須原一秀 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組』

★★★☆☆

 こちらは小説ではありません。分析哲学を専門としていた教授の著書です(2006年4月に自死により他界してます)。
 現代において、学問としての哲学が成立しえない論拠と、現代社会を捉える枠組を提示しています。

 興味深かったのは、哲学と思想をきちんと分けているところです。思想というのは「ものの見方・感じ方・考え方」なので、無数に存在するが(哲学も思想の一つとしては存在可能)、哲学というのは、あらゆる思想の統合を目指す学問なので、それは成立しないというわけです。
 普遍的な正義や真理や理想は存在しえないので、ケース・バイ・ケースでやっていくべきという身も蓋もないことを主張しています。

 特に、20世紀の哲学には何も新しいことはなかったとばっさり切り捨ててるところは痛快でした。哲学の世界はあまりに蛸壺化しており、「一般の人」には無関係なものしかないので読まなくていい、と言われると、すっきりします。

 僕は昔から哲学関係の本を拾い読みしては、「よくわからないな。でも、理解すれば世界を紐解くことができるのかもしれない」などという淡い期待にすがってきたものですが、そんなのはないよ、と断言されると、肩の荷が下りた気分になります。
 フロイトの精神分析などもそうですが、現代からみると、かなり眉唾物なんですよね。というのも、脳科学とか遺伝学といった医学・科学分野からのアプローチの確からしさに対して、いまひとつ説得力に欠けるんです。
 哲学も同じで、世界を紐解く理論を難解なジャーゴン(専門用語)でぐちぐち語られても、紐が絡まっていく一方に思えます。それならば統計学とかビッグデータの解析の方が、より実践的で有用に思えます。

 要するに、哲学って、実際的ではなく、現実的には使い道のない学問のための学問に成り下がってると思うんです。哲学が有効だった時期ももちろんあるのですが、少なくとも現代ではほぼ無用ではないかと。
 数学のように、数学という分野内で成立する真理を追求していれば別ですけど、哲学はそうじゃありません。その違いは、数学には矛盾のない論理がある(=真理がある)のに対して、哲学は言語を使用している以上、厳密な意味での論理がない(=真理がない)ことです。
 言語というのはどれだけ定義しても定義しきれずに、曖昧なところが残ってしまうのです。たとえ、ある単語を定義したとしても、その定義の中に使われている単語も定義しなければならないはずで、そうなると、定義の無限ループが続くことになります。言語の持つ多義性や多層性ゆえに、そうならざるをえません。

 最終的に著作内で主張されている結論は、かなり常識的というかふつうのことです。人間は、両面性と多様性があり、非合理的な存在である、と。
 そう言われると、「まあ、そりゃそうだよね」と思います。

 長年、哲学書を読んでは理解できない後ろめたさと、いつか理解できるようにならないと、という無意味なプレッシャーを感じていた身としては、哲学なんて意味ないぜ、と言われると、溜飲が下がります。薄々感じてたけど、やっぱりそうだったか、と。
 哲学書が好きで読んでる人や、好んで哲学に身を捧げてる方はそれでいいと思います。ただ、僕にはもうあまり必要ないなと思いました。

 重たそうな内容の割にはリーダブルなので、哲学的なことに興味がある方は読んでみるといいと思います。前書きによると、1、2時間で読めるらしいので。

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