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言語化のチカラ

noteを始めて5日目。
これまで公開した3つの記事に、コメントをいただいたり、マガジンに追加していただいたり、こんなにたくさんスキしていただけるとは思ってもいなかったので驚いています。読んでいいただいたみなさま、本当にありがとうございます。

昨日は私がこのnoteを始めるきっかけとなった、週に1度のグループリフレクションの日だったのですが、そこで「扉」というキーワードが出てきたので、そのことについて書きたいと思います。


その先へ

私が本名のAkikoでこのnoteを始めたことを、グループリフレクションという場で共有したところ、ある方が

「あっこさんは今扉を開けた感じだね。今そのドアを整えている感じがするけど、その扉の先はもっと気持ちがいい、スイスの山みたいなすごい景色がありそう」

と言ってくれました。

私は彼女のその言葉が意味することがとてもよくわかります。

私は今、どんな風に、どんな言葉で、どの角度から、どんな画像を使って本当の私を表現したらいいのか、を模索しています。

でも、その表現の仕方や飾りつけはあまり重要でなく、大切なのは、私がその先へ行くことなんだ、と。

その先にどんな景色が広がっているのか私にはまだわからないけど、きっとそこには明るい光があるはず。
見たこともない別世界かもしれないし、かつて訪れたことのある場所かもしれない。

ちらっと見えたその先の景色をみなかったことにして、扉をしめてこれまでの安全な世界に帰ることもできるけど、私は扉の先に見えたかすかな光にワクワクしていて、もうこの好奇心を抑えることはできない。
不安はあるけれど、私はもうその扉を開けてしまったのだし、前に踏み出すしかない。
今はそんな感じがしています。

憧れ -いつか住みたい場所-

そして、私は扉の先にある「スイスの山」という彼女の表現にとても驚きました。なぜかというと、私はいつかスイスに住むのが夢だからです。

私が初めて一人で海外旅行に行ったとき、最初に降り立った地がチューリッヒ空港だったせいか、本帰国する前の最後の夏休みにスイスに住む友人のところに泊まりに行ったとき、その景色や生活があまりに美しかったせいか、私にとってスイスは憧れの地です。

高校生の時に訪れたニュージーランドも、スイスに負けず劣らず美しい国でしたが、私はイタリア・フランス・ドイツ・オーストリアという4つの国と隣接しているスイスのロケーションの良さ、小さな国の中に多言語・多文化が混在するあの多様性溢れるところに惹かれて止まないのです。

私のスイス人の友人は4か国語がペラペラなのですが、スイスには多言語を操る知的な人がたくさんいることも、私の知的好奇心が刺激されるポイントかと思います。

彼女を訪ねてミラノからスイスのル・シャーブルまで電車で行ったとき、途中の駅から乗ってくる人々の言葉が、イタリア語、ドイツ語、フランス語、と変わっていくのがとっても面白くて、なんて多文化の溢れる国なんだろう!とゾクゾクしたのを覚えています。

扉を開けた先にスイスが待っているとしたら、私はもう行くしかありません。

言語化の力

実は私は、いつかスイスで暮らせるように、毎日少しだけフランス語を中心に外国語の学習をしています。昔から語学が大好きな私は、大学時代は第二外国語にフランス語を、第三外国語にはドイツ語を選択し、当時からNHKラジオ講座でフランス語会話と、その講座の後に始まるイタリア語会話をきいていました。

在学中はバイトで貯めたお金でフランスでの語学研修やボランティア活動に参加したり、休みの度にバックパックを背負って旅行にでかけたり、外国人に日本語を教えたりして、できるだけ外国語を使う環境に身を置くようにしてきました。卒業後も独学で勉強を続け、シンガポールに住み始める前に英語とフランス語はなんとなく話せるようになりました。

本帰国した後、フランス語を話す人が身近にいないこともあり、私のフランス語は相当劣化してしまいましたが、英語は仕事で使う機会が時々あるおかげか、海外育ちの息子たちが今でも英語と日本語で話しているせいか、どうにか維持できています。

いつかスイスに住みたいという夢はずっと持っているので、そのチャンスが訪れた時に困らないように準備しておきたい、と思っています。

というか、単純にフランス語という言語が好きだから、その美しい言葉を話せる自分になりたいという願望があるから、フランス語を学び続けているだけかもしれません。

スイスなんて物価も高いし、住むなんて無理じゃない?という声がきこえてきそうですが、私は単純にそこに住んでみたいと思うので、そんな無謀な願望も口に出して、世界や宇宙に伝えておきたいと思っています。

思っているだけよりも、言葉にした方が叶いやすくなると思うから。

シンガポール滞在12年目に、夫の仕事の都合で本帰国することになったときも、普通の駐在員のように素直に家族で帰国することを受け入れるのではなく「私と息子達だけでも海外生活を続けたい」という願望を口にすることで、あと1年マレーシアで暮らすことができたという実体験があるので。

あの時も、まさか本当にそれが実現できるとは思っていなかったけど、まずは自分の願望をノートに書き、夫に話し、実現可能な方法を探り始めたことから全てが始まりました。

人生は、いつ・どこで・どんなことがあるかわからない。

だから面白いし、行きたい方向だけは意図して、楽しみながら変化し続けていきたい。


何かのご縁で私がいつかスイスに住むことだって、確率がゼロではないはず。そんなワクワクする未来に向かって、今日もまずは望む未来を言葉にし、一歩ずつ進んでいきたいと思います。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また書きますね。

カフェで記事を書くことが多いので、コーヒー一杯分サポートしていただけると大感激です♡