることです。サリンジャーが存命中はあとがきをつけるのはNGでしたから(2009年に出た『ナイン・ストーリーズ』には帯がついていたので、帯はOKだったようです。とはいえ、情報量の少ない帯でしたが)。
 亡くなったことで規制が緩まったのかもしれません。
 あとがきで情報を拾うのが好きなので、個人的にはうれしいですけど、サリンジャーは草葉の陰で激怒しているかもしれませんね。

 誰もが認める名著とはいえませんが、サリンジャーが好きな人には読む価値のある一冊でしょう。訳文も非常に読みやすく仕上がっています。

 余談ですが、「This Sandwich Has No Mayonnaise.」を「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」と訳したのは最高です!

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