見出し画像

「主語」も「文」もなかった 柳父章『近代日本語の思想』

日本語には「主語」がなかった。柳父章『近代日本語の思想』はそう語る。いや、「主語」どころか、「文末語」も、「文」という考え方さえも、日本語には存在せず、これらは明治時代の翻訳を通してつくられたものだったという。本書は平易な文章で、その過程を明らかにする。

著者はまず大日本帝国憲法を引用する。

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之を統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

このあとも「~ハ……」という構文が続く。この構文は、近代までにはなかった文体であった。しかし、この文体は、やがて明治時代を経て、一般的なことばになっていく。
それでは、大日本帝国憲法より前の法はどのように書かれていたかというと、たとえば7世紀の十七条憲法は以下のような文体であった。

一に曰く、和を以てたっとしと為し、さかふること無きを宗となせ。
ニに曰く、篤く三宝を敬え。
三に曰く、みことのりを承りては必ずつつしめ。君をば則ち天となす。臣をば則ち地となす。

現代でいう主語と述語という構文になっていない。まったく違う文体であった。7世紀だから違うかと思われるかもしれないが、たとえば五箇条の御誓文であれば次のようになる。

一 広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経論ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス

このような文体である。明らかに大日本帝国憲法はターニングポイントといえる。ではなぜこのような違いが生まれたのだろう?

大日本帝国憲法は1886年ごろ、伊藤博文が中心となり、憲法草案の作成が始まった。この時、じつはドイツ人法学者ヘルマン・ロエスレルの起草したドイツ語の試案があった。ドイツ語をはじめ、西洋語は名詞中心の言語であり、主語の後に述語がくるのは基本形である。大日本帝国憲法は、この試案を翻訳した時の文体で書かれている。つまり、「~ハ……」の文体は、西洋の発想である主語-述語の構文を日本語に置き換える過程で生まれたといえる。そして、著者は大日本帝国憲法発布を契機に、「~ハ……」の構文は法律や学校の教育現場において浸透し、一般的な構文として受け入れられていったという。

しかし、主語-述語の構文がなかったというと、いくつか反論も出てくるだろう。たとえば、古典のなかにも主語から書かれている文章もある、という指摘などだ。確かに、日本語のなかには西洋語の主語に該当するものも存在し、それが冒頭に置かれることもある。しかし、重要なことは、ある単語が主語に相当するので文章の始まりに置く、という考え方がなかった、という点にある。

日本語に主語はない、と主張するひとがいた。三上章は昭和の初め頃から主語無用論を唱え、英語文法に強い影響を受けている学校教育の主語-述語中心の考え方に反対し続けた。

ヨオロッパ語のセンテンスが主述関係を骨子として成立することは事実であるが、それは彼等西洋人の言語習慣がそうなっているというにすぎない。決して普遍国際的な習慣ではないし、また別に論理的な規範でもない。わが文法界は、それを国際的、論理的な構文原理であるかのように買い被ってそのまま自国文法に取り入れ、勝手にいじけてしまっている。だから、主述関係という錯覚を一掃し、その錯覚を導入しやすい「主語」を廃止せよ、というのは、いわば福音の宣伝なのである。

なかなか強烈な主張である。それでは三上は日本語をどのように捉えていたのかというと、西洋語と違い、主語も目的語も対等な構造をもつと考える。例えば、次のような文があったとする。

A introduced C to B.
甲が乙に丙を紹介した

英語の場合はAが人称や単数複数の数によって述語を支配し、さらに述語が目的語を支配する。しかし、日本語は甲乙丙は基本的に対等である。つまり、以下のような並べ替えができてしまう。

甲は乙に丙を紹介した
乙(に)は甲が丙を紹介した。
丙は甲が乙に紹介した。

甲乙丙は互いを支配し合うことはない。そして、日本語は強調したい主題を「~は…」で表現できるので、どれでも西洋語の主語になれるし、逆にいえば、西洋の基準からすれば、どれも主語ではないともいえる。そのため、三上章は日本語では、主語という用語をやめて主格、目的格など、対等になるよう名付けるべきだと主張した。つまり、日本語にはもともと「主語」という概念はなく、「格」を並べて意味を表す言語だったのである。

翻訳を通じて、日本語は新たにつくりなおされていった。そのなかには「文」や「文末語」という概念の輸入も含まれていた。本書ではこの後、「文」や「文末語」も近代に出来上がったことを明らかにしていく。
著者は、現代の日本語は西洋語の翻訳によってつくりかえられた結果だという。しかし、いまそのことは忘れられてしまっている。学校では、当たり前のように主語と述語の関係を教え、生徒は疑うこともない。古典の文章にふれる機会はあるが、いま使われていることばとの接続で考えようとすることは少ない。
「なかったこと」をなかったことにしない、本書の視線は貴重である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?