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使いたおそう。いつか土に還るまで。

品川から横須賀に居を移してから、あまり物を買わなくなった。
それは節約でも、物欲を失ったわけでもなく、単に正気を取り戻したんだろうな、と自分では解釈している。

だって、東京は誘惑に満ちている。
住んでいた目黒線の西小山界隈はわりあい素朴な街だったけれど、資料でも探しに行くか、とふらりと恵比寿や渋谷の本屋に向かったが最後、すてきで、おしゃれで、気のきいた物たちがぐいぐい視界に入ってくる。

しかも「物を買う」という行為は、「飲み食い」と同じくらいてっとり早いストレス解消だ。いくばくかのおカネさえあれば、その場でインスタントに欲望が満たされてしまう。仕事に身を捧げていた、と言っても差し支えない当時の私は、「がんばった自分へのご褒美」という免罪符をあちこちで振りかざし、数々の衝動買いを正当化してきた。

それが横須賀に来て、ゆったりと刻む時間軸に身を置いて、ようやく足るを知った。身の回りには、必要十分な物がすべて揃っているではないか。

これから買うなら、本当にほしい物だけでいい。
そんな価値観のギヤチェンジを経てなお、2023年「本当に買ってよかった」と思ったものとは。

秋田・川連漆器の朱色の深皿。
“ていねいな暮らし” 系の人ならまだしも、できれば料理はしたくない派の私が〈漆器〉に幸福を感じるだなんて、いまだに自分が一番驚いている。

購入のきっかけは2022年末のこと。
WEBマガジン『madamFIGARO』の取材で、秋田県の伝統工芸である川連漆器の産地を訪ねたことに始まる。

川連漆器がどういう物かについては、上記のリンクを見ていただければと思うが、この取材を通して、生活の中にある「日用の器」として〈漆器〉が自由に使われている様子を見て、長らくあった「漆器は扱いが大変そう」という先入観が変わった。

「特別なときに使う食器のようなイメージがありました」
と素直に告げると、
「よく言われるんですけど、実際はどんな料理を乗せてもいいんですよ。パスタ屋さんがお店で使ってたりもするし」と聞いて、へえと思った。

なんでも漆には使うほど水分を含んで丈夫になる性質があるそうだ。
だから年に数回、特別なときにだけ使うより、日常的に使うのに向いているらしい。
漆が天然のコーティング剤の役割を果たすので汚れが落ちやすいこと、万が一割ってしまっても、漆で接着して研ぎ、塗り直すことで新品のように直せることも教えてもらった。

もちろん、レンジや食洗機は使えないし(加工して使えるようにした物もある)、水につけっぱなしにしてはダメとか、重い物を上に置かない、などのNG事項はある。
でも、特に「扱いが大変」と言うほどのハードルではないような。

それよりも、使うほどに味わいが増していく楽しみや、素材もサスティナブルなうえ洗剤の量が減る、といった環境への優しさ、手で生み出される温もりのほうが遙かに魅力に思えたし、日々、使う器としてとても理にかなっている気がした。

そこで、川連地区で塗りにまつわる工程をすべて自社一貫生産している『佐藤商事』さんで、洋食器とコーディネートしやすそうなシンプルな深皿を2枚購入することにした。

注文し、自宅に届くまではひと月くらいだったろうか。
箱を空け、朱の艶消しに仕上げられたお皿と対面したとき、わが家のために職人さんが木を削り出し、漆を塗ってくれたのだと思うと胸が高鳴った。

料理を主に担当する台所の長は夫なので、川連で聞いた〈漆器〉の扱いについての注意事項を忘れずにプレゼンする。

「こんなにいいお皿、本当にふだん使いしていいの?」
と不安な顔をしていただけあり、最初おそるおそる乗ってきたのはサラダだった。いざ使ってみると、絶妙な深さとちょうどいいサイズ感。しかも言われたとおり、ドレッシングくらいの汚れはぬるま湯でするっと落ちた。

想像以上の使いやすさに驚いたわれわれが、次第に「どこまでいけるのか」試したくなったのは必然だと言える。
皿に盛るメニューの濃さは徐々にエスカレートしたが、パスタ、炒飯は難なくクリア、オムライスやガパオもどんと来い、ついにジンギスカンに到達しても全く問題なし。
しかも、落ち着いた朱色が食材に彩りを加え、おいしそうに見せてくれる。

使うほど、コツも分かってきた。
白ごはんは、糊の成分が乾くとカピカピになって少し取れづらいが、ぬるま湯で水分を補ってからスポンジで軽くこすればすぐ落ちる。
カレーなど粘度や油分の高いものは、ぬるま湯×中性洗剤を含んだスポンジで撫でればスルッとキレイになる。これがまた、気持ちがいい。

洗ったあとは、すぐ拭き上げれば理想的だが、面倒なときは水が溜まらないよう立てかけて乾かしてしまっている。ズボラな私でも特に苦に思う要素は今のところない。まさか〈漆器〉がこんなに使いやすいなんて知らなかった。

購入から約1年たったが、現在では週5日は使うわが家の「一軍食器」。
まったく選手交代の気配がないほどの愛用ぶりだ。

もちろん、一般的なお皿に比べると〈漆器〉の皿のお値段は高いのかもしれない。けれど、欠けたり割れたりしたら直してずっと使えることを考えると、買い換える必要がないのだからコスパがいいな、とも思える。

おじいちゃん、おばあちゃんになるまで、使いたおしてやろうじゃないか。
そして私たちがいつかこの世を去ったとき、誰かが使ってくれたら嬉しいし、そうでなくても、木と漆でできた〈漆器〉はちゃんと土に還ってくれる。

深皿がわが家に来て半年ほど経った頃、マルシェに出かけていた夫が紙袋をぶら下げて帰ってきた。
「漆器の味噌汁椀を買っちゃった」

漆器っていいな、と感じてくれたんだろうな、と思うとなんだか嬉しかった。


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