凌駕する「安心感」と「好き」に出会えた時不安の支配から解放される

小さい頃から不安に支配されて生きてきたような気がする。

嫌われる不安、失敗する不安、負ける不安、裏切られる不安、不確実性への不安、死ぬ不安。
とにかくこの不安を回避しようと人の顔色を伺うことを怠らなかったし、なるべく見通しや言葉で説明して自分を安心させるための情報収集に励んだし、完璧にできるように努力と練習を積み重ねた。負けそうなときは必死に攻撃をした。

今でも私の中で不安の占める割合は多く、気がつくと不安に支配された行動パタンになっている。

大人になって、自分の専門分野である「障害」の勉強もあり、この「不安」について少し理解が深まってきた。

「不安」は常にそこにある。なくそうと考えれば考えるほど、その存在感は大きくなる。
だからわたしは不安と一緒に生きて行くことにした。というか、一緒に生きて行かざるを得ない、と気づいた。

ただ、「不安」に支配されすぎて、自分がやりたいこと、ありたい自分から遠ざかるのは嫌だ。

だから、意図的に「不安と距離を置く」ことにした。どんな時に距離をおけるか?というと、自分の好きなことに没頭している時や、不安を吐露して分かち合えるくらいの安心感を得ている時。

「教育」「障害」「インクルーシブ教育」というテーマに出会えた時、不安を忘れるくらいの好奇心がむくむく生まれてきた。ワクワクして寝るのを忘れるくらい。没頭した。子どもを目の前にしている時、排除をなくすインクルーシブな社会をつくるためのヒントになる実践や研究に出会った時、そんな話を人としている時。
そのほかにも、好きな音楽を聴くことや小説を読むことに没頭している時、家族と過ごしている時。

「安心」や「好き」の割合を生活の中で増やすと、不安はそこにはいるんだけど、上手に距離を取ることができるようになってきた。
そして、どんな時に不安を強く感じるのかを知ることで、やりたいこと、ありたい姿を無視せずに、事前に回避するのもできるようになってきた。

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この「不安」との付き合い方のヒントをはじめにくれたのは、これまで出会ってきた子どもたちだった。特に自閉症スペクトラム、不安障害、強迫神経症と医学的にはいわれる子どもたち。

パニックや攻撃的な行動や過剰な回避行動、
その背景には、新しい環境に対する不安、見通しがない不安、自分の「ルール」通りにいかないことに対する恐怖、毎回同じルーティンによる安心感、嫌いな刺激を受け続ける恐怖があったりした。

そういう子どもたちに、無理やり「適応」を強いたり、その行動自体を制御しても、よけいにしんどくなるだけ。新たな不安を与えるなんてもってのほか。

不安をも包み込む安心感が得られたり、不安を凌駕する好きなものや人との時間を過ごしていくこと、そして自分が不安になる見通しをつけて、不安になった時の対処法を知っておくこと。不確実なことは起こることを想定しておいて、その時にどうするかの選択肢をいくつかもっておくこと。

すると、不安から解き放たれる。距離を置いて、うまく付き合っていける。

だから、まずは安心できる人や場所を増やす。不安を分かち合う。そして、好きなものに出会う機会をつくる。不安を減らす働きかけより、好きや安心を増やす働きかけをする。

その結果、不安よりも好奇心が勝って、それまで怖かったものとうまく付き合えるようになったあの子達は本当にすごい。

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「異質」との対話もきっとそうなんだろう。まずは安全安心の確保、そしてそこからだんだん世界を広げてつながりや好きが増えていく。
不安回避をしている自分もいいけど、好きに没頭している自分が好き。

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参考

アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)
スティーブン・C・ヘイズ 他2名ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)をはじめる セルフヘルプのためのワークブック

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※写真はばあちゃんと作ったお花。

#認知行動療法 #ACT #心理学 #インクルージョン


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野口晃菜

あたし論

インクルーシブな社会のための研究・実践をするなかで、考えたことを整理するために書きます。 ※個人の意見であり所属する組織と関係ありません。
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